野村 忠宏(のむら ただひろ、1974年12月10日 - )は、日本の男性柔道家。医学博士。ミキハウス所属。柔道七段。得意技は背負投。身長164cm、体重62kg。奈良県北葛城郡広陵町生まれ。天理高校 - 天理大学 - 奈良教育大学大学院-弘前大学大学院(医学研究科博士課程)修了。祖父は地元・奈良で道場「豊徳館野村道場」を開く柔道師範野村彦忠、父はロサンゼルスオリンピック金メダリストの細川伸二ら名選手を育てた元天理高校柔道部監督野村基次、叔父はミュンヘンオリンピック金メダリストの野村豊和、兄の野村忠寿も豊徳館野村道場のコーチという柔道一家。小柄な体から繰り出される多彩な技や、抜群の切れ、スピード、天性の守りのカンが天才的と称される。相手を事前に研究しないことや、試合前後の誰も寄せつけない集中ぶりから天才肌だと言われている。その他、小柄さから「小さな巨人」、得意技が背負投であることから「平成の三四郎」との異名もある。男子柔道60kg以下級の選手として、アトランタオリンピックで優勝。シドニーオリンピックにて柔道軽量級で初の2連覇。アテネオリンピックにおいて柔道史上初、全競技通してはアジア人初となる3連覇を達成。さらに夏のオリンピックでの金メダルは日本人通算100個目というメモリアルになった。アテネオリンピックでの金メダル獲得後は、近代オリンピック史上2人しかいない個人種目4連覇を視野に、北京オリンピックへの出場を目指した。しかし、2007年の全日本選抜柔道体重別選手権大会で6度目の優勝を果たした直後の練習中に右膝前十字靭帯を断裂。手術を回避したまま日本国内での代表選考会へ臨んだものの、2008年4月の全日本選抜体重別選手権準決勝で浅野大輔に敗れたため、代表に選ばれなかった。なお、この敗戦の直後には、右膝前十字靭帯の再建手術を受けている。2012年には、講道館杯の2回戦敗退によってロンドンオリンピックへの出場を逃したため、日本テレビ系列での同オリンピック中継に「アスリートコメンテーター」として出演。現役アスリートとしての視点で、柔道を初めとする競技種目の取材を経験した。2013年11月に右肩、2014年10月に左膝を相次いで手術したが、2015年の全日本実業柔道個人選手権大会での復帰を視野に現役生活を続行。2015年には、4月30日付で七段へ昇段した。柔道界では異例の若さ(40歳)での昇段で、講道館によれば、「国際大会に出場するような一級の柔道選手が七段に昇級することは非常に珍しい」という。しかし、2015年8月24日に現役引退を表明。地元の関西(ベイコム総合体育館)で同月29日に開かれる前述の全日本実業柔道個人選手権大会が「引退試合」になることも発表した。自身2年振りの実戦になった同大会では、1・2回戦でそれぞれ一本勝ちを収めたものの、3回戦で椿龍憧(ALSOK新潟所属のシード選手)に一本負け。同月31日に大阪で開いた引退記者会見では、引退の理由に「(前述の手術を受けた両膝と右肩の状態の悪化による)体の限界」を挙げたうえで、今後の抱負として「自分が主役じゃなくて、若い選手たちを主役に引き上げる仕事をしていきたい。オリンピックにも、何らかの形で関われたら嬉しい」と述べた。ちなみに、天理大学卒業後の1999年から所属しているミキハウスでは、野村の現役引退後も本人の要望に応じて活動を支援する姿勢を示している。また、隔週ペースで『ひるおび!』(TBSテレビ制作の全国ネット番組)木曜日のコメンテーターを担当。2015年11月には、現役時代にも取材・出演の経験がある『サンデースポーツ』(NHK総合テレビ)で「マンスリーキャスター」を務めた。競技生活を退いた後のレギュラー出演番組のみ記載。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。