福島(ふくしま)は、徳島県徳島市の町名。現行行政地名は福島一丁目及び福島二丁目。2009年12月現在の徳島市の調査による人口は1982人、世帯数は971世帯。郵便番号は〒770-0868。徳島市中心街の東に位置し、渭東地区に属する。吉野川デルタ南部の一角をなし、南を新町川・西を福島川・北を住吉島川・東を沖洲川で囲まれた中州の北西部を占める。西半が一丁目・東半が二丁目である。西は福島川(助任川下流)に面し、2本の橋で中心街のある内町地区と繋がる。北は住吉島川に面し、2つの橋で住吉と繋がる。南は福島新橋から伸びる市道で新南福島と接している。渭東地区の中心地で、地区内では新南福島・大和町と並ぶ商工業地である。木工業の中心地として、かつて町屋だった福島川沿いに、鏡台などの家具工場・木工所が集中する。かつての武家町の本丁を徳島県道38号沖ノ洲徳島本町線が東西に貫き、道沿いには商業地が形成されている。江戸時代には、西縁の福島川沿いに幅1街区で南北に伸びる細長いエリアが、町屋の福島町だった。その東には東西に伸びる武家町が広がっていた。のちの町名ではがあり、本丁(のちの福島本町)南にあった水軍の総帥森甚五兵衛など高禄藩士の屋敷が連なった。福島中町の程吉屋敷跡では、1982年に改築されるまで長屋門が保存活用されていた。福島川には1636年までに福島橋が架かり、これは1930年に福島新橋が架かるまで福島(現 新南福島を含む)と徳島を結ぶ唯一の橋だった。住吉との間には住吉島橋がかかり、住吉から徳島へ行くには福島(または逆回りして常三島)を経由する必要があった。北福島町には幕末に福島騎射馬場が開かれ、西洋式の軍事訓練がなされた。1870年までに練兵所に改名した。1887年、蜂須賀次郎が福島本町(現 福島2丁目)に蜂須賀牧場を開いて乳牛を飼い、牛乳を販売した。牧場はのちに人手に渡り、現在は森永乳業徳島営業所となっている。1906年、県初の孤児院阿波国慈恵院が福島本町(現 福島1丁目)に移転した。現在は社会福祉法人阿波国慈恵院で、阿波国慈恵院保育園を併設している。福島川には河港の福島港があり、徳島の海の玄関口だった。中心街に近い中洲港が建設されると旅客航路はそちらに移ったが、その後も貨物港としてにぎわった。しかし1930年に福島新橋が架かると、跳ね橋だったものの港湾の利用には大きく制約がかかり、福島港は寂れた。福島新橋が完成したころ以降は、福島町1~3三丁目・北福島町1~3丁目・福島本町1~3丁目・福島中町1~3丁目・福島新橋1~3丁目の北半・安宅町1~6丁目の各一部だったが、1966年に現在の町名となった。住吉島川下流・上流・福島川上流・下流の順に反時計回り。
出典:wikipedia
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