新守山駅(しんもりやまえき)は、愛知県名古屋市守山区新守町にある、東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)中央本線の駅である。2015年現在、名古屋市内を走る中央本線の駅の中で、唯一、快速以上の優等列車が停車しない駅である。現在の中央本線にあたる路線のうち、名古屋 - 多治見間の開業は、1900年(明治33年)にさかのぼるが、大曽根駅からの距離が短いことなどもあり、守山には、長い間、駅が設置されていなかった。1958年(昭和33年)1月、名古屋市は、千種駅と大曽根駅の貨物事業を統合し移転する都市計画案を策定し、貨物新駅として、現在の当駅の場所を候補地とした。同年3月、地元守山市は中央線守山駅誘致委員会を設置し、翌1959年(昭和34)年1月には、地元住民による守山駅設置地元対策協議会が発足し、守山市議会には中央線守山駅対策委員会が組織された。しかし、農地が削られる、貨物駅のみの新駅では必要がないなどのと議論が出て、調整は難航した。その後、協議が続けられ、旅客扱いも含めた一般駅として開業することになり、各機関と個別に協定が締結され、新駅設置が決定した。1960年(昭和35年)4月から、土地の買収が開始され、その後、新駅設置工事が始まった。このような経緯を経て、新守山駅は、1964年(昭和39年)4月1日に開業した。開業当時、同じ名古屋市守山区(1963年、守山市が名古屋市に合併)内に、名鉄瀬戸線の守山市駅(現在の守山自衛隊前駅)があり、 当時の日本国有鉄道(国鉄)には、滋賀県に守山駅が存在したことから、重複を避けるため守山の前に新が冠された。開業以来、貨物業務が中心であったため、旅客業務についても貨物職員が兼任していた。しかし、その後貨物の取り扱いは、徐々に縮小していった。一旦は、コンテナ貨物の取り扱いも廃止されたが、国鉄分割民営化後の1989年(平成元年)1月19日にコンテナ貨物の取扱いを再開した。しかし、1997年(平成9年)3月22日からは、貨物列車の発着がない自動車代行駅となった。コンテナホームのみは残されたものの、取り扱う貨物は、拠点駅である名古屋貨物ターミナル駅とのトラック便にて輸送する取り扱いとなった。自動車代行後は、輸送力を柔軟に調整することができるようになり、取扱量そのものは一時的に増加した。1999年(平成11年)11月1日、コンテナホームは、以前に仕分線であった場所へ移転した。これにより、貨物施設の敷地面積は、4,000平方メートルから1,500平方メートルへと、コンテナ留置個数は350個から120個へと縮小した。これにより捻出されたコンテナホーム跡地は、JR貨物の関連事業用地として、アピタ新守山店・ロイヤルホームセンター新守山店などが入居するショッピングセンターとして再開発された。2005年(平成17年)には、トラック便も廃止され、臨時車扱貨物のみを取り扱うようになり、貨物列車の発着はなくなった。その後もコンテナホームは転用されることなくそのまま残っている。築堤上に島式ホーム2面4線を持つ地上駅。名古屋駅を出てから最初の旅客列車が待避できる駅である。通常は駅舎に近い方が1番線であるが、当駅は駅舎の反対側の旧コンテナ基地に近い方のホームが1番線になっている。2・4番線が主本線、1・3番線が副本線(待避線)である。一部の普通列車は(日中で1時間あたり1本程度)当駅で後続の特急「しなの」を待避する。列車ダイヤ混乱時には、当駅を通過する快速を運転停車させ、優等列車を先に行かせる場合もある。また通過列車は当駅を高速で通過する。この他にも、2つのホームの間に側線が2本あり、構内にも使用されていない側線が複数ある。貨物列車の発着があったころには、旅客ホームの西に仕分線、その南に3面4線のコンテナホームがあった。駅舎は駅構内東側にあり、2つのホームとは地下通路で繋がっている。かつては。 千種駅が当駅を管理している。駅舎内部にはみどりの窓口や自動改札機、自動券売機などがある。JRの特定都区市内制度における「名古屋市内」の駅であり、中央本線では当駅が名古屋市内の東限である。「名古屋市統計年鑑」によると、当駅の一日平均乗車人員は以下の通り推移している。名古屋市営バス 新守山駅バス停
出典:wikipedia
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