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アメリカ横断ウルトラクイズの各大会の詳細

アメリカ横断ウルトラクイズの各大会の詳細(アメリカおうだんウルトラクイズのかくたいかいのしょうさい)では、日本テレビで放送された『アメリカ横断ウルトラクイズ』の各大会の詳細について記述する。日本テレビ開局25周年記念番組という形の特別番組として開催。そのため「第1回」という表記はなく、番組タイトルも「史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ」だった。当初は1週のみの放送予定であったが、放送時間が不足したために2週連続に拡大された。スタジオでは観客に対して賞金付きクイズ王予想が行われた。各チェックポイントで行われたクイズの大半が早押しクイズであった。当時は成田空港(新東京国際空港、現・成田国際空港)が未開港で、第二次予選は羽田空港(東京国際空港)で行われた。×はこの回のみ「ペケ」と呼称されていた。決勝戦進出者優勝賞品テレビ放送(全2週)『史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ』が予想を上回る好評を得たことにより、年1回のレギュラー化が決まった。準決勝のクイズ形式がボストンの地元紙アクトン・ミニットマンに掲載されるなど、アメリカでも話題になった。今大会より、第一次予選が後楽園球場のグラウンドで行われるようになった。また、第1問に初めて自由の女神関連問題が出題された。成田空港の開港により、第二次予選会場は羽田から成田へと移された。本土上陸後のルートは、前大会がアメリカ合衆国南部を経由するルートであったのに対し、今大会ではアメリカ北部を経由するルートとなった。クイズにバリエーションを出し始めるものの、その後の本番組の原型になるようなものはまだそれほどなかった。今大会より「機内クイズ」の判定機、通称「ブーブーゲート」が初登場している。決勝戦では、日本にいる挑戦者の親族(成田のジャンケンの会場で待機)と国際電話を用いた音声のみの衛星中継を行った。この回より×は「バツ」と呼ばれるようになる。また、成田→グァム間を移動する際に使用する航空会社がパン・アメリカン航空からコンチネンタル・ミクロネシア航空に変更された。決勝戦進出者優勝賞品テレビ放送(全3週)番組テーマ曲が今大会から「スタートレックのテーマ」となり、番組内で使われる他の楽曲の多くも今大会から使用された。早押しテーブルなどの機材も今大会のものが基本になっているものが多い。勝ち抜き時の『○○行き決定!』スーパーもこの大会から登場した。体力系のクイズが行われ始め、バラマキクイズやダイビングクイズ(ドボンクイズ)など、その後の番組の代名詞になるようなクイズが初登場し、クイズ形式の基礎が確立された。ルートは第1回よりも更に南側のコースとなり、ロサンゼルスとフロリダ半島に初上陸した。また、機内トップの挑戦者が途中で敗退、途中で女性が全滅、全編を通じて敗者復活戦が行われなかったのは、いずれも今大会が初めてである。決勝戦進出者・機内1位優勝賞品テレビ放送(全3週)視聴率は歴代2位を記録。成田での敗者復活戦が今大会から始まり、ジャンケンに負けた人にも国外脱出のチャンスが与えられるようになった。また、どろんこクイズが初登場、更に通せんぼクイズの前身・通過クイズが登場し、各クイズ形式にも一ひねりを入れ始めた。ルートでも横断の要素に加え縦断の要素が強い回となる。準決勝では全大会で唯一、プエルトリコ自治連邦区に上陸した。そのプエルトリコに駒を進めたのは、4名とも女性でグァムから勝ち抜いて以降、誰一人脱落しなかった(うち1名は、歴代唯一の夫婦そろってアメリカ本土上陸を果たした夫婦の妻だった)。歴代で唯一、男性が途中で全滅するとともに、女性がクイズ王となった大会であり、決勝戦は初めてクイズ番組未経験者同士の対決となった。この回から第1問は自由の女神関連問題で定着するようになった。決勝戦進出者・機内1位優勝賞品テレビ放送(全3週)第1問が球場前で発表されるようになった。アメリカ以外の国であるメキシコに上陸した初めての回である。大会5周年を記念して近畿日本ツーリストがメキシコ国内3つのCPを進呈したため前期ウルトラクイズの中では最もチェックポイントの多い大会となった。以後、第6回を除き、第7回以降アメリカ以外の国へ上陸することが定着した。勝ち抜き時の『○○行き決定!』のゴシック体のスーパーが初登場、第6回では使用されなかったが第7回以降定着する。空席待ちクイズ、奇襲クイズ、通せんぼクイズが初登場。一方、罰ゲームはますます厳しくなり、「72歳の老婆と強制的に結婚」(ラスベガス)、「闘牛」(メキシコシティー)、「イグアナのフルコース料理を食べる」(テオティワカン)、「スカイダイビング」(フェニックス)などが登場、その厳しさに批判的な意見が新聞(読売新聞など)の投書欄に出るようになった。この回より福留による一次予選開始のフレーズ「みんな!ニューヨークへ行きたいかーっ!!」も初登場した。準決勝地ノックスビルで行われた「通せんぼクイズ」は前期ウルトラクイズで最も激しい戦いが繰り広げられ、第10回・決勝戦や第13回・準決勝の激戦が行われるまでは大会最大の名勝負と位置付けられていた。決勝戦進出者・機内1位優勝賞品テレビ放送(全4週)成田第二次予選ではクイズ(ただしジャンケンで3勝した挑戦者が解答権優先)が行われた。ルートはアメリカのみだったが、常夏のサイパンから極寒のアラスカへと駒を進めるといった工夫がなされた。双子神経衰弱クイズが初登場。今大会から早押しクイズの効果音(解答権取得・正解・不正解)がアナログ音から電子音に変更された。勝ち抜き時の万歳三唱もこの大会から定着する。司会の福留が旅の途中で食中毒になったことや、制作費の一部を持ったADが強盗に襲われ、またそのADが優勝賞品の旅行のロケに同行中に体調を崩し、帰国後赤痢に感染していたことが判明、本人と優勝者らが保健所に行く事態になるなど事件が多発したことから、福留自身「呪われた回」と述べている。優勝旗返還が2年ぶりに登場(前大会は第4回クイズ王・上田由美が不参加のため行わず)。前大会クイズ王・真木法男と共に北川宣浩と宗田利八郎も入場、以後「歴代クイズ王の入場パレード」は恒例となる。決勝戦進出者・機内1位優勝賞品テレビ放送(全4週)福留が「歴代ベスト」と評した大会。参加者が1万人を突破し、視聴率も歴代で最高を記録した。敗退後も「あの岩瀬の仲間の」と福留の言葉に登場したほど名前を記憶されていた岩瀬明彦(No.7、レイクパウエルで敗退)をはじめ、番組のムード盛り上げに貢献した挑戦者が複数存在し、多くが終盤、最終週まで勝ち残った。今大会からサポートアナウンサーが同行するようになり、第8回までは石川牧子が担当した。綱引きクイズとダブルチャンスクイズが初登場。ルートはアメリカ合衆国本土への上陸の前と途中(ナイアガラの滝)でカナダを経由、番組では初めてカナダへ上陸した(正確には、第2回でナイアガラの滝を訪れているので、カナダ経由は2回目である)。スタジオの電飾ルートのセット形式(CPからCPの丸みのあるフォルム)がこの回より定着する。全大会で唯一、大陸上陸後に急病による脱落者が発生した。また、前年末に開催された『史上最大の敗者復活戦』の優勝者がシード権によりグァム空港から参加したが、合流クイズで機内最下位同点の挑戦者に敗れ敗退した。2016年7月7日からファミリー劇場にて4週連続で再放送された。初回放送の翌週に、後追いで再放送するキャッチアップ放送も行う。決勝戦進出者優勝賞品テレビ放送(全4週)初めて全都道府県から参加者が集まった。今大会から第一次予選での敗者復活戦が行われるようになった。予選の段階での優勝賞品発表が唯一行われた大会でもある。大学生のクイズ研究会の進出が、今大会から本格的に始まった。社会人・主婦は最終週まで二人が勝ち残っていたが、主婦はキーウエスト、社会人はバハマで準決勝進出者の一人に敗れて散っている。大声クイズとジョギング(マラソン)クイズ初登場。準々決勝ではバハマに上陸し、「クイズ史上初」と銘打たれ、当時の最新鋭の技術を駆使した海底クイズが実施された。パンナムビルで決勝戦を行った最後の大会である。決勝戦進出者・機内1位優勝賞品テレビ放送(全4週)自由の女神の修復工事が今大会と重なり、当時のパリ市長ジャック・シラクの招致で今大会はパリが決勝地になり、ニューヨークは北米大陸最後のチェックポイントとなっていた。それに伴い第1問もパリのランドマークであるエッフェル塔関連の問題が出題された。それまで例年第二次まで行われた予選は、「敗者の味方」徳光の提案により第二次予選が全員通過。全員第1CPに行けると思われたところで、突如として第三次予選が出現し、結局は例年通りジャンケンで第1CP進出が決まった。アメリカ横断後、大西洋を越え、ヨーロッパのイギリス、フランスに上陸。チェックポイントの数も増加し、1人が通過するチェックポイント数は17と歴代最多。これまで以上にスケールの大きい大会となった。団体戦クイズが初登場。随所のハプニングが演出であることをカミングアウトするなど開き直った展開、機内ペーパークイズのベスト3が本土上陸前に全員敗退(1、2位はハワイで、3位はグァムで敗退、学生が一般人に負けるという展開)し、本土上陸後優勝最有力と目され、上位勝ち抜けを続けていた女性がロンドンで敗退するなど波乱含みの大会となった。番組制作サイドは常々「知力・体力・時の運」を銘打っており、第4週エンディングのナレーションでは、クイズ番組で活躍を重ねる人でなくても勝てることが強調された。第9回の決勝戦は、第10回までの最長の収録時間で、挑戦者が誤答を連発してなかなか決着しなかったという。決勝戦進出者・機内1位優勝賞品テレビ放送(全4週)10周年記念大会となった今大会は、途中アトランタから1本のルートが北米コースと南米コースに分岐され、それぞれのチャンピオンがニューヨークで合流するという初の試みが取り入れられた。総移動距離5万キロは第12回に次いで2番目、総チェックポイント数18は歴代大会で最も多い(1人が通過するチェックポイントは15で歴代3位)。福留が担当する北米ルートは通称「天国組ルート」と呼ばれ、遊園地や豪華客船上などでクイズが行われた。チェックポイントはアメリカ合衆国のみだが、クイズの無い日にはバハマも訪れている。一方、同行アナウンサーの日高直人が担当する南米ルートは通称「地獄組ルート」と呼ばれ、ボリビアとブラジルに上陸し、ボリビアでは標高4000mで酸素が薄いという過酷な環境下でクイズが行われた。全大会で唯一、第二次予選が「腕ズモウ」で行われ、機内ペーパークイズが2機の機内で同時に行われた。ロサンゼルス、アトランタではギャラリーの雑音・騒音に恐怖して敗者になる挑戦者が出、エルパソでは焦りから作戦をミスした挑戦者が敗退するなど、精神的なタフさが勝負を分けた戦いが多かった。中盤戦のモニュメントバレー、エルパソ、ダラスは3連続で体力クイズが続き、体力面のタフさも求められた。今大会と翌年の第11回ではリバティ島・自由の女神像の前で決勝戦が行われた。前年とは一変して機内ペーパークイズの上位5名が全員本土上陸を果たした。決勝戦では実力者同士の激戦が繰り広げられ、第5回・第13回の準決勝と並ぶ名勝負とされている。今大会は横浜市の放送ライブラリーに全4回とも保存されていて視聴可能。決勝戦進出者・機内1位優勝賞品テレビ放送(全4週)後楽園球場で第一次予選が行われた最後の大会。福留が引退を宣言するが、敗者の味方・徳光和夫と総合司会の高島忠夫の説得により宣言は保留され、結果的には翌年も登場しているため事実上の撤回となった。大会には高島も挑戦者として出場した。大会審査委員長が、テレビマンユニオンの白井博から日本テレビプロデューサーの高橋靖二に交代した。成田へ行く前に埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)の久伊豆神社(正式な読み方は「ひさいず神社」だが番組中では「クイズ神社」と呼ばれていた)で第二次予選を、また敗者復活戦を名古屋近郊(愛知県小牧市)でそれぞれ行い、今大会も成田からの飛行機を勝者機と敗者機との2機を用意し、勝者機はそのままグァムに直行して機内で400問ペーパークイズを実施したが、敗者機の方では単なる敗者復活と銘打たず、名古屋縦断ミニトラクイズと称するなど、日本国内からグァムに至るまでの行程において一工夫が施された。敗者復活戦には第二次予選での敗者も参加した。また、成田での第三次予選に際しては挑戦者柳井秀人(No.87、マイアミで敗退)が予選方式(ジャンケンか腕ズモウか)の決定の鍵を握る存在として登場し、日高直人と腕ズモウを行うが、敗北したという趣向もあった。なお、この大会では過去の大会で歴代クイズ王となった一部の挑戦者が出場したが、その歴代クイズ王の挑戦者全員が第1問で敗退すると言う大波乱の幕開けとなった。また、成田→グァム間を移動する航空会社がこれまでのコンチネンタル・ミクロネシア航空から全日本空輸へと変更された。大陸上陸後では、途中のチェックポイントを免除できるルールが採用された。ルート中盤では第5回以来6年ぶりにメキシコに上陸し、ユカタン半島を経由。タイムショッククイズ(タイムレース)が初登場。ベスト8にグァム泥んこ復活組が4人、ハワイ敗者復活、後楽園敗者復活、名古屋敗者復活組が1人ずつランクインするなど敗者復活者が健闘し、上位5名は全員敗者復活者であった。準決勝では第1回クイズ王・松尾清三との対決クイズが行われた結果、全大会で唯一3名が決勝戦に進出した。2015年7月と8月、2016年5月にファミリー劇場にて再放送された(2015年7月は4週連続、8月は2回×2週連続。2016年5月は4日連続)。決勝戦進出者・敗者機1位優勝賞品テレビ放送(全4週)高島と石川のコンビによるスタジオパートとコンピュータ敗者予想(同年の担当はこのコーナー唯一の女子アナ担当者ともなった永井美奈子)最後の回。参加資格年齢の上限が45歳から50歳に引き上げられ、第一次予選が初めて東京ドームにて行われた。敗者の味方が徳光から渡辺正行へと交代し、徳光は初めて一般挑戦者として出場した(第一問で敗退)。また、第1回クイズ王の松尾も5年ぶりの出場となったが、敗退した。本大会からコンチネンタル・ミクロネシア航空時代の第9回以前と同様、成田→グァムの移動は通常通り飛行機1機での移動に戻した。北極圏のバローから南極圏のフェゴ島まで南北アメリカ大陸を縦断し、アメリカ本土(フロリダ半島)へ再上陸。総移動距離55,000kmという歴代で最も距離の長いルートを辿った。南米ではブラジルとアルゼンチンを経由した。決勝戦は今大会からイースト川を航行する遊覧船「プリンセス号」の船上で行われるナイター決勝となった。機内1位の挑戦者がアメリカ大陸上陸を果たせず敗北し、第8回でもアメリカ大陸上陸を果たした2名が再度の本土上陸を果たしたり、成田・バロー・フェゴ島と3度敗退するも、いずれも敗者復活で復活した酒井敦子(東京都出身、No.12、ワシントンDCで敗退)など女性が3名南米上陸し、本土上陸後のトップ通過者の顔ぶれが固定されておらず、実力伯仲の戦いが続いた。一方で年長者、若年者は不振であり、20代の社会人挑戦者が中心となった。福留が挑戦者に対して説教をするシーンが多いのもこの回の特徴。今大会は2014年6月と8月、2015年1月にファミリー劇場で再放送され(2015年1月には、再放送がひと月に2度行われた)、オリジナル番組「今だから話せるウルトラクイズ丸秘証言集」(全3回)も併せて放送された(2014年8月の第12回再放送では「丸秘証言集」の放送は無し)。スカパーJSAT主催の「スカパー!アワード2014」にて、上記の「史上最大!第12回アメリカ横断ウルトラクイズ&今だから話せるウルトラクイズ丸秘証言集」が「ココロ動いた番組賞」を受賞した。決勝戦進出者・機内1位優勝賞品テレビ放送(全5週)第1回から続いたスタジオパートが廃止され、代わりに人工衛星による撮影画像を用いたCGのルート紹介、スタッフや挑戦者による敗者予想など新たな趣向が試みられた。第1問と敗者復活者が、第一次予選当日の読売新聞紙上で発表された。今大会より、グァムのブーブーゲートでの効果音がブザー音声から電子音声(クイズ不正解時の効果音と同じもの)に変更になり、またグァムの泥んこクイズでは、問題が書かれた番号札(挑戦者は残っている番号札から任意のものを選ぶ)が廃止になり、挑戦者はあらかじめ用意された問題に答える方式に変更になった。ルート前半ではオーストラリアとニュージーランドに上陸し、後半でアメリカ本土を横断。シドニーではMr.マリックがゲストとして出演し、敗者復活戦も行った。前年と異なりアメリカ本土上陸前にクイーンズタウンで女性が全滅し、アメリカ本土上陸を果たしたのは全員男性でロサンゼルスで敗退した1名を除き大学クイズ研究会関係者ばかりであった。全大会中でも、国内予選を通過した挑戦者のクイズ知識が際立っていた大会とされ、特に後半のチェックポイントで激戦が繰り広げられた。特に準決勝ボルティモアの通せんぼクイズでは長戸勇人が通過席に8度立ち、準決勝用に用意された問題が使い果たされるなど、第5回ノックスビルにも勝る激戦が繰り広げられた。第12回の再放送に続き、今大会もファミリー劇場で2015年1月〜2月と3月、6月〜7月に再放送され(1月〜2月は5週連続、3月は5日連続。6月〜7月は再放送が2度行われた)、各週の再放送後にはオリジナル番組「今だから話せるウルトラクイズ丸秘証言集 PARTII」も併せて放送された(全5回)。決勝戦進出者優勝賞品テレビ放送(全5週)レギュラー放送で福留が全編担当をした最後の大会。日本テレビがタイアップしていた映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』に因み、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」がテーマとなっていた。第1問が第一次予選当日、早朝のテレビ番組で発表された。グァムでは台風の影響で○×どろんこクイズができないという事態が発生。その後はフランス領ポリネシアのタヒチに上陸。アメリカ本土西海岸のポートランド上陸後は、準決勝・東海岸のキティホークまで全てチャーターバスのみで移動し、日本人があまり訪れない秘境でのクイズも行われた。クイズ研究会対策として採用された「クイズ研殺し」の問題が一部の問題で出題されたことから、クイズ経験者や大学クイズ研究会の強者が多数勝ち残った前年とはうって変わり、学生はアーチーズで最後の敗者となる、レバノンでの逆転負けなど多くが振るわなかった。前年同様、前半のオレゴン街道・グランドテートン・ソルトレークで女性が全滅し、後半に勝ち残ったのは男性ばかりであった。後半に勝ち進んだ挑戦者には社会人やクイズ未経験者が多く、30代以上の本土上陸者、妻帯者や父親である者も多かった。これにより決勝進出者は久し振りに社会人のみとなった。また、バスツアーや車中泊・番組史上初となる罰ゲーム以外でのサバイバル体験入学・大西洋到着など、クイズ以外の場面での挑戦者の表情が映し出される場面が多く、全体的なBGMの選曲も相まってヒューマン・ドキュメンタリー色の濃い大会となった。バスツアーでありなおかつ秘境でのクイズが多かったため、失格者帰国のテロップには?マークがつくことが多かった。決勝戦進出者・機内1位優勝賞品テレビ放送(全5週)第1問をもって福留が降板し、新出題者として福澤朗が着任。3年ぶりにスタジオパートが復活し,併せて第13回以降中断されていた電飾ルートも復活した。総合司会は小倉淳と永井美奈子。ただ、このペアでのスタジオパートは今大会限りだった。補足(ツッコミ)テロップの多発など、当時のバラエティ番組の演出が色濃く盛り込まれるようになった。第一次予選通過者が130名に拡大されたが、敗者復活戦の撤廃・敗者インタビューの減少・罰ゲームの過激化など妥協を許さないサバイバル性の強い大会となった。この回から付いたキャッチフレーズは「明るく楽しい生存競争」、「一度負けたら、ハイそれまでヨ」。また、ここ2年と違いベスト10まで2名、ベスト6まで1名女性が進出した。ルートでは4年ぶりにハワイを訪れ、第3回同様、アメリカ本土の南側に加えメキシコ、ドミニカ共和国を経由している。この回からテレビ放送が全4週に戻った。決勝戦進出者・機内1位優勝賞品テレビ放送(全4週)レギュラー開催最後の大会。番組テーマ曲が従来の曲のアレンジバージョンに変更。スタジオパートは再び無くなり、ルートの紹介は他大会のように事前には行われず。番組冒頭に流れた前週までのプレイバックでのみ行われ、次のチェックポイントは挑戦者と同様に直前に発表されるまで視聴者が知ることはできなかった。台風上陸の影響と司会者の交代が響き、第一次予選参加者が前回よりも減少した唯一の大会でもある。敗者復活戦が再開されるなどルールが前年より若干緩和されたが、女性はサンフランシスコまで1人進出したのみ、チェックポイントがアメリカ合衆国内にとどまり、スケールが縮小された。第14回に続き、今大会でもグァムで台風の被害を受けた。また、決勝戦以外のお手つき・誤答のペナルティが、すべて一回休みであった(決勝では従来通りマイナスポイント)。第一次予選にはラサール石井が参加していたが、第1問で敗退した。その他にも前回クイズ王の能勢一幸が第1問で敗退した。その一方で、初参加の第4回から連続出場しているものの、その第4回から12年連続第1問で敗退と言う珍記録を達成していた「疫病神」の蓑原弘豊が初めて第1問を突破し、ついに第1問での連敗記録をストップさせ、第1問正解の瞬間、勝者の数人で蓑原を胴上げして祝福していた。ただ本放送(開催時点)では「今年が最後」とはなかった。これは当時は翌年以降の開催も計画されていたためであり、挑戦者が失格するたびに来年もチャレンジしますと残したからである。この回は唯一、福澤が第1問を読み上げた。決勝戦進出者優勝賞品テレビ放送(全4週)日本テレビ開局45周年記念番組として、6年ぶりで1度限りの復活。「Mr.ウルトラクイズ」として福留が再登板し、"敗者の味方"も徳光が担当した。復活したスタジオ司会は伊東四朗と松本明子が務め、ルート紹介はCGで行われたが、決勝地は生中継で決勝が行われる直前まで明らかにされなかった。当初はトヨタ自動車の販売店である「トヨタオート店」がメインスポンサーであったが、トヨタオート店が「ネッツトヨタ」として改組したことで「ネッツトヨタ発足記念番組(ネッツトヨタスペシャル)」となり、当時のトヨタ・ネッツ系の自動車ディーラー(旧トヨタオート店)ではウルトラクイズの参加申込書が各営業所内に置かれた。第二次予選でのピカイチ技・ポン食い予選の導入、機内400問3択ペーパークイズの廃止と、それまでの伝統を一新した内容を取り入れた。参加年齢の上限が撤廃され、最高齢出場者は萩原豊一(86歳→87歳)であった。萩原は第1問を正解したものの、続く第2問で失格となったが、一旦は敗者復活となった。しかし萩原は第二次予選のポン食いに失敗して敗退した。その他の60歳〜70歳代の挑戦者も国外チェックポイントまで進出したものの、それに配慮して体力系クイズはグァムでの団体戦綱引きクイズのみ行い、バラマキクイズや大声クイズは行われなかったり、高齢者が敗退した時の罰ゲームを参加者の任意とした。ニューヨークは準決勝のチェックポイントとなり、決勝戦は西インド諸島のサン・サルバドル島で泥んこクイズを行い、その模様を衛星生中継で放送した。この回では他にも歴代のクイズ王が一部参加したが、第4回クイズ王の山口由美、第5回クイズ王の真木法男、第7回クイズ王の横田尚、第15回クイズ王の能勢一幸は全員第1問で敗退し、第6回クイズ王の高橋直樹が自身の娘(当時20歳)とともに参加(娘は初出場)したが、その高橋も第1問で敗退した(高橋にとっては結果的には生前最後のクイズ挑戦となった。なお、高橋の娘は第1問を突破したものの、続く第2問で敗退したため、第一次予選通過はならなかった)。また第12回クイズ王の瀬間康仁と第13回クイズ王の長戸勇人も揃って第3問で敗退した。成田→グァム間を移動する航空会社が第2回から第10回まで使用のコンチネンタル・ミクロネシア航空に戻した。全日本空輸からコンチネンタル・ミクロネシア航空に戻した理由は不明。全体的に、アメリカの古き良き歴史をテーマにしたチェックポイントが多かった。今大会も第10回とともに放送ライブラリーに保存されている。決勝戦進出者・機内1位優勝賞品テレビ放送(2夜連続)1982年(昭和57年)に日本テレビ開局30周年記念特番として、「ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦」という特別企画が行われ、同年12月31日18:30-21:48(JST)に第33回NHK紅白歌合戦などの裏番組として放送された。全国各地で予選を実施し、その地域に密着したユニークなクイズを出題しようという試み。この大会は、18歳以上であれば高校生も参加することができた。応募人数は77,779名、これまで後楽園球場に行かなければ予選に出場できなかったものを地方ごとの予選にしたことが大きかった。過去の「アメリカ横断ウルトラクイズ」でアメリカ本土に上陸した挑戦者もクローズアップされた。司会は福留が務め(関西地区予選のみ司会は小林大作、リポーターは羽川英樹。ただしOA分では羽川の出番はなし)、徳光もリポーター・敗者の味方として登場した。クイズが全て日本国内で行われたこともあり、ウルトラクイズの番外編扱いをされていた。「アメリカ横断」というフレーズが番組タイトルになかったのもそのためである。この企画を受けて、出場資格がなかった高校生を対象として、翌1983年(昭和58年)に「ウルトラスペシャル 全国高等学校クイズ選手権」(高校生クイズ)の第1回大会を実施するきっかけを作った。この高校生クイズでも、関東・関西地区同時予選やどんでん返しなどのアイデアが引き継がれた。高校生クイズは、当初、夏・冬の年2回に渡って行われたが、1986年(昭和61年)以降は夏のみの開催となり、ウルトラクイズが終了した現在も続いている。史上最大の敗者復活戦では、地区大会全体が第一次予選と称された。これは初期の高校生クイズの参加規定にも引き継がれた。

出典:wikipedia

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