ホセ・クルーズ(・シニア)(José Cruz (Sr.) , 1947年8月8日 - )はプエルトリコ・アローヨ出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。ニックネームは「Cheo」で、多くのファンからは「チェオ・クルーズ」と呼ばれ、親しまれた。1980年、1981年、1986年は選手として、1997年 - 1999年、2001年、2004年、2005年はコーチとして、アストロズが進出したすべてのプレーオフに寄与。ホセ・クルーズ・ジュニア(1974年生)と、エンリケ・クルーズ(1981年生)は息子。1980年代に日本ハムでプレイしたトミー・クルーズ(1951年生)と巨人でプレイしたヘクター・クルーズ(1953年生)はいずれも弟。にセントルイス・カージナルスに入団し、9月19日にメジャーデビュー。トミー、ヘクターとはにカージナルスに3人で在籍。ただしトミーは3試合の出場(打席機会なし、守備は1試合のみ)で、ヘクターは11試合の出場(安打0、守備は5試合)で、三兄弟同時出場はなかった。にヒューストン・アストロズに移籍し、13シーズンにわたって主力打者として活躍。移籍2年目のに打率.303、28盗塁を記録。以後、打率3割を6回、30盗塁以上を5回記録。本拠地アストロドームが広いこともあって本塁打はシーズン最多でも17本であったが、好打者として活躍し、とにはオールスターに出場。とにはシルバースラッガー賞を受賞。チームが地区優勝した頃から年齢的な衰えが目立ち、に打率.241に終わると、その年限りでニューヨーク・ヤンキースに移籍。1シーズンプレイし、限りで現役を引退した。引退後、1992年に、クルーズのアストロズ在籍時の背番号「25」が永久欠番に指定されるが、同じく欠番指定となったマイク・スコットと共にアストロズの存命選手として初の欠番指定だった。その後マイナーリーグやプエルトリコ・ウィンターリーグの監督を経て、よりまで古巣アストロズでコーチを務めた。にはテキサス州の野球殿堂入りを果たした。に行われた第1回ワールド・ベースボール・クラシックでは祖国プエルトリコ代表のコーチを務めた。また、ジュニアが代表チームに選出されたため、親子で同じユニフォームに袖を通した。三塁打80とサヨナラ本塁打6本は現在でもアストロズの球団記録(2006年終了時点)。アストロズ時代の1,870試合出場も長らく球団記録であったが、に自身が指導した後輩クレイグ・ビジオによって更新された。
出典:wikipedia
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