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座摩神

座摩神(いかすりのかみ/ざまのかみ、坐摩神)は、神祇官西院において祀られた次の5柱の神の総称。平安時代の宮中(平安京大内裏)では、神祇官西院において「御巫(みかんなぎ)」と称される女性神職、具体的には大御巫2人(のち3人)・座摩巫1人・御門巫1人・生島巫1人により重要な神々が奉斎されていた。座摩神はそれらのうち座摩巫(いかすりのみかんなぎ、坐摩巫)によって祀られた神々である。「いかすり」は「居処領(いかしり)」または「居所知」の転と見られ、総じて宮所守護の神々とされる。生井神・福井神・綱長井神は井戸の神々であるが、井泉をもって宮殿の象徴とする様は『万葉集』の「藤原宮御井歌」にも見える。波比祇神・阿須波神については具体的には明らかでないが、宮中の敷地を守る神々とされる。『古語拾遺』では、これら座摩神を「大宮地の霊(おおみやどころのみたま)」と記している。神祇官西院では、最重要視される大御巫8神は八神殿に東向きで祀られていたが、他の座摩巫5神・御門巫8神・生島巫2神は北庁内に南向きで祀られたと見られる。座摩神について『延喜式』では祈年祭祝詞・六月月次祭祝詞・神名帳に記述が見えるが、いずれも大御巫8神に次ぐ2番目に位置づけられている。また『延喜式』臨時祭の御巫条・座摩巫条によると、他の御巫は庶民から選んで良かったのに対して、座摩巫だけは都下国造一族の7歳以上の女子から選ぶと規定されている。古くは『続日本紀』において天平9年(737年)に「坐摩御巫」が爵を賜ったと見える。また、前述のように大同2年(807年)編纂の『古語拾遺』で記述が見えるほか、貞観元年(859年)には同じく宮中奉斎の櫛石窓神・豊石窓神・生島神・足島神とともに神階を従四位上に叙せられている。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、宮中神36座のうちに「座摩巫祭神五座 並大 月次新嘗」として、大社に列するとともに月次祭・新嘗祭では幣帛に預る旨が記されている。座摩神含む神祇官の祭祀は中世には衰退するが、南北朝時代までは古代の形が維持されていた。しかしながら、その後応仁の乱頃までには完全に廃絶したとされる。古代からの神祇官の祭祀は、応仁の乱頃までには完全に廃絶している。宮中諸神では、大御巫の祀る8神の祭祀は神殿(宮中三殿の1つ)に継承されているが、座摩神含む他の諸神もこの神殿の「天神地祇」のうちに含まれると考えられる。京都では、福長神社(京都府京都市上京区)が座摩5神のうち福井神・綱長井神の後継社であると伝える。この福長神社は、天正年間(1573年-1592年)頃に現在地に遷座したという。また、関連社としては坐摩神社(大阪府大阪市中央区)が知られる。坐摩神社神主の渡辺家の伝承では、この家から座摩巫を出したという。この坐摩神社は難波宮での座摩神祭祀に関係する神社と見られ、同じく宮中奉斎神のうちの生島神・足島神を祀る生國魂神社(大阪府大阪市天王寺区)の存在と併せ、朝廷による難波の重要視の様子が指摘される。以上のほか、足羽神社(福井県福井市)では5神を「大宮地の霊」として祀る。そのため、かつては「福井」という地名を福井神に由来すると見る説があった(現在では「福居」に始まり「福井」に改まったとされる)。

出典:wikipedia

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