砂川駅(すながわえき)は、北海道砂川市東2条北3丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅。駅番号はA20。電報略号はスナ。砂川市の代表駅で、特急は「スーパーカムイ」の全列車と「オホーツク」の2往復(下り1・7号、上り2・8号)、「スーパー宗谷」1号、「サロベツ」が停車する。幌内鉄道を受け継いだ北海道炭礦鉄道は、明治23年4月9日、夕張と空知の両炭山開発を進めるため、それぞれの支線とそれが繋がる幹線計画を北海道庁に提出した。この計画で、空知炭山支線(歌志内線のこと)の分岐点に策定されたのが当駅である。計画当初の仮称は「歌志内」で、後に「砂川」に改められて「歌志内」は支線の終点駅名にされた。なお、開業時は幹線支線共に空知線と称された。歌志内や上砂川の空知炭田から出炭される石炭貨物の中継基地だった。また、周囲には枕木の防腐処理工場(大正時代初頭まで)や枕木製造の木工場、軌道用の砂利採取場(昭和37年まで)を抱え、鉄道敷設に欠かせない資材供給の拠点でもあった。特に中国大陸へ進出していた昭和の初めから終戦までは国内のみならず満州や中国の鉄道用に大量の枕木が生産発送されて、町中を木材の匂いが覆い、石炭よりも木材の町としての印象が大きかった。2面3線の相対式・島式ホームを持ち、乗り場は駅舎側から3、2、1番線と並ぶ。ホームは跨線橋で結ばれているが、エレベーターやエスカレータの設置はない。かつては運炭路線の歌志内線・上砂川支線が発着していたことから多数の側線を有していたが、現在は撤去されている。駅舎は西側に置かれている。みどりの窓口を持つ社員配置駅(6時40分から18時30分まで、夜間連絡先は滝川駅)。自動券売機設置。普通列車のほか、大部分の特急列車が停車する札幌駅 - 旭川駅間の特急停車駅では、唯一自動改札機が導入されていない駅であるため、窓口営業時間外は車掌によるきっぷの回収が行われる以外は改札口に設置の回収箱による回収となる。アイヌ語の「オタ・ウシ・ナイ(砂の多い川)」の意訳から。駅が所在する市名と同じ由来だが、駅名の方が古く、自治体名が由来ではない。北海道炭礦鉄道が当線の敷設計画を立てた明治22年頃はこの地域にはほとんど人家がなく、当時一般的には石炭の見つかった現在の歌志内を含めて「オタウシナイ」「オタシナイ」と言われていた。北海道炭礦鉄道会社第二回営業報告(明治23年上期)では『本年工事ヲ施スヘキ部分ハ既成鐵道幌内線岩見澤分岐点ヨリ幹線ヲ起シ「オタシナイ」ニ至リ分岐シテ「オタシナイ」炭山ニ達スル33哩4分ノ3ニシテ…』(原文ママ)と記述され、まだ砂川の名前は現れていないが、同年下期の第三回報告では『線路ノ測量ハ前季ニ繼續シ幹線ノ内砂川(ヲタシナイ太)空知太間ノ實測ヲ結了シ及歌志内(ヲタシナイ炭山)支線ニ於テ各貯炭場ニ達スル支線路ヲ測定セリ』(原文ママ)と記述されており、この頃までに駅名を確定している。行政的には、同じ時期の明治23年8月7日に奈井江から空知太、歌志内、下赤平までの広い範囲に奈江村が設置された。奈江村の行政中心は砂川駅周辺だが、奈井江駅周辺が中心と間違える人が多く、明治35年の二級町村制施行後に奈江と奈井江が紛らわしいとして明治36年8月23日に砂川村と改称した。ちなみに北海道炭礦鉄道の営業報告では、各用地の住所記載の中に明治23年下期の第三回から「奈井江村」が現れ、明治25年上期の第六回報告で初めて「奈江村」の記述が出てくるが、同時に「奈井江村」の記述もあってその頃まで混乱していたのが伺える。明治35年の二級町村制移行前の奈江村には自治権がなく、瀧川村の自治下に置かれていたため、村役場などの実態のない名前だけのものだった。石狩平野北部に位置し、砂川市の市街地が広がる。2012年度の1日平均乗車人員は737人である。札幌市外の北海道の駅としては例外的に、年々利用客が増えている。
出典:wikipedia
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