六群比丘(ろくぐんびく)とは、釈迦の弟子の中で、悪事や非法行為を働き、釈迦や弟子などを困らせたとされる六人をいう。釈迦の僧団において多くの戒律が制定されたのは彼らのためといわれる。なお『摩訶僧祇律』7では、彼らを提婆達多派の徒とする。チャンナ(Chanda、音写:闡陀、闡那、闡怒、車匿など、訳:楽欲)釈迦が出家する際に馬丁を務めた。彼はよく悪口を言っていたが仏滅後に悟ったという。ラールダーイ(Laaludaayii もしくは Udaayin、音写:迦留陀夷=かるだい、鄔陀夷=うだい、迦留因夷など)、仏典には多く1.ウダーイ、2.迦留陀夷(カールダーイ)、3.ラールダーイの名が登場し混同されやすい。特に2と3がよく混同されるが、同一人物と見る人、あるいは別人と見る人と差異があり必ずしも一定しない。本項においては悪事・破戒行為について記録がある人物を主に挙げる。彼は多くの仏典で過ぎた発言や非法行為が述べられており枚挙に暇がない。後に悟ったが、賊のために殺され糞の中に埋められた。ナンダ(Nanda、音写:難陀、三文(陀)達多、難途など、訳:歓喜)、孫陀羅難陀と同一人物と見る向きもあるが仏典には多く「難陀」の名が登場するので別人とされる。鼻奈耶3では釈迦族の人とし、難陀と跋難陀(次項の鄔波難陀)は常に対すという。他の比丘の犯罪を在家の人にすっぱ抜くなどした。鄔波難陀は彼の弟とされる。ウパナンダ(Upananda、音写:鄔波難陀、摩醯沙達多、跋難陀、訳:賢歓喜)、釈迦族出身。欲が多くて智慧が足りない人だったといわれる。アッサジ(Assaji、音写:阿説迦など、訳:馬宿、馬師)満宿と共に行動することが多かった。共に目連の弟子。目連が執杖梵士に殺されたのを怒り、満宿と共にその梵士を殺した。また彼は舎利弗の共住者ともいわれる。花木を植える等の非行をして衣食したので、仏の命により舎利弗と目連が来て教誨した。プナヴァッサ(Punabbasa 音写:補捺婆素迦、訳:満宿、満師)馬宿と共に龍身を受けて12年後、増喜城の側の一大池に現れ「仏、我らの為に説法し給わざるがゆえにこの悪趣に堕ちた。仏の教法を破壊すべし」と悪念を抱いたが、仏は「この二毒龍、我が教法を破壊すべし」と思念して、説法しようとしたが、了解し得ず共に水中に没した。
出典:wikipedia
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