堀内 賢雄(ほりうち けんゆう、1957年7月30日 - )は、日本の声優、ナレーターであり、自らが設立したケンユウオフィスの代表取締役でもある。この他、talk backという声優の養成機関も運営している。代表的な出演作品としては『機動戦士ガンダムΖΖ』(マシュマー・セロ)、『フルハウス』(ジェシー・コクラン)、『ビバリーヒルズ高校白書』(スティーブ・サンダース)などがある。1957年7月30日 に、静岡県御殿場市で生まれた。御殿場市立御殿場中学校を卒業後、日本大学三島高等学校にスポーツ特待生で入学 するも、1年生時に身体を壊して転校し、逗子開成高等学校(タレントの吉村明宏とは同窓)を卒業。なお、日大三島高校時代は野球部に所属していた。このためか、『日本タレント名鑑』(2011年版)では特技の欄に野球とある。ポジションは、ピッチャー。中学時代はキャプテンも務めた。小学生時代に朗読を褒められたこと から高校卒業後にはDJになることを目指し、19歳の時に東京アナウンスアカデミーの1週間の基礎科集中講座を受講。そのままDJコースに進むか考えるが、DJという職業は教わってなるものではないと考え、ディスコやクラブで飛び込みのDJや司会の仕事をするようになる。目標にしていたDJは、小林克也や糸居五郎。次第にテレビ番組のナレーションやレポーターなどの仕事もするようになり、知り合ったテレビ局プロデューサーに「役者になった方が面白いかもしれない」と言われる。当初は断っていたが、次第に興味を惹かれるようになり、たてかべ和也のオフィス央を紹介され、所属。たまたま受けたオーディションに合格し、特撮番組『アンドロメロス』のアンドロウルフ役(1983年)でデビューした。最初は素人同然で声優になったため、無我夢中で演じても全く上手くいかず毎回居残り練習の連続だったと言い、地獄だったと当時を振り返る。そこで山之内雅人に師事し、仕事をしながら演技を学んだ。あまりの下手さに多数の監督たちから指導され、「今の堀内を造ったのは自分だ」と思ってくれている人が10人以上いるとのこと。1984年3月 に、オフィス央と合併したぷろだくしょんバオバブに移籍。古田信幸から「勉強会のつもりでやってみないか」と声を掛けられ、2001年 からワークショップ「talk back」を主宰。バオバブとの契約は20年となっており、契約切れになったらフリーになろうと思っていたが、ワークショップで出会った人たちをどうにかできないかと考え、独立して2002年5月 にケンユウオフィスを設立し、その代表取締役に就任した。2012年、第6回声優アワード「富山敬賞」を受賞。外国映画や海外ドラマ等での吹き替えを中心としており、主な持ち役はブラッド・ピットやチャーリー・シーン、ベン・アフレック、ベン・スティラーなどが挙げられる。またアニメやドラマCD、ゲームでも幅広く活躍。甘い声を生かした正統派の二枚目役 を演じることが多い。死去した富山敬、鈴置洋孝、青野武から持ち役の一部を引き継いでいる。堀内自身は、自分の声を「軽やかな優しい」声と評している。ケンユウオフィス設立当初は、そのネーミングも手伝って、新会社設立を信じてもらえず「ケンユウのことだから冗談だと思った」という話もあった。ゲーム『ぼくのなつやすみ』の大ファンであり、いつかは自分も出演したいと思っていたが、その願いは『ぼくのなつやすみ3 -北国編- 小さなボクの大草原』で実現した。また、『サザエさん』にも兼ねてから出演を熱望していたらしく、これも念願叶って出演を果たしている。『超攻速ガルビオン』で笑う演技が何度演じても上手くできず、居残りをさせられた挙句「1週間考えて来い」と宿題にされた末にOKを貰ったことを、印象深かった仕事として挙げている。人生最大の後悔は野球を止めたことを挙げており、「無理をしてでもやれば良かった」とも回顧していた。元妻は松井菜桜子。日本テレビの番組で知り合ったフリーアナウンサーの夏坂ちひろ(本名:渡辺広子)と再婚し、2012年現在は2児の父親でもある。なお長女はCDに収録された歌のバックコーラスに参加したこともあり、「戦争を知らない子どもたち」などで、親子での共演を果たしている。高校以来の友人でもある小杉十郎太 とともに、イベント『けんじゅうトークライブ』を不定期に開催している。そのイベント内容を収録したCD『けんじゅうトークライブ おれたちは悪くない』がインターコミュニケーションズから、2002年12月20日と2003年12月19日に発売されている。ケンユウオフィス取締役を務めた声優たてかべ和也は、才能を見出した恩人であり盟友・親友。最初に所属したオフィス央から現在のケンユウオフィスまで堀内が声優として所属した全ての事務所に所属した先輩であり、堀内も「我が師匠」と呼ぶほどの人物。たてかべが死去した際には、ケンユウオフィスが葬儀主催となり堀内が葬儀委員長を務めた。また、葬儀の挨拶前には公式サイトで「あなたの教えを忘れずに最後まで涙を見せずに見送らせていただきます」と表明していたが、師匠であり長年の親友でもあったたてかべを失ったショックは大きく、涙声でたてかべの遺影に向けて「かべさーん、かべさーん」と叫び、「日本一の師匠でした」と感謝の言葉を述べた。「大好きな写真」と言ってマネージャーに見せた写真は、2人が並んで笑顔を見せている写真だった。1994年以来、女性向けゲーム「アンジェリークシリーズ」に出演しており、関連イベントではステージにも立っている。なお、ネオロマンス作品(女性向け作品)でのイベント出演回数が、2010年7月10日昼公演をもって通算100回を迎えた。『林原めぐみのTokyo Boogie Night』では、長年提供クレジット読みのナレーションを担当している。2002年9月20日から、インターネット上の無料動画配信サービス『ヒマツブシTV』にて、堀内によるインターネットトーク番組『嗚呼ゆえばKENYU』が配信された。この配信は約2年間続き通算100回、更新はほぼ週1回で行われた。2006年5月31日に放送された『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』では「工事現場の看板に声を入れるとしたら誰になるか」という検証(トリビアの種)が行われ、音響監督の浦上靖夫、大熊昭、田中章喜がオーディションを行い、その結果「聞いていて飽きない」「安心感がある」などという理由から堀内が選出された。※太字はメインキャラクター。2016年1985年1986年1987年1988年1989年1990年1991年1992年1993年1994年1995年1996年 1997年1998年1999年2000年2002年2004年2005年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2015年1984年1986年1988年1990年1993年1994年1996年1997年1999年2001年2002年2004年2006年2007年2009年2010年2011年2012年2014年2015年2016年2015年1991年1993年1995年1996年1997年1998年1999年2000年2001年2002年2003年2004年2005年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年1983年1984年
出典:wikipedia
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