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万寿寺 (大分市)

万寿寺(まんじゅじ)は、大分県大分市金池町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は蔣(まこも)山。本尊は釈迦三尊像。萬壽興聖禅寺とも言う。平安時代初期、百合稚麻呂というこの地域の有力者が娘の万寿姫の菩提を弔うために、現在の大分市元町の地に創建したのが始まりとされる。その後衰退したが、1306年(徳治元年)、大友氏第5代当主大友貞親が博多より承天寺住職の直翁智侃和尚を中興開山に迎え再興し、室町時代に初期には十刹に列せられた。南北朝時代には、南朝方の菊池氏らが高崎山城に拠点を置く北朝方を攻める際に、この寺に本拠を置いた。当寺はたびたび兵火や火災により焼失しているが、1582年(天正10年)には、大友義統が家臣への恩賞のために焼き討ちを行い、寺社領を没収している(大友氏の菩提寺でもあったのだが、当時の大友氏の勢力衰退によって家臣へ与える領地が減少したことや、大友義鎮・義統親子のキリスト教への傾倒も理由とされる)。また、1586年(天正14年)には島津軍の豊後侵入のために焼失している。中世の府内中心部に位置する大友氏館跡及び旧万寿寺跡は近年発掘調査が進んでおり、旧万寿寺の遺構からは、「紅地金襴手宝相華文碗」(こうじきんらんでほうそうげもんわん、国内初出土)や「褐釉陶器水注」(かつゆうとうきすいちゅう、国内で2例目の出土)といった希少な陶磁器等が発掘されている。2001年には大友氏館跡が国の史跡に指定され、2005年には万寿寺跡が追加指定されて大友氏遺跡として国の史跡に指定されている。江戸時代に入ると、玉英という僧が府内藩初代藩主の竹中重利の許可を得て現在地に草庵を営んだ。これを継いだ丹山は第2代藩主竹中重義(重興)の援助を受けて寛永年間(1624年-1644年)に堂宇を再建し、中興の祖とされた。境内墓地にはかつて瀧廉太郎の墓や記念碑があった。これは、当寺の近くに住んでいた廉太郎の父が建てたものである。しかし、瀧家は日出藩の家老を務めた家系で、代々の墓は大分県速見郡日出町の龍泉寺にあるため、親族の意向を受け、2011年3月に廉太郎の墓等は龍泉寺に移設された。ニホンザルの餌付けで知られる大分市西部高崎山の高崎山自然動物園には、当寺の別院がある。1936年(昭和11年)、高崎山山麓の土地を所有していた北九州の実業家が別院を建設し、当寺に寄進したのが始まりである。1952年(昭和27年)には別院の大西真応和尚が当時大分市長であった上田保に協力して別院境内でニホンザルの餌付けを開始。翌1953年(昭和28年)3月15日に高崎山自然動物園が開園した。1954年(昭和29年)には、本堂建設のため万寿寺別院からサル寄せ場移転を申し入れたが、協議の結果、サル寄せ場を継続する代わりに、損害補償として年間総売上の20%の寄進を受けることが合意されている。なお、大分市出身の建築家磯崎新が大学在学中の1958年に、父の知人であった上田から万寿寺別院本堂の設計を依頼されたが、実現していない。

出典:wikipedia

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