国際放射線防護委員会(こくさいほうしゃせんぼうごいいんかい、、)は、専門家の立場から放射線防護に関する勧告を行う民間の国際学術組織である。ICRPはイギリスの非営利団体(NPO)として公認の慈善団体であり、科学事務局の所在地はカナダのオタワに設けられている。助成金の拠出機関は、国際原子力機関や経済協力開発機構原子力機関などの原子力機関をはじめ、世界保健機構、ISRや国際放射線防護学会(International Radiation Protection Association; IRPA)などの放射線防護に関する学会、イギリス、アメリカ、欧州共同体、スウェーデン、日本、アルゼンチン、カナダなどの各国内にある機関からなされている。医学分野で放射線の影響に対する懸念の高まりを受けて、1928年にスウェーデンのストックホルムで国際放射線学会(International Society of Radiology; ISR)の主催により開かれた第2回国際放射線医学会議(International Congress of Radiology; ICR)において放射線医学の専門家を中心として「国際X線およびラジウム防護委員会」(International X-ray and Radium Protection Committee; IXRPC)が創設され、X線とラジウムへの過剰暴露の危険性に対して勧告が行われた。1950年にロンドンで開かれたICRにて、医学分野以外での使用もよく考慮するために組織を再構築し、現在の名称「International Commission on Radiological Protection; ICR」に改称された。スウェーデン国立放射線防護研究所の所長であったロルフ・マキシミリアン・シーベルトは1929年にIXRPCの委員に就任し、ICRPに改組後も1958年から1962年まで委員長を務めた。ICRPは主委員会と5つの専門委員会 (Committee) からなり、必要に応じてタスク(課題)グループが作られる。ICRPの刊行物のリストはICRPのサイトで閲覧可能。批判には、その基準が緩過ぎるとする批判、逆に厳し過ぎる、あるいは間違っているとするものまである。IXRPCからICRPに再構築された際に、放射線医学、放射線遺伝学の専門家以外に原子力関係の専門家も委員に加わるようになり、ある限度の放射線被曝を正当化しようとする勢力の介入によって委員会の性格は変質していったとの指摘がある。ICRPに改組されてから、核実験や原子力利用を遂行するにあたり、一般人に対する基準が設けられ、1954年には暫定線量限度、1958年には線量限度が勧告で出され、許容線量でないことは強調されたが、一般人に対する基準が新たに設定されたことに対して、アルベルト・シュヴァイツァーは、誰が彼らに許容することを許したのか、と憤ったという。1954年には、被曝低減の原則を「可能な最低限のレベルに」(to the lowest possible level)としていたが、1956年には「実行できるだけ低く」(as low as practicable)、1965年には「容易に達成できるだけ低く」(as low as readily achievable)と後退した表現となり、「経済的および社会的考慮も計算に入れて」という字句も加えられ、1973年には「合理的に達成できるだけ低く」(as low as reasonably Achievable)とさらに後退した表現となった。これらの基準運用の原則は、頭文字を取って、それぞれ、ALAP(1954年、1956年)、ALARA1(1965年)、ALARA2(1973年)と呼ぶ。ウェード・アリソンは、「実際に行われている放射線治療における分割照射は放射線照射が正常な細胞に与えるダメージが修復される時間を事実上1日とし、治療において正常細胞が受ける線量率はICRPの定めた一般人向け上限線量率の20万倍に達するが、ICRP は被曝限度を年間の総量で示しているだけで既存の安全基準は急性被曝と慢性被曝の影響の違いをほとんど無視している」、と主張している。またアリソンは、実際のデータが示す単回急性被曝で問題がないと判断される100ミリシーベルトを1ヵ月の許容限度に設定できると主張しているが、これはICRPの許容する年間1ミリシーベルトの千倍の許容量である。元ICRP委員(1997年より4年間)の中村仁信は、「ICRP は,少しの放射線でも危険とする理由として,1個の突然変異でもがんの可能性があると主張してきたがこれが間違いであることが明らかになっている」と主張している。近藤宗平は「ICRPが出す勧告は、日本を含む世界各国の放射線障害防止に関する法令の基礎にされているが、実際の資料に基づいていないため、虚偽の情報」としている。これは完全な事実誤認である。ICRPの設立は1928年であり、オットー・ハーンが核分裂反応を発見する1938年以前のことである。ちなみに最初の原子力発電所であるソ連のオブニンスク発電所が運転を開始したのは1954年。一方欧州放射線リスク委員会は、IAEAなどの原子力推進側の人物がICRP委員会の正会員でありICRP勧告(2007年)にも参加している事を報告している。2007年の勧告では、1年間の被曝限度となる放射線量を平常時は1mSv未満、緊急時には20~100mSv、緊急事故後の復旧時は1〜20mSvと定めている。この勧告に基づき、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う福島第一原子力発電所事故に際し、ICRPは日本政府に対して被曝放射線量の許容値を通常の20~100倍に引き上げることを提案した。ただし、事故後も住民が住み続ける場合は1〜20mSvを限度とし、長期的には1mSv未満を目指すべきだとしている。これを受け内閣府の原子力安全委員会は、累積被曝量が20mSvを超えた地域において防護措置をとるという方針を政府に提言した。
出典:wikipedia
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