みずち(古訓は「みつち」)は、水と関係があるとみなされる竜類か伝説上の蛇類または水神の名前。中国の竜である蛟竜〔こうりょう〕(; コウ; jiāo)、虬竜(/; キュウ; qiú)、螭竜(; チ; chī)、「蛟蝄(コウモウ)」などにあてられた訓じ名(日本語名)が「みずち」である。ただ「蛟」ひとつをとっても、有角であるか無角であるかなど描写が交錯して説かれるので、「みずち」はかくかくいう竜である、とそう単純明快に定義することはできない。本邦における「みずち」については、岡山県の高梁川にひそんでいたという有毒の「大虬」が県守(あがたもり)という男に退治された記録が仁徳天皇紀にあり(右図)、万葉歌の一種などの乏しい#古例がある。ミズチ(ミツチ)の「ミ」は水に通じ、「チ」は「大蛇(おろち)」の「チ」と同源であるとされる。「チ」は「霊」の意だとの見方もある。『広辞苑』でも「水の霊」だと説いており、#古例でもあげた「河の神」と同様視する考察もある。最古の出例としては、『日本書紀』の巻十一〈仁徳天皇紀〉の67年(西暦379年)にある「大虬」)(「ミツチ」と訓ずる)の記述で、これによれば吉備の中つ国(後の備中)の川嶋河(現今岡山県の高梁川の古名)の分岐点の淵に、大虬(竜)が住みつき、毒を吐いて道行く人を毒気で侵したり殺したりしていた。そこに県守(あがたもり)という名で、笠臣(かさのおみ)の祖にあたる男が淵までやってきて、瓠〔ヒサゴ〕(瓢箪)を三つ浮かべ、大虬にむかって、そのヒサゴを沈めてめせよと挑戦し、もし出来れば撤退するが、出来ねば斬って成敗すると豪語した。すると魔物は鹿に化けてヒサゴを沈めようとしたがかなわず、男はこれを切り捨てた。さらに、淵の底の洞穴にひそむその類族を悉く斬りはらったので、淵は鮮血に染まり、以後、そこは「県守淵(あがたもりのふち)」と呼ばれるようになったという。上と関連性があるのが、仁徳11年(323年)の故事である。淀川沿いに工事された茨田(まんだのつつみ)が、たびたび壊れて始末に負えなかったところ、天皇が夢を見られて、武蔵国の強頸(こわくび)と、河内国の茨田連衫子(まんだのむらじころもこ)を生贄として「河伯(かわのかみ)」に奉じれば収拾するだろう、と告げられた。衫子(ころもこ)は、みすみす犠牲になるのを潔しとせず、河にヒサゴを浮かべて、もし本当に自分を捧げよというのが神意ならば、そのヒサゴを水中に沈めて浮かばぬようにしてみせよ、とせまった。つむじ風がおきてヒサゴを引き込もうとしたが、ぷかぷか浮かびながら流れて行ってしまった。こうして男は頓智で死をまぬかれた。こちらは「みずち」の言がないが、浮かべたふくべという共通点もあり、「河の神」と「みずち」を同一視するような文献もある。『万葉集』巻十六には、境部王の作による一首「虎尓乗 古屋乎越而 青淵尓 鮫龍取将来 劒刀毛我」に「ミズチ」が読まれているが、これは「虎に乗り古屋を越えて青淵〔あをふち〕に蛟龍〔みつち〕捕〔と〕り来む剣太刀〔つるぎたち〕もが」と訓読し、「トラに乗って、古屋(どこか特定できない地名)を超え、水を青々とたたえた深い淵にいき、ミズチをひっ捕らえてみたい、(そんなトラや)そのための立派な太刀があったらなあ」ほどの意味である。また、『魏志倭人伝』には<会稽に封じられた夏后の小康の子は断髪・文身(いれずみ)し、もって蛟竜〔こうりょう〕をさける>という中国の故事にふれたうえで、倭人もまた「文身しまたもって大魚、水禽をはらう」とするので、大林太良などの民俗学者は、中国と倭における水難の魔除けのいれずみには関連性があると見、さらに日高旺は倭人の入れ墨もまた同じく竜形ではなかったか、と推察する。南方熊楠は、『十二支考・蛇』の冒頭で、「わが邦でも水辺に住んで人に怖れらるる諸蛇を水の主というほどの意〔〕でミヅチと呼んだらし」いとしている。南方はミズチを「主(ヌシ)」などと、くだけた表現を使うが、その原案は、本居宣長(『古事記伝』)が、「チ」は「尊称」(讃え名)だとする考察であった。ヌシだとするのは南方の見立であって、宣長本人にいわせると、ミズチ、ヤマタノオロチ、オロチの被害者たちであるアシナヅチ・テナヅチのいずれにつくチも「讃え名」である、ということだ。南方は、「ツチ」や「チ」の語に、自然界に実在する蛇「アカカガチ」(ヤマカガシ)の例も含めて「ヘビ」の意味が含まれると見、柳田國男は「ツチ」(槌)を「霊」的な意味に昇華させてとらえた。南方が収集したミヅシ(石川県)、メドチ(岩手県)、ミンツチ(北海道)(ほか『善庵随筆』にもメドチ(愛媛県)、ミヅシ(福井県))などの方言名は、「ミズチ」に音が似てこそあれ、どれも河童(カッパ)の地方名だった。南方はしかし、カッパというものは、そもそも「水の主(ヌシ)」が人間っぽい姿に化けて人間に悪さをしたもので、ただ、元のヌシの存在が忘れ去られてしまったのだ、と考察した。柳田や石川純一郎らが踏襲している。蛟(コウ、jiāo)は龍の一種であり、蛟龍・蛟竜(こうりゅう、こうりょう)に同じく、または龍の成長の一過程のようなものとされる。『述異記』には「水にすむ虺(き)は五百年で蛟となり、蛟は千年で龍となり、龍は五百年で角龍、千年で応龍となる」とある。水棲の虺(き)というのは、蝮〔マムシ〕の一種のこととされる。『本草綱目』では、長さ一丈余(3メートルほど)、蛇体であるが四肢をもち、赤髭、首には白い輪か襞が連なり、背には青斑が並び、等とあり、有角であるとする。だが蛟は「無角」であるとする文献もある(『説文解字』の段玉裁注本)。前出『本草綱目』(『述異記』か、三国時代の張揖の編とされる辞書『』が典拠)には、以下のような分類も書かれている:「竜で鱗のあるものを蛟竜〔コウリュウ〕といい、翼のあるものを応竜という。角のあるものを虬竜/虯竜〔キュウリュウ〕といい、角のないものを螭竜〔チリュウ, あまりょう〕という」。このうち、虬/虯や螭も「ミズチ」と訓ずるのであるが、次に述べる。虬/虯(キュウ, qiú)については、『説文解字』14 に「龍子有角者」とあり、つまり「龍の子の角あるもの」とする。「虯」は繁字(旧字)で、「虬」は簡字とのことだが、後者は特殊文字扱いされてきている。螭(チ、chī)については、『説文解字』14 に「若龍而黃,北方謂之地螻。.. 或云無角」とあり、つまり「龍の属にて黄色なるもの、一説に、角なき龍、」とする。『文字集略』では、角のない竜で、赤白蒼色であると説く。
出典:wikipedia
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