本願寺派名古屋別院(ほんがんじなごやべついん)は、愛知県名古屋市中区にある浄土真宗本願寺派の寺院。真宗大谷派の「東別院」に対して、「西別院」と通称される。伊勢国長島杉江に創建された願証寺が断絶した後、本願寺第11世宗主の顕如が織田信行に願い出て清須の地に願証寺を再興。後に長島・桑名の門徒が桑名への移転を請い、清洲は通所(分院)の一つとして残されたが、名古屋城築城による慶長14年(1609年)の清洲越しで清洲城下が丸ごと名古屋に移った際にそれに伴って現在地へ移転した。正徳14年(1715年)、桑名願証寺住職・琢誓が真宗高田派に転派した事で起きた門徒の混乱により、同寺と通所は江戸幕府に没収されたが、享保2年(1717年)の琢誓の追放で幕府より返却。その後は本願寺の末寺となり、名古屋御坊と呼ばれるようになる。翌年以降は本願寺門主が名目上の住職となって、輪番制で守護役を置く事になった。尾張徳川家3代藩主徳川綱誠の側室・梅昌院は本願寺との縁が深く、享保15年(1730年)に亡くなった際には御霊屋が奉られ、侍女21人の墓もその回りに置かれた。また、文化14年(1817年)には葛飾北斎が境内において、120畳敷の紙に「大達磨」を描く興行を行った記録が残されている。絵そのものは戦災で失われた。
出典:wikipedia
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