LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

Yukihiro

yukihiro(ユキヒロ、1968年11月24日 - )は、日本のミュージシャン、ドラマー。千葉県市川市出身。L'Arc〜en〜Ciel、geek sleep sheepのドラマー、acid androidのヴォーカリスト、フロントギターとして活動している。また、元P'UNK〜EN〜CIELのベーシスト、元、DIE IN CRIESのドラマー。L'Arc〜en〜Ciel加入以前は表記がYUKIHIROだった。愛称は「ユッキー」。身長165cm、体重48kg。血液型はA型。タイトで正確な、細かい手数を用いたフレーズとフィルインが特徴。特にL'Arc〜en〜Ciel加入以前は今よりも多くの手数を用いており、叩く姿も大振りなため派手でアグレッシブなプレイだった。また、「SEVENTH HEAVEN」を始め、打ち込みやブレイクビーツ(「New World」、「winter fall」、「spiral」、「DRINK IT DOWN」などで使用)を同期させたプレイやスリップビートなど変則リズムも多く採り入れたことで、結果的にはL'Arc〜en〜Cielの楽曲幅を広げることに貢献した。尊敬するドラマーは上領亘であり、プレイスタイルにも近似点が見られる。音作りに関しては、楽曲の中でドラムの音は小さくてタイトに、スネアとハイハットを同時に叩いたときの音が人が聴いているという意味でのスネアの音である、と考えている。ラルクにおいては、ドラムセット右側のリモートハットと左側のクローズドハットで16ビートを刻む独特なプレイも特徴的。4拍子のバスドラの裏に右手のリモートハット(オープンもクローズもあり)、同時に裏の16分音符を左手のクローズドハットで刻んで16分のビートを刻んでいる(各種ライブDVD参照)。「SEVENTH HEAVEN」、「Caress of venus」(yukihiroプレイ時)、「花葬」、「NEO UNIVERSE」、「Lover boy」、「DRINK IT DOWN」(Bメロ、間奏後のCメロ)など。「STAY AWAY」や「NEXUS 4」のサビなど、16分ではないが右リモートハットが使われることもある。また、他ドラマーに比べてチャイナシンバルの使用頻度が高い。上記の16ビートプレイ時には頻繁にチャイナシンバルが使われる。2バスをベースにピッコロスネアやロートタム、多数のシンバルに、左右に高くチャイナシンバルを組み合わせたセットである。ドラムラックを用いて左右対称を意識して構築しており、その複雑さからしばしば「要塞」と形容されることもある。(Pearlのアーティスト情報参照)前方左右のチャイナシンバルとは対照的にスネアやタム類が水平に低く設置されていることにより、ライヴなどでは他のドラマーに比べて、上半身がより見えやすい。バスドラムはパールの22インチが2つ。スネアドラムは2006年末に発売されたyukihiroモデル(YA1435-2: シェルが薄く高音域で、音のヌケが良いピッコロスネアタイプ。)をドラムセットの中央に配置している。(2001年と2006年12月にyukihiroのシグネチャー・モデルのスネアが発売された。現在、前者は生産終了、後者は200個限定生産であるためどちらも入手が難しい。)スネアの前方には10インチのタムが1つ、本人から見て右側にフロアタムが14インチ・16インチの2つ、前方のタムをはさんで左に6インチ、右に8インチ・10インチのレモ製のロートタム3つが配置されている。フットペダルにはPearl製のEliminator IIを使用。右足側は右バスドラ、左足側は左から順に左リモートハット・左バスドラ・右リモートハットの3つのペダルがマウントされている。ハイハット用のペダルはPearlではなくYAMAHAの旧モデル。長年ドラムセットの色はMRXシリーズのアークティックホワイトであったが、2011年の「20th L'Anniversary LIVE」ではタム類が、翌年にはバスドラもMRPシリーズの艶消しのマットブラックになり、全体的に黒のセットになった。シンバルに関しては、全てセイビアン製のシンバルである。ハイハットシンバルはリモートハイハットが左右に1枚ずつ、クローズドハットが左側に1枚、合計3枚セットされている。ハイハットを2枚配置するドラマーは比較的多いが、3枚配置することはあまりない。また前述した通りドラムラックを用い、スタンドを必要とせず場所に困らないため、特にクラッシュシンバルやチャイナシンバル、スプラッシュシンバルは組み込まれている枚数や種類が多い。クラッシュシンバルは3種4枚(セット左右に同種、異種1枚ずつ)、チャイナシンバルは3種4枚(前方左右は同種、セット右側に2枚各異種)、スプラッシュシンバルは4種4枚(セット左側に1枚、前方左寄りに1枚、右寄りに2枚)。そしてドラムラック自体も、脚の部分をyukihiro自らが三脚式に改造するなど、拘りが伺える。当時yukihiro本人は、このセットが本人にとってほぼ完成形であると公言している。DIE IN CRIES時代は今よりもさらに点数の多いセッティングだった。基本的には同じだがキャノンタムを設置している代わりに、左端に設置されていたメロディックタム以外は一切、設置していなかった。ロートタムも、現在よりも多く、5つものロートタムを組み込んでいた。また、ライドシンバルやクラッシュシンバルは使用せず、チャイナシンバル9枚、スプラッシュシンバル3枚、ハイハットシンバル4枚という、現在にも況して特異なドラムセットであった。その点数の多さから、当時のローディーに、「お願いですからスタンドではなく、ラックにして下さい」と泣いて懇願されたという逸話まで残っている。さらにロートタムのスポークをシンバル代わりに使用していた。2015年9月に行われた「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2015 L'ArCASINO」では、今までのツーバスからワンバスをベースにした新しいセットが導入された。スネアはピッコロからHybrid Exoticの5インチに変更されている。また、特徴的だった高い位置のチャイナシンバルが無くなった。ロートタムは6・8インチの2つになり、共に左のハイハット側に配置されている。シンバル類は重なるように低くセットされている。枚数は若干減ったが、17インチのホーリーチャイナを2枚導入、クラッシュシンバルの一部変更などの変更点がある。前セットで使われた一部のスプラッシュシンバルとチャイナシンバルを重ねた物が左端に、高い位置にあったチャイナシンバルと同種が1枚右端に、ライドシンバルは前セットのフロアタム側からタムの右隣りに配置されている。ハイハット類は前セットと同じく3枚だが、左側のメイン用は13インチのリモートから14インチの通常のスタンド式に変更し、リモートハットは右側の1枚のみになった。また、クローズドハットはメインのハイハットの右側から左側に移動した。ワンバスになったことでツインペダルになり(ペダルは前セット同様)、左足側のペダルは左から右リモートハット・メインのハイハット・バスドラ(左ビーター)となっている。新セットに関して、「十分多点である」と語っている。また、geek sleep sheepではワンバスにタム1つ、フロアタム2つ、ハイハット1枚、シンバル6枚のシンプルなセットを使用している。yukihiroがドラムを始めたのは高校入学の時だった。入学祝いを貰い、それでギターを買おうと楽器店へ向かったが気に入るものが見つからず、ギターと同じフロアに置いてあったドラムセットに一目惚れした。タムやシンバルがきっちりと組み込まれているのを気に入ったとされる。「跳ね返りが悪くなる」という理由で防音マットも敷かずフルセットで叩き、近所から苦情が来たため、市役所の訪問を受けたことがある。結局、叩く時間を決めることで、事態は収拾された。そして高校入学後から髪を伸ばしはじめ、バンド活動を始めた。しかし、バンド活動に傾倒し次第に学校へ行く意味を見失い、高校を退学しようと親に相談したところかなり怒られたため、高校を無事に卒業後、大学へ進学。大学合格時も辞退しようとしたが、教師から「入りたくても入れなかった人もいる。お前が合格した代わりに誰かは落ちているんだ。」と諭され、大学に進学した。ちなみに大学を選んだ理由は「家から通えるから」だった。大学在学中、東京ヤンキースを結成する前のUME、NORIとGUERRILLAを結成。目黒鹿鳴館でそのバンドのライブを見ていたのKENがyukihiroを誘い、そのままZI:KILLに加入(89/06/11)。2枚のアルバムに参加したが、そのレコーディング終了後に脱退してしまう。わずか加入1年半での脱退(90/12/28)。理由は海外でレコーディング中ヴォーカルのTUSKが「こいつが居るなら俺が辞める」と言い出し、途中参加だったyukihiroが抜けることとなった。yukihiro曰く、音楽的に極端なものを目指す自分と普遍的なものを目指す他メンバーとの間に距離やズレが生じていたとのことである。脱退した途端にレコード会社の人間に見放されたため、初めて訪れた海外で放り出される結果となった。(音楽と人2006年6月号参照)そしてロンドンにいたyukihiroはD'ERLANGERのKYOとバンドを組みたいと思ったため「ZI:KILLをやめるからバンドをやらないか?」と現地から電話をした。その後THE MAD CAPSULE MARKET'Sを脱退した室姫深に誘われたが、結局は室姫深が引き込まれる形になる。まずはKYOがDIE IN CRIESと名乗りつつもソロとして「NOTHINGNESS TO REVOLUTION」を発表。yukihiroと室姫深はユニットOPTIC NERVEを組み、CDを発売。OPTIC NERVEは既にNOTHINGNESS TO REVOLUTIONに参加していたため、二人を入れてバンドとして活動することが決定。そこにTAKASHIを加え、メジャーデビューを果たす。なお、このときの事務所がデンジャークルーだったことから、後にL'Arc〜en〜Cielに誘われるきっかけとなった。1995年のDIE IN CRIES解散後はソロ活動と共に飯島直子のサポートドラマーとして活動をする。また、THE MAD CAPSULE MARKET'Sのリミックスに参加している。この時期、「ドラム以外の仕事をほとんどしなかったので財産は尽きかけ住む家もなくなり、他人の家に居候する生活が一年ほど続いた」と本人は音楽と人2006年6月号で語っている。1997年に前ドラムのsakuraの脱退を受け、L'Arc〜en〜Cielにサポートドラマーとして参加、1998年1月1日付けで正式加入する。ドラムセットの前にマイクを置いていたsakuraとは対照的に、加入当初は歌うことはほとんど無かったが、2003年の「Shibuya Seven days」ライヴ中、自作曲「trick」をhyde、tetsuya、kenらとギターで演奏しながら共に歌う。そして後のacid androidでは本格的にボーカルをとっている。ドラムだけでなくギターやキーボード、プログラミング、P'UNK〜EN〜CIELではベースを担当。他にも、2001年5月23日shibuya club asiaにてイベント「acid android in an alcove」を行ない、DJとしてステージに立った。『ark』収録の「Cradle」のターンテーブルや、『AWAKE』収録の「AS ONE」でスクラッチなどにて、その一部が垣間みられる。L'Arc〜en〜Ciel内で作詞・作曲を手掛けた物は少ないものの、『ray』収録の「trick」やyukihiroが作詞した、「New World」はhyde以外のメンバーが作詞を手掛けた初のシングル作品であり、yukihiro初の日本語詞でもある。『KISS』に収録されている「spiral」では作詞・作曲を手掛けている。彼の作曲する楽曲では打ち込みを多用したハードロックが大半を占める。2012年8月に行われたDJ&ライブイベント「acid android in an alcove vol.5」にacid androidのレコーディングに参加していた百々和宏(MO'SOME TONEBENDER)と、345(凛として時雨)、yukihiroからなるスリーピースバンドで出演し、バンド名を明かさず初ライブを行った。同年9月にはバンド名、geek sleep sheepを発表し、正式に始動した。2016年1月には、今井寿(BUCK-TICK)と藤井麻輝(ex.SOFT BALLET、睡蓮、minus(-))によるユニット・SCHAFTのアルバムレコーディングに参加している。また、同年に開催したライブツアーにバンドメンバーとして同行した。yukihiroのソロ・プロジェクト。ファンクラブ・イベントでのソロ企画に端を発し、2001年にyukihiro名義でシングル「ring the noise」を、翌年にはacid androidとして初のアルバム『acid android』をリリースし活動を本格的に開始した。楽曲は、yukihiroが昔から好んで聴いていたインダストリアルを取り入れたものが多い。ただし本人は「インダストリアルバンドというわけではない」と語っており、事実エレクトロ、ヘヴィ・ロック、ラップ調等、様々なジャンルの楽曲が作られている。また、藤井麻輝(ex.SOFT BALLET、睡蓮)、今井寿(BUCK-TICK)、山口大吾(People In The Box)、小林祐介(THE NOVEMBERS)など数多くのゲストミュージシャンが、レコーディングおよびライブサポートに参加している。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。