小林 清志(こばやし きよし、1933年1月11日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京俳優生活協同組合に所属。創立メンバーの一人でもある。主な出演作は『妖怪人間ベム』(1968年)のベム、『ルパン三世』シリーズの次元大介など。また、『SASUKE』、『中居正広の金曜日のスマたちへ』、『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』等のナレーションも多く担当。洋画ではジェームズ・コバーン、リー・マーヴィンの専属吹き替えをしている。東京府(現:東京都)で生まれた。第二次世界大戦中、疎開先の旧制不動岡中学時代は卓球の県代表を務めた。なお中学時代には、映画監督か脚本家を漠然と志望していた。英語の成績が優秀で、高校時代から高校生相手に英語の通信教育の添削者を務めていた。東京大学の受験に失敗して、東京都立小石川高等学校を卒業後に浪人生活を送ったのを機会に日本大学芸術学部の演劇科へ進学。小林が演劇を始めたのは、大学に在学していた時のことである。このときの同窓生は、宍戸錠、ケーシー高峰、石橋雅史、飯塚昭三、たてかべ和也、田中康郎らである。大学在学中に家城巳代治、山本薩夫といった監督の独立プロダクション系の映画に端役で出演。日本大学芸術学部演劇科を卒業すると、泉座の研究生となり、中国の戯曲で舞台役者として活動した。小林が声優としての活動を始めたのは、30代になってからのことである。声優になったきっかけは、日本大学演劇科卒業生の集まりで、後輩の小林守夫と出会ったことによる。小林守夫は、海外作品の日本語版を制作する東北新社のディレクターだった人物である。舞台劇『ケイン号の反乱』の翻訳の腕を買われて、アメリカ映画の翻訳の話が持ち上がり、小林守夫の紹介により東北新社の植村伴次郎社長に会うと声優の仕事も誘われ、1958年より海外作品の吹替の仕事を始めるようになった。当初は1ヶ月に2本のペースで翻訳も手がけ、1962年の刑事ものの『ジスマン・ドーソン』では初の主役を演じると同時に翻訳も担当する多忙ぶりであったが、やがて声優に専念した。1963年の『鉄腕アトム』以降はアニメの仕事もこなすようになる。吹替作品の草創期より活躍している。持ち役には、ジェームズ・コバーンやリー・マーヴィン、トミー・リー・ジョーンズがある。アニメ声優としても草創期から活躍しており、冷静沈着な人物や、悪役から味方側の長官役まで幅広く演じている。低くて重い、渋い声を生かしてナレーターの仕事もこなし、多くのアニメ・吹き替え・CMナレーション等で活躍を続けている。英語を得意としており、高校時代からアルバイトで、大学受験の通信講座で添削指導を行なっていた。泉座時代には舞台劇『ケイン号の叛乱』の翻訳を担当した。声優になる前から、舞台役者の副業として翻訳家のアルバイトを続けたほどの腕前である。中には翻訳・出演・演出を共に行った作品も存在する。演劇の心得があった本人が、収録時に役者があまりに下手であったため「自分がやった方がマシになる」と思ったことから声優業を始めたと言う逸話がある。パソコン通信でアメリカの大手商用サービスCompuServeも利用していたという。このほか、フライトシミュレータなど、コンピュータを扱った趣味も多彩である。山田康雄亡き後、納谷悟朗や野沢那智と共にクリント・イーストウッド等の役を引き継ぎ、小林は主にビデオ/DVD版を担当している。共演者には声が変わっていないと言われることがあるが、本人はこのことを否定している。「(若い頃の)張り詰めた声は、若い時にしか出ないね」と語っている。自分が吹き替えをしている作品でその商品を買って自分の声の確認もしており、我ながら自分で驚くこともあるという。映画のジャンルではマカロニウエスタンが好きで、特に自身も吹き替えで出演している『夕陽のギャングたち』はお気に入りの一つである。好きな俳優ではジャン・マリア・ヴォロンテを挙げており、『夕陽のガンマン』で決まった際には嬉しかったという。収録の際には、声だけでなくマイクの立ち位置も意識しており、ナレーションや『夕陽のギャングたち』等の吹き替え収録においてもかなりの注文を行っているという。「技術的に同じような声を出しても、マイクの位置によって声の違いが分かる」「最初にマイク位置がピシッと決まらないと、声がボケてしまって気持ちが悪い。このままOAされるのは嫌だから自分で確認する」との事。また、近年のアニメの録音の際に画がほとんど入らないことに対して「どの番組でもオンエアには間に合っているんだから、我々が声を入れる時に画を間に合わせられないっていうことはないはずなんですがね」と不満を述べている。さらに、「世界に誇る日本のアニメは、『輸出すれば、海外の俳優が声を入れるんだから、(国内のアフレコは)この仕組みでいい』という感じかも知れませんが、それじゃあ『声なんてどうでもいい』と言われてるみたいでね。この状況を少し考えたほうがいいんじゃないかと思いますね」と苦言を呈している。吹き替えの際には元の俳優の声も意識するようにしており、持ち役のリー・マーヴィンのような本人曰く「すごい声」をしている俳優に関してはそれなりの声を出すように心がけている。マーヴィンは本人によれば声を出すのが一番難しいらしく、「彼は低い声だけでなく、張る声が多い。だから、(声を当てるときは)こちらも低いだけじゃなく、張りが必要になる」ため、非常に苦労したと語っている。声優業が専業になる前から舞台の芝居を多く行っているために、他のベテランと同様に「声優である前に俳優である」という意識が強い。そのため、「声優と言われるのは嫌いなんです。だから、職業欄には俳優と書きますよ。今でも声優とは言えない」と述べている。ナレーション業も多く、「実物が出てきて見ている人に印象づけるより、顔を隠したほうがいい」との考えを持つことから、テレビへの顔出し出演は拒否する傾向がある。『大胆MAP』の声優特集においても顔出し出演を拒否し電話で出演、上記の理由から俳協の宣材写真もNGを出したため、代わりにほっしゃん。が描いた似顔絵が公開された。しかし、近年ではアニメや吹き替えのインタビューなどで顔出し出演が増えてきている。また納谷悟朗が死去した際には「戦友だから出ないわけにもいかない」との理由で、2013年3月12日放送分の『ZIP!』では顔出しでインタビューに答えている。イメージ一新を図りメインキャラクターの声優を総入れ替えした『ルパン三世 風魔一族の陰謀』を除き、『ルパン三世』シリーズにおいてパイロット版から現在まで、一貫して声優が変更されていないのは、次元役の小林だけである。2011年以降は、メインキャスト5人のうち、パイロット版から出演している唯一のキャストとなり、最年長となる。原作者のモンキー・パンチによると、元々次元のイメージは『荒野の七人』のジェームズ・コバーンであり、そのイメージからジェームズ・コバーンの吹替えを持ち役としていた小林に次元役を決定したということである。軽薄なイメージのルパンとは対称的な、渋いイメージの次元のキャラクターであるが、ルパン役の山田康雄、及び山田の後任である栗田貫一がアドリブを多用するのとは対称的に、小林による演技は、ほとんどアドリブを入れず、一語一語しっかり発音している。小林本人の弁によると、次元の声は完全に地声であり、今まで演じてきた役の中で、最も無理をせずに自分にとって楽なトーンでしゃべれる役だという。また次元大介は自分の集大成であり、自分と一体化した存在であると語っている。山田康雄を「ヤスベエ」と呼び、プライベートでも親しい交友があったという。また、山田の没後に彼が専属で担当していたクリント・イーストウッドの吹き替えを幾つかの作品で引き継いでいる。ルパンの音楽を担当している作曲家の大野雄二によると、大野が母親を亡くした時に、小林は大野に「お前はマザコンっぽいところがあるから気を落とすなよ」という、まるで次元が励ましているかのような手紙を送ってきたという。次元を演じ始めた当時のことについて小林は、「最初の頃は、次元の持つ鋭さを出すのが難しかったが、葛藤を通り過ぎると自分のものになったというか、自分が次元に近づいていった」と述べている。小林が『ルパン三世』の中で一番好きな作品は、『ルパン三世 ロシアより愛をこめて』。その理由は、「次元が活躍する作品で、ロマンスもある」からとのこと。※太字はメインキャラクター。[[Category:日本の男性声優]][[Category:日本の俳優]][[Category:日本のナレーター]][[Category:東京俳優生活協同組合]][[Category:1933年生]][[Category:日本大学出身の人物]][[Category:東京都出身の人物]][[Category:存命人物]]
出典:wikipedia
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