バヤリース(Bireley's)は、果汁飲料の商標である。1951年発売開始。アサヒ飲料(アサヒビール→アサヒグループホールディングス子会社)から発売されていて、今では同社のロングセラー商品になっている。沖縄県では、アメリカ合衆国による沖縄統治時代の名残から、2014年まで商標使用の契約上沖縄バヤリースが発売元となっていた(沖縄バヤリースはアサヒ飲料が主要な株主として名を連ねていた)が、同社の解散に伴い2015年より沖縄県でも子会社のアサヒオリオン飲料(旧・アサヒオリオンカルピス飲料)を通じて製造販売されることになった。2014年まで別会社から販売されていた名残で沖縄県以外で発売されているバヤリースオレンジは「20%オレンジ果汁」であるのに対し、沖縄県内で発売されているバヤリースオレンジは「10%オレンジ果汁」となっており、同じブランドではあるが全くの別商品とも言える差異がある。
(なお、オレンジ味(バヤリースオレンジ)以外のアサヒ飲料製バヤリースブランド商品については、沖縄バヤリースの解散前後より、沖縄県でもコンビニを中心に販売される様になっている。)表記については、当初は「バャリースオレンヂ」という表記だったが、1987年から「バヤリースオレンジ」という表記になっている(テレビCM等での発音はそれ以前から「バヤリース」としている)。マスコットキャラクターはバヤリース坊や(通称バヤ坊)で1959年に登場した。アサヒ飲料では1999年にいったん姿を消したが2002年に復活。バヤリース坊やオレンジの他にバヤリース坊やアップルなどもいたが後にバヤリース坊やオレンジのみになり2013年3月のリニューアルで再びパッケージから姿を消したが、2014年1月のリニューアルでバヤリース坊やオレンジが復活した、なお、バヤリースアップルはリンゴの被り物をしたバヤリース坊やオレンジがデザインされている。それ以前からも果汁を絞った果汁飲料というものは存在していたが、すぐに風味が変わってしまうため保存に適さなかった。それについて19世紀後半になってフランスの科学者、ルイ・パスツールが「食品の微生物の活動で変質が発生されやすい」という研究結果が発表され、その微生物の殺菌方法などが考案された。1938年(昭和13年)に米国の科学者、フランク・バヤリーが果汁の風味・香りを損なわないで長期間保存できる殺菌法を開発した。米国のゼネラル・フーズが特許を買い取り「バャリース・オレンヂ」を発売する。バヤリース・ブランドのアメリカ国内での販売は1960年代に終了したが、日本とタイの現地法人では現在も製造・販売が続けられている。第二次世界大戦(太平洋戦争)終結後、進駐軍とともにバヤリース飲料が日本に初登場するが、当初は清涼飲料水営業取締規則(明治33年内務省令第30号)の関係で市販することはできなかった。1949年(昭和24年)、戦前からソーダ水「ウヰルキンソン タンサン」(現・ウィルキンソン タンサン)などを手がけていたクリフォード・ウヰルキンソン・タンサン鉱泉が進駐軍向けの輸入を開始、翌1950年(昭和25年)にはゼネラル・フーズと提携し日本国内での製造販売権を取得した。ウヰルキンソンは原液をアメリカから輸入し兵庫県にあった宝塚工場でバャリース・オレンヂの生産を行い進駐軍向けに供給した。1951年(昭和26年)には朝日麦酒がゼネラル・フーズとバャリース・オレンヂの一手販売契約を締結した。製造は引き続き、兵庫県西宮市のウヰルキンソンの工場で行われ、同時にウヰルキンソンも自社製品の販売を朝日麦酒(現・アサヒビール)に委託した。翌1952年(昭和27年)から日本人向けに全国販売(沖縄を除く)が開始されるとたちまちヒット商品となりジュースブームが起こる。当時は人工甘味料(チクロなど)の清涼飲料水への使用が認められていたが、バヤリースはこれらを一切使用しなかったため、公園などの公衆の集まる地域ではバヤリースの空き瓶にアリが群がったというエピソードもあった。ガラス瓶に詰められ200mlが55円で高級な印象が持たれ、大人の酒席で子供の飲み物になるようなハレの飲み物であった。1953年(昭和28年)には、次の三種類のバャリース飲料が「3色の天然果汁飲料」と銘打って、以下のような産出地表記を付けて発売された。また、国内他社が果汁入り・無果汁の清涼飲料水を「○○ジュース」と称して販売していたのに対して、英語圏のブランドであるバヤリースは「果汁100%使用でないとジュースは呼べない」として「バヤリース・ジュース」とは表現しなかった。(1962年(昭和37年)には「不当景品、並びに不当表示防止法」という法律ができ、1968年(昭和43年)には他社の100%果汁でない「ジュース」の表示が禁止された。なお、バヤリースブランドの果汁100%ジュースは贈答用のみではあるが存在する)1953年には250ml缶が発売され、長く使われることになるマスコット「オレンヂ坊や」が登場する。1980年(昭和55年)、沖縄県以外の製造・販売・商標権をアサヒビールが取得し、1982年(昭和57年)に自社生産開始。 1987年(昭和62年)商品名を「バャリースオレンヂ」から「バヤリースオレンジ」に変更する。1996年(平成8年)には現在のアサヒ飲料(子会社)からの販売となる。またマスコット「オレンヂ坊や」は「バヤリース坊や」と改名された。1992年(平成4年)、前年までは甘さが強く濃いオレンジの色合いだったが、柑橘性の強い黄色がかった色へと変更された。ただしこの変更はアサヒビールのみで、沖縄バヤリースは変更しなかった。このため沖縄県では1950年代から現在に至るまで同じ色と味の製品が製造され続け、沖縄向けのバヤリースは旅行などで訪れた本土在住者にとって「昔懐かしの味」となった。1997年(平成9年)には1732万ケースを販売、その後はきりり、Qoo(現・ミニッツメイドQoo)、なっちゃんといった新鋭のライバルや緑茶ブーム等に押され2003年(平成15年)には710万ケースまで落ち込んだ。このため1999年(平成11年)から2002年(平成14年)にはパッケージの試行錯誤が頻繁になされた。あるペットボトルのパッケージでは長年使われてきたパレットマーク(絵の具のパレットのような青の形にBireley'sと記されたロゴのこと)の青色を黄色にしてみた例もあった。2005年(平成17年)「Mama's happy choice」を掲げ安全と信頼をうたい、パレットマークを強調する方針をさだめ、これは現在にも続いている。また近年は着色料の使用や、一時期使用していた合成甘味料を再び廃止するなど順次リニューアルを図り、2007年(平成19年)の販売数は約1400万ケースまで回復、国内果汁飲料市場のトップブランドとなっている。2009年(平成21年)1月に「バヤリースオレンジ」が改良に伴って中身設計が変わり、オレンジ果汁・みかん果汁混合の「20%混合果汁入り飲料」からバレンシアオレンジ果汁のみ使用の「20%オレンジ果汁飲料」となった。2011年(平成23年)発売60年であるこの年は、オリジナルのガラス瓶をモチーフにしたペットボトルを採用しパッケージを一新した。一方、沖縄バヤリースについては諸問題から2014年12月30日をもって、営業権をアサヒ飲料に譲渡し解散。沖縄県内向けの製造販売はアサヒ飲料子会社のアサヒオリオンカルピス飲料(現・アサヒオリオン飲料)が引き継いだ。以下に示すのはアサヒ飲料で発売されている、及び、過去に発売された製品である。2016年4月現在
出典:wikipedia
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