ラザロはユダヤ人の男性で、イエスの友人。日本ハリストス正教会ではラザリと転写される。ユダヤ名エリエゼルがギリシア語化した名と推測される。正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会で聖人。記念日は6月21日。エルサレム郊外のベタニアに暮らし、マリアとマルタの弟で共にイエスと親しかった。イエスは彼らの家を訪れている(『ルカによる福音書』10:38-42)。また『ヨハネによる福音書』11章によれば、イエスによっていったん死より甦らされた。ラザロが病気と聞いてベタニアにやってきたイエスと一行は、ラザロが葬られてすでに4日経っていることを知る。イエスは、ラザロの死を悲しんで涙を流す。イエスが墓の前に立ち、「ラザロ、出てきなさい」というと、死んだはずのラザロが布にまかれて出てきた。このラザロの蘇生を見た人々はイエスを信じ、ユダヤ人の指導者たちはいかにしてイエスを殺すか計画しはじめた。カイアファと他の大祭司はラザロも殺そうと相談した。(ヨハネ12:10)伝承によれば、後にラザロはキプロスの初代主教となった。キプロス南東の都市ラルナカにある、聖ラザロ教会の地下クリプトにはラザロの墓所がある。正教会では、伝統的に聖枝祭(主のエルサレム入城)前日の土曜日(スボタ)をラザリのスボタと呼び、キリストによるラザロの蘇生を記憶する。また、南フランスの伝承では、姉妹マルタ、マリアらと共にサント=マリー=ド=ラ=メールに辿り着き、その後マルセイユの地で布教に励んだと言う。このラザロ蘇生の奇跡は、人類全体の罪をキリストが贖罪し、生に立ち返らせることの予兆として解釈されて来た。文学に於いても、時にその様なイメージの引用が見られる。例えば、ドストエフスキーの『罪と罰』に於いて、主人公である殺人犯のラスコールニコフが自白を決意する契機として、ラザロの死と甦りの個所を娼婦ソーニャに請うて朗読させる場面が登場する。
出典:wikipedia
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