ダルコ・パンチェフ(Darko Pančev, 1965年9月7日 - )は、マケドニア共和国・スコピエ出身の元同国及びユーゴスラビア代表サッカー選手。ポジションはFW。ユーゴスラビアが生んだ偉大なFWの一人。「コブラ」の愛称を持つ天性のゴールゲッター、利き脚、踵、膝、頭などあらゆる箇所を用いて泥臭くゴールを奪った。決して上手い選手では無かったがサポーターからは愛された。特にレッドスター・ベオグラード時代は1990-91シーズンのUEFAチャンピオンズカップ、1991年のトヨタカップ制覇など最良の時を過ごした、またユーゴスラビア代表では1990年のイタリアW杯でベスト8進出に貢献(対UAE戦で2得点)するなど前途は輝かしい物と思われた。しかし1991年から始まったユーゴスラビア内戦は暗い影を落とした。1992年の欧州選手権スウェーデン大会はマケドニア独立後も辞退せずに留まっていたものの、同年5月22日にイビチャ・オシム監督の辞任に伴い代表を辞退(予選では10得点を記録し得点ランキング1位)、クラブでは1992-93シーズンに移籍したインテル・ミラノでレギュラーの座を掴む事が出来ず、レンタル移籍に出されるなど晩年は不遇を囲った。現役引退後の2006年7月からFKヴァルダル・スコピエのスポーツ・ディレクターを務めている。
出典:wikipedia
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