セレガ("S'elega" )とは、日野自動車が販売している大型観光バス車両。1990年にブルーリボンRU19/60/63観光をフルモデルチェンジして発売を開始、2000年にセレガRとしてマイナーチェンジを行った。さらに、2005年8月22日にはいすゞ自動車との統合モデルとして車名も新たに“セレガ”にフルモデルチェンジした。これに伴い、いすゞ・ガーラもセレガと基本的に同一のモデルとなった。なお、ここでは現在のセレガシリーズの前身であるブルーリボンRU60/63系観光バス、日本初のスケルトンボディ観光バス・RS系、日野初の本格的な観光バスシリーズRV系、高速バス専用モデルRA100系・RA900系についても紹介する。1963年、高速輸送時代の到来に合わせて発売。名神高速道路の開通に伴って、国鉄では名神ハイウェイバスを運行することになり、日野は1960年に試作されたRX10Pを発展させたRA100Pを開発した。エンジンは路線車RB10の水平型6気筒DS80を2台抱き合わせた水平対向12気筒16リッターのDS120型・320psで当時の国内最高出力を誇った。全長12mのRA100Pと11m級のRA120Pが生産された。ボディは帝国自動車工業が国鉄向けを製造したほか、近畿日本鉄道(現近鉄バス)や日本高速自動車(現名阪近鉄バス)には金沢産業製が納入された。他に富士重工業製もある。1969年、東名ハイウェイバスの運行開始に際して国鉄はバスストップから本線への合流時に3速・80km/hの加速性能を求め、RA900Pにモデルチェンジした。エンジンはRBの後継である路線車RE用をベースにした、水平対向12気筒17リッターのDS140型・350psに出力アップした。ボディは帝国車体工業が担当し、車体デザインを一新した。ラジエーターが前面に取り付けられたスタイルが特徴である。当時、V12型エンジンを採用した三菱ふそう車(B906R型)に比べ、客室のデッドスペースが小さく、夜行便のドリーム号用にも採用された。しかし、高価で燃費も悪いことなどから、RA900-Pは国鉄専用型式として1976年まで製造された。当時の高出力観光車としては、路線系と共通シャーシのRCで事足りた。RCはターボ付も用意され、RAを採用した事業者でも一般の観光用にはこちらが主力であった。結果、RAは時期尚早であったことは否めないが、V8エンジン搭載の量産型観光バスRV100-Pにこうした経験が反映されたことも事実である。引退後、RA900Pのうち1台がつくば市の交通公園に保存されている。また、DS140型エンジンは東京・神田の交通博物館と日野自動車本社で保存しているが、前者は閉館に伴いさいたま市の鉄道博物館へ移されて引き続き展示・保存。1967年、日野初の直噴式V8エンジン・EA100型 (280ps) を搭載したRV100Pが発売された。三菱ふそうのB900系に対抗したもので、リヤアンダーエンジンのRC300系には高出力のターボ仕様(RC300PT系)もあったが、無過給のほうが扱いやすく、なおかつ高出力車を求めるニーズに対応したものである。ホイールベースはRC320と同じ5.67m(11.2m級)1種類のみ。純然たる高速車で12m級ボディのRA系に比べるとエンジン出力は中庸で、車体もRC300系と同じだったため、日野としては準高速車の位置付けであった。水平シリンダーエンジンのRCやRAが室内を広く使えるメリットがあったのに対し、V型縦置きエンジンのRV100は最後部にひときわ高いヒナ壇があり、居住性の面でも有利とは言いがたかった。後面中央には大型のラジエーターグリルが設けられ、2本の排気管が特徴的でもあった。1972年、パワーアップした「赤いエンジンシリーズ」EF300型 (290ps) 搭載のRV700系と、EG100型 (305ps) 搭載のRV500系にモデルチェンジした。また、1973年にはターボ搭載で350psにパワーアップしたRV700PT系もラインナップに加えられている。ホイールベースは5.67m(RV730/530P)に加えて6.5m(RV750/550P)が登場し、12mフルサイズにも対応するようになった。同時に前ドア後ろから屋根に段差をつけたセミデッカーとさらに大型の明かり窓を装備したパノラマデッカーが登場した。前頭部を低くし、2列目もしくは3列目から屋根を高くしたタイプは当時の主流となり、段上げの先頭部にはテレビを設けたものもある(段安上げ前頭部の屋根が少し盛り上がった「ジャンボタイプ」も一部の会社に導入された)。また、ラジエーターをオフセットしてリヤオーバーハングを短縮した事により、最後部のヒナ壇も小さくなり、室内有効長も長くなった。これによって、日野の観光バスシリーズは、RCからRVへの移行が決定的となってゆく。1977年に後述するスケルトン車RSが登場するが、価格の高いRSが高級観光バスとして導入されたのに対し、一般観光型としては引き続きRVが継続生産される。事業者の中には保守的なところもあり、RSよりもRVを好む傾向も見られた。1978年には、RS同様出力アップを図った新シリーズに移行した。フルデッカーと日野独自の設定としてフルデッカーの車高を若干低くしたミドルデッカーが登場した。しかし、高級観光バスとしてRSが登場したこともあり、同じ高級観光バスのフルデッカーを導入したのは一部のヘビーユーザーのみであまり普及しなかった。搭載エンジンは、RV700系にEF350型 (295ps)、RV500系にEF500型 (315ps) を設定し、ホイールベースは5.7m(11m級、RV731/531P)、6.13m(11.5m級、RV741/541P)、6.6m(12m級、RV761/561P)の3種類に拡大された。トランスミッションはワイドレシオのOD付5速と、高速走行の多いユーザー向けにOD付6速が選べた。ただし6速の方はRC320P-Tと共通であったため、シフトパターンが他メーカーと逆になっており、シフトミスが多かったという。ボディは日野車体工業製のほか、事業者によっては西日本車体工業(西工)や富士重工業(富士)を採用した例もあった。このモデルではボディは日野・富士・西工のいずれも観光用タイプばかりでなく、路線用タイプを架装することも可能であった。路線・貸切兼用及び中距離都市間路線用として、この路線車用ボディを架装した車両が製造された。1979年の昭和54年排出ガス規制以降は、型式の前にK-が付き、RV700系は型式末尾の数字が1から2(RV732/742/762P)に変更された。リヤのエンジンルーバーがなくなるなど外観に小変化を施し、6速ミッションが他メーカーと共通化された他、メータークラスタもRV731/531系の途中で変更。タコメータもオプションで選べるようになった。しかし、1982年にRSシリーズと統合されてスケルトンのブルーリボンRU63・RY63系に一本化され、RVシリーズは15年の歴史に幕を下ろした。同時に日野のモノコック観光バスはこれが最後となった。1977年、国内初のスケルトンボディを採用した日野スケルトン・RSを発売した。従来のモノコック構造では窓の大型化や軽量化などに限界があったが、これらのデメリットを克服し、またバリエーションの増大が進んでいたデザイン面でも差別化がなされ、当時のバス業界に大きな衝撃を与えた。なお、同年には大阪の観光バス会社・中央交通がドイツのネオプラン・シティライナーを輸入し、輸入バス共々スケルトンバスの時代が到来することになる。車体構造には角型チューブによる骨格構造が取り入れられ、モノコックでは不可能だった窓の大型化やリベットの廃止による滑らかな外板、両スイング式の乗降扉など従来の国内観光バスのイメージを大きく変えた。日野はこのために、欧州では既に一般的であったスケルトンバス(メルセデス・ベンツ製O303)を1970年に輸入し、研究・開発を行った。最初に登場したのは、11m級・ホイールベース5.6mのRS120P型で、エンジンはRV700シリーズのエンジンを改良したV8無過給のEF300型 (295ps) を搭載、ワイドサスペンションの採用など、従来のバスよりも乗り心地や性能面での向上も図られた。第1号車は高知県交通に納入され、メーカー塗装のまま活躍した。1978年には、RS120P型を改良した新シリーズが発売、RSシリーズも本格化する。12m・ホイールベース6.6mのフルデッカーで、高出力エンジンを搭載したRS360P型が登場した。エンジンはRV500シリーズと共通のV8無過給のEF500型 (315ps) を搭載した。第1号車は奈良交通にサロンバスとして納入され、日野のデザイナーが提案したカラーデザインが導入の際に同社の貸切車のカラーとして採用され、現在に至るまで採用されている。1979年には、RS100シリーズとRS300シリーズをそれぞれホイールベース2種に拡充した。低出力のRS100シリーズは、RS120PをRS121Pに変更、12m級のRS161Pが新規に追加された。一方、RS300シリーズはRS360Pの11m級タイプとしてRS320Pが追加された。昭和54年排出ガス規制適合により、規制記号K-が追加される(例:K-RS360P)。1981年には中間サイズの11.5m級のK-RS141P・K-RS340Pも追加されている。車体もより角張ったデザインになっている。なお、前頭部の窓をモノコック車にあったような、上部で斜めカットにしたフルデッカII型もラインナップされたが、導入例は少ない。多くの観光バス事業者に注目されたが、価格の高さもありRSは各社ともサロンカーや固定窓を採用した高級観光バス用として導入されることが多かった。このため、一般観光タイプとしては引き続きモノコックのRVが生産された。また、子会社に西日本車体工業(西工)を持つ西日本鉄道は、西工の車体をスケルトン化するための参考として導入した。当時は日野車を入れていなかった阪急バスでも導入実績がある。それほどRSシリーズがバス業界に与えた印象が強かったのである。他のメーカーもRSの登場に刺激され、モノコック構造ながらリベットレス化を図るなど、改良を進めた。そして、1982年には三菱自動車工業(→三菱ふそうトラック・バス)がエアロバスを発売し、リベットレス、スケルトンへの流れが決定的になっていった。日野も同年、RVをRSと統合し、ブルーリボンRU60/63に移行する。RSはスタイルの良さも手伝って全国的に導入されていったが、保守的な一部のバス事業者にはRSに興味を示さず、併売されたRVを増備するケースもあった。南九州では鹿児島交通と林田産業交通(当時)が共同出資で設立した鹿児島空港リムジン(現いわさきバスネットワーク)を中心にK-RS340Pを積極的に導入していたが、隣県の宮崎交通は引き続きRV731P/K-RV732Pを導入しており、青森県の弘南バスなどでもフルデッカーのRVが継続して導入されていた。ブルーリボンRUではRSで課題とされたパワー不足や、軽量化のために採用されたスケルトンボディなのに逆に重量増を招いたことの反省から、大幅に商品力を高めた。RSは2000年代に入って経年による廃車が相次ぎ、現存する車両はかなり少ないと見られる。1982年、それまでのRV系とRS系を統合し、スケルトンボディのRU60/63系観光バスが登場する。このRU60/63系観光バスと同時にスケルトンボディとなった路線バスの名称にブルーリボンが与えられ、日野のバスにブルーリボンの名称が復活する。このRU60/63系観光バスはHT/HU系路線バスと区別するため、ブルーリボンRU60/63系と呼ばれることもある。当初フルデッカ (FD) とミドルデッカ (FM) 、スタンダード(標準床)の3種類が用意された。またRS同様フルデッカII型もラインナップされたが、導入例は少ない。フルデッカは他社のハイデッカーに相当する車種である。基本設計がRS系と同じであるため、窓の大きさが若干大きくなった程度で見た目の変更点は少ない。また、RSでは重量に対してパワー不足が指摘されたので、エンジンは新たに16,260ccのEF550 (300PS) と16,745ccのEF750 (330PS) が、それぞれ搭載された。また運転席のインストルメントパネルも一新された。1984年に排気ガス規制 (P-) 対応でエンジンを規制に適合させているが、外観の変化はごくわずかである。型式はエンジンとホイールベースによって決まり、以下のようになる。昭和58年排ガス規制適合車は上記の先頭の型式がP-となる。なお日野車体のほか、富士重・西工ボディでも製造された。1985年、昭和60年騒音規制対応と多様化するニーズに応えるべくフルモデルチェンジ並みの大幅な改良を受ける。ボディスタイルは初期型がRSの流れを汲む直線基調だったのに対し、フロントウィンドがやや寝かされ、全体に丸みを帯びた三菱ふそう・エアロバスの影響を受けたスタイルになった。また、前輪独立懸架(ダブルウィッシュボーン)サスペンション車が追加され、ブレーキが従来のフルエア式から空気油圧複合式に変更された。車種は標準床が廃止され、従来からのミドルデッカ、フルデッカ以外に、新たにスーパーミドルデッカ(ミドルデッカとフルデッカの中間の車高)とグランデッカ(フルデッカより車高が高いスーパーハイデッカー車、EF750のみの設定)が設定された。エンジンはEF550 (300PS) とEF750 (330PS) がそのまま搭載されている。型式は前期形と同じだが、P-RU638BBと末尾が変化している。なお前輪車軸懸架式はP-RU638BAとなる。製造実績が極めて少ないフルエアブレーキ車はP-RU638CBとなる(ホイルベース6.6m、EF750エンジンの場合。他のエンジン・ホイールベースの場合は数字がそれにあわせて変化する)。ミドルデッカ(高床III)はもっとも車高の低い車種で、車内にホイルハウス張り出しが残るなど、実質的には標準床に近い。サスペンションは前輪車軸懸架式で、エンジンはEF550搭載車が多く、EF750搭載車は少ない。ただし若干前輪独立懸架式も見られる。スーパーミドルデッカ(高床II)は日野独特の車種で、前輪独立懸架式となる。エンジンはミドルデッカとは異なり、EF750搭載車が多く、EF550搭載車は少ない。このモデルにおいて主に上高地に乗り入れに用いられる11m車(P-RU636BB形)が多数見られる。フルデッカ(高床I)は他社のハイデッカーに相当する車種である。エンジンは基本的にEF750搭載車のみと思われる。また車体長は12m車(ホイルベース6.6m)が多いが、11.5m車(ホイルベース6.2m)もある。グランシリーズ(超高床)は他社のスーパーハイデッカーに相当する車種である。全てエンジンがEF750搭載車で、全長12m車である。1988年にはスイング式の乗降扉に1枚窓風のより曲線的なデザインとしたものが追加された。1990年にブルーリボンRU60/63系の観光バスシリーズは、セレガにモデルチェンジする形で生産終了し、ブルーリボンは以後路線バス専用の名称となる。セレガシリーズに準じ、ミドルデッカをFM、スーパーミドルデッカをFS、フルデッカをFD、グランデッカをGD、グランジェットをGJ、グランシアターをGTと呼ぶ場合が多い。なお日野車体のほか、富士・西工ボディでも製造された。1986年に追加された大型2.5m幅の9m観光バス。日野・セレガFCを参照。1983年の東京モーターショーで試作車を発表、1985年1月に発売された。市販価格は4950万円。型式はP-RY638AA。日野自動車としては、初の本格的2階建て観光バスである(過去の実績はいずれも近畿日本鉄道:現在の近鉄バスに納入された、「ビスタコーチ」(車体は近畿車輛で架装)とRE161改があるが、ともに路線バス向けの設計。ただしRE161改は乗合での登録が得られず貸切車として運行した)。車体デザインは従来のRS系から脱し、大型の角型ライト2個にフォグランプを配したデザインで、これは追ってRU60/63B系のモデルチェンジ時に同じデザインが採用されている。また、構造はシャーシ部分から完全にスケルトン化し(RU系は他メーカーでの架装の都合上、モノコック構造にも対応する必要があった)、エンジンはEF750T型ツインターボ付きV型8気筒エンジン(360ps)で、フィンガーコントロールの「FFシフト」を初めて採用。前輪に独立懸架、全輪ディスクブレーキ、フォイト製流体式リターダを採用するなど、意欲的なつくりであった。第1号車はこれ迄の実績から近畿日本鉄道に納入され、近鉄特急の看板車両と同じ「ビスタカー」の愛称を得た。塗装デザインもメーカーが用意したものをそのまま採用し、のちスーパーハイデッカー車にも波及している。他に道南バスが3台、奈良交通が2台、北海道中央バス、阿寒バス、岩手県北自動車、大阪市交通局、長崎自動車などが1台ずつ導入した。しかし、2階建てバスは1980年代前半のブーム時に輸入車でほとんど一巡したことに加え、1985〜1986年には2階建てバスによる事故が多発したことなどでイメージが悪化。さらに全高3.8mに制限される日本国内では居住性も犠牲になるため、以後は「2階だけバス」とも呼ばれたスーパーハイデッカーに主力が移り、1990年に生産を中止した。この5年間の累計販売台数はわずか12台で、とても開発コストに見合うものではなかった。現在はほとんどが売却され、他の事業者などに渡っている。なお、1階部分のないタイプもカタログ上には設定されていたが、販売実績はない。また、グランビューは日野の大型バスとしては唯一の3軸車でもあった。2階建てバスは、1990年代以降は収容力の高さを生かし高速バスにて使用されたが、日野が再度参入することはなかった。2005年には最後まで残った三菱ふそうも生産中止した。2008年に生産が再開されたものの、2010年には再び生産終了し、現在日本で2階建てバスを生産しているメーカーは無い。一般型は1990〜2005年、HIMR・ハイブリッドは1997〜2007年製造。初代セレガは1990年7月、ブルーリボンRU60/63B系の後継モデルとして登場した。「セレガ」とは新しい車種のデザイン方針である「Sexy & ELEGAnt(セクシーで、なおかつ優雅に)」をそのまま車種名とし、従来モデルに比べてフラッシュサーフェス化と柔らかな前面造形を与えられた車体が架装されている。スケルトンRS以来のフルモデルチェンジとなり、車体の外観は一新されたが、構造面ではブルーリボンRU60/63B系と共通の部分が多い。キャッチコピーは「ドラマチック・メディア」で、バスとしては異例のテレビCMを放送した。車種構成はほぼブルーリボンRU60-63B系を踏襲して次のとおりとなった。型式はエンジンとホイールベースによって決まり、以下のようになる。エンジンは、平成元年排出ガス規制に適合(適合記号:U-)した、F17D型 (310ps)、F17E (340ps)、F20C型 (370ps) の3種類が設定されている。各車種におけるエンジン設定は、FMは低出力のF17D型のみ、FSは低出力のF17D型と標準出力のF17E型、FDとGD・GJ・GTは標準出力のF17E型と高出力のF20C型の設定である。なお1992年にはF20C型エンジンの出力が380psに引き上げられ、高出力11.5m車の設定がなくなった。高出力エンジンのシャーシが3F、標準出力のシャーシが2F、低出力エンジンのシャーシが1Fとなり、これにホイルベースの長さで3種類(T、R、N)に分かれている。サスペンションは、FMを除き前輪独立懸架(FMは車軸懸架でアルファベットがAAになる。)・後輪車軸懸架方式のエアサスペンションで、電子制御フレキシブルショックアブソーバーがオプション設定されている。形式はエアオーバーブレーキ(空気油圧複合式)車がU-RU3FTAB、フルエアブレーキ車はU-RU3FTBBとなる(いずれもホイルベース6,480mm、F20C型エンジンの場合。他のエンジン・ホイールベースの場合は数字がそれにあわせて変化する。FMは設定なし)。トランスミッションは、6速マニュアルでロッド式パワーシフトと、FFシフトが用意されている。エンジンワンキー操作が標準設定された。前モデルのブルーリボングランデッカのエンジンがスーパーハイデッカとしては330psと出力不足だったこともあり、当時路線開設が相次いだ夜行高速バスでのシェアが355psのエンジンを搭載したエアロクィーンMに対して劣勢だった。そのためセレガにおいては当時の2軸観光バスとしては最高出力である370psのエンジンを搭載した。これが後に、他のメーカーとの間で観光バスのパワーウォーズを引き起こし、数年後には400psを超えるエンジンを搭載するバスを各社が発売することになる。特に、1990年の発売直後に、GD/GJには夜行高速専用として「インターシティ」が追加された。これは3列独立座席、床下トイレ・仮眠室などの装備を一通り揃えたもので、従来ではシートピッチなどで座席により当たり外れが大きかった夜行バスの居住性を改善し、事業者にとっても購入しやすい仕様として提案された。同年秋から近畿日本鉄道・西東京バスなどを皮切りに採用された。なお、GJのインターシティ仕様の導入は中央観光バス(現・ジパング)に導入された「ジパング・プライオリティ」が唯一例である。1994年1月にはマイナーチェンジが実施された。12m車は定員増に対応するため軸重配分の見直しとそれに伴うホイールベースの短縮とフロントオーバーハングの延長(当初はGD、GJ、FDで実施、後にFSでも実施)、フルトラスフレームの採用、など車体構造が大幅に変更された。従来の車体がブルーリボンRU60/63B系の外観を変えただけに近かったのに対して、大幅に手が入れられた。外観はホイールベースの変更以外に大きな変化は無い。型式はエンジンとホイールベースによって決まり、以下のようになる。エンジンはF20C型の出力が400psまでにアップされ、前年にモデルチェンジしたニューエアロバス・エアロクィーンと肩を並べた。なおFMにおいてはホイールベースの短縮は行われず、外観の変化は少ない。また、GD・GJの標準出力のF17E型エンジン搭載車が廃止となっており、エンジンは高出力のF20C型に統一されている。シアターシートのGTはこのマイナーチェンジで廃止された。なお日野車体のほか、富士重/西工ボディでも製造された。1995年からは平成6年排気ガス規制(短期規制、規制記号:KC-)に適合し、マイナーチェンジが行われた。標準出力エンジンは従来高出力エンジンだったF20C型をディチューンして燃料噴射量を絞り出力を400psから355psに落とし排ガス規制に適合させ、高出力エンジンは当時の国産バス最強の430psを発揮する新型のF21C型を搭載、新たに補助エンジンブレーキ「日野エンジンリターダ」のオプション設定が行われた(Gシリーズは標準)。車体の変化は後部エンジンリッドの形状変更(特にノブの廃止)、後部尾灯間のリアガーニッシュの色が赤からシルバーに変更されるなど目立ったものは少なく、運転席のインパネがブルーリボンRU60/63B系と共通の物からスーパードルフィンプロフィアに似たラウンド型となり、エンジン回転計を左側に配し右側の速度計と同じ大きさにした乗用車感覚のレイアウトになった。また前回のマイナーチェンジでホイールベースに変化がなかったFSがホイールベースを短縮され、他のモデルと同じホイールベースとなった。FDとFSは外見では給油口の位置やホイールアーチ形状で識別でき、Gシリーズ同様に給油口が前輪の前にあり、かつGシリーズ同様にホイールアーチの形状が半円形の車両がFD、給油口がホイールベース間(エアコン部分)にあり、ホイールアーチの形状が台形の車両がFSである。形式はエアオーバーブレーキ車がKC-RU4FSCBに、フルエアブレーキ車がKC-RU4FSDB(いずれもホイルベース6,200mm、F21C型エンジンの場合。他のエンジン・ホイールベースの場合は数字がそれにあわせて変化する)に変更された。また全長10,990mm車と、もっとも背の低く前輪車軸懸架のFMが廃止された。1998年12月に、FDに装備を簡略化し低価格としたスタンダード観光が追加されたほか、運転席に3点式シートベルトを標準装備し、運転席および客席についても改良している。なお日野車体工業のほか、富士重/西工ボディでも製造されたが、富士重工業は1998年に、日野自動車向けのバス車体の架装を中止した。セレガRは、2000年(平成12年)夏からおよそ5年間にわたり発売された、初代セレガシリーズのマイナーチェンジ車種である。愛称は「セレガール」。平成11年排出ガス規制(規制記号:KL-)と中期安全ブレーキ規制に適合、ボディ強度の向上やホイールパーク式駐車ブレーキ、集中故障診断システムの採用など、一段と信頼性の高いシリーズへと進化を遂げている。基本的なスタイリングはマイナーチェンジ前と大きく変わらないが、ヘッドライト周りがメンテナンス性を向上させた設計になり、前面の印象がより精悍なものへと変化している。また、コンビネーションランプ(特に端部)の形状も変更された。エンジンは、国産2軸バス最高レベルの出力を持つ、331kW(=450ps)のF17D
出典:wikipedia
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