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欽ちゃんのどこまでやるの!?

『欽ちゃんのどこまでやるの!』(きんちゃんのどこまでやるの!)は、1976年10月6日から1986年9月24日までNETテレビ⇒テレビ朝日系列局で放送された萩本欽一主演のバラエティ番組である。最高視聴率は40%超を記録した(後述)。通称「欽どこ」。放送時間は毎週水曜 21:00 - 21:54 (JST) 。CS放送のテレ朝チャンネルで再放送されていたが、現在は放送終了している。番組は、ステージにセットを組み、観客を入れた公開録画放送で、ホームドラマのような形式で、前期は地方都市のアパートの一室や海辺の町の一軒家、中期はとある農村の一軒家、後期は東京のアパートという設定。毎回ゲストが1人来客する。また、この間の「お茶の間ドラマ」といわれた公開コメディーの設定としては以下のとおりだった。メインのフロアとなる茶の間にカラーテレビ(番組スポンサーであったNEC製。当時NECは新日本電気→日本電気ホームエレクトロニクスで家電品も扱っていた)があり、常に電源が入っている。画面にブルーバック(時期によって赤一色であった)で、番組のタイトル(後に略タイトル「欽どこ」)が映っているのが特徴。このテレビから突然番組が始まり、アナウンサーが萩本家(と観客)に向けてニュースを放送する設定であった。なお、アナウンサーは「いつものアナウンサー」、「不慣れなアナウンサー」(のちに「少し慣れたアナウンサー」に)」を経て、斉藤清六演じる「たよりないアナウンサー」が登場。斉藤が担当していた「村の時間、の時間」では「あぜ道カット」「バイナララナイバ」などの名言が生まれ、その後は「ほんとのアナウンサー」であるテレビ朝日アナウンサー藤井暁に交代(斉藤時代を除き、そのアナウンサーが協賛社読み上げを行った)。前期では、当時萩本が出演していた小西六写真工業(番組初期の筆頭スポンサー。現在はコニカミノルタ)の写真フィルム「サクラカラー」のCMがこのテレビから毎週そのまま流された。またこのテレビから時々、ご近所のニュースが流れる(殆どがこの一家に絡むものであった)。また、あらかじめ食事の内容(献立メニューは5種類)を見せて、ゲストがどの順番で食べていくかを萩本欽一と谷啓対一般出場者が対戦形式で推理する「推理ドラマ」というコーナーもあった(のちに一般出場者同士、さらに一般出場者ペア同士の対戦となる)。正解した数の多い方が勝利となるが、5つ全問正解だと海外旅行がプレゼントされた。正解のBGMは「○○ペア 大当たり」や「みなさんみなさん 大当たり」というコーラスが流れる。最後の食事の献立は、萩本欽一が「○○はどうだ」という。前期では、エンディングの前に「名作劇場」というシリアスな内容のミニドラマのコーナーが存在した。このミニドラマの演出は萩本が担当していた。この他にも前期には「世界で一番短いドラマ」(一枚の写真に視聴者がタイトルを付けて投稿、そのタイトルの面白さを競う視聴者参加型コーナー)、「ホームドラマ」(ホームはホームでも、日本のどこかの駅のプラットホームの風景を毎回紹介するもの)といったミニコーナーが存在した。最盛期には平均視聴率30%台を記録。それまでドラマや映画を中心とした大人向けの番組が主流であった夜9時台に、ファミリー向けバラエティ番組が進出する先駆けとなった番組のひとつである。1982年に、番組は大幅なリニューアルを敢行。「推理ドラマ」「世界一短いドラマ」等を取りやめ、これまで子役タレントが担当した見栄晴と、「萩本家3人娘」が中高生となって成長していくようになったので、番組ではそれを決めるオーディションを実施。「萩本家3人娘」(のぞみ・かなえ・たまえ)からなるユニット「わらべ」が1983年「めだかの兄妹」でデビューし大ヒット。その後も1984年に「もしも明日が…。」「時計を止めて」をそれぞれヒットさせている。その萩本家3人娘の名称は、「希望(望み)叶えたまえ」を一つずつ切り離したことに由来している。1983年、のぞみ役の高部がニャンニャン事件の影響でわらべ脱退&番組降板。1985年3月で萩本の充電期間のために萩本と真屋が一旦降板、藤本、わらべの残る2人は降板し、その間には生放送で小堺と関根と男闘呼組が担当した。1985年7月のリニューアルで、萩本と真屋の二人は復帰、3人の子供たちを新キャストで再スタート。小堺一機、鳥居かほり、藤井暁によるサンドイッチが結成され、レコードが発売された。しかし、1986年9月24日の放送をもって10年の歴史にピリオドを打った。最終回ではエンディングでゲストの堀内孝雄が萩本のために作った「欽ちゃんの唄」を熱唱した後、萩本ら出演者が最後の挨拶をして番組を締めくくった。1986年4月、エンディングテーマ曲が「ハンリーラ」(唄:堀内孝雄・倉橋ルイ子)に変わると、最後のCM明けにおける提供クレジットでは、そのインストをBGMとして、観客からの拍手とともに出演者全員が横に整列して手を振りながら幕が画面いっぱいにまで下りていくという演出だったが、最終回では「もしも明日が…」の終端部分をBGMに乗せながら、観客が総立ちするシーンで終了となった。ただ両者とも「欽ちゃんのどこまでやるの! 終 」の字幕スーパーは出なかった。ちなみに、見栄晴・のぞみ・かなえ・たまえの“初代”は人形である。特に三つ子の“オチ”に当たる「たまえ」の作りは、他の人形が萩本・真屋に似せて作ってあるのに比べ、非常に手抜きかつ雑であった。のぞみ・かなえ・たまえの2代目は子役の少女たち(名字は「星野」だが、名前は不明)。系列はレギュラー版放送当時のもの。

出典:wikipedia

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