鯖街道(さばかいどう)は、若狭国などの小浜藩領内(おおむね現在の嶺南に該当)と京都を結ぶ街道の総称である。主に魚介類を京都へ運搬するための物流ルートであったが、その中でも特に鯖が多かったことから、近年になって鯖街道と呼ばれるようになった。狭義では現在の小浜市から若狭町三宅を経由して京都市左京区の現出町商店街に至る若狭街道を指し、おおむね国道27号や国道367号に相当する。ただし、往時の若狭街道は現在の国道367号ではなく大見尾根を経由する山道であったほか、それぞれの国道ではバイパス道路が建設されているため旧道(指定解除)となっている区間もあるため必ずしも一致しない。広義では現在の嶺南から京都を結んだ街道全てを鯖街道とよぶ。鉄道や自動車が普及する以前の時代には、若狭湾で取れたサバは行商人に担がれて徒歩で京都に運ばれた。冷凍技術のなかった当時は、生サバを塩でしめて陸送する方法が取られ、京都まで輸送するのに丸1日を要したが、京都に着く頃にはちょうど良い塩加減になり、京都の庶民を中心に重宝されたといわれている。夏期は運び手が多く、冬期は寒冷な峠を越えることから運び手は少なかったといわれる。運び人の中には冬の峠越えのさなかに命を落とす者もいた。しかし、冬に針畑峠を越えて運ばれた鯖は寒さと塩で身をひきしめられて、特に美味であったとされている。鯖街道によって、サバだけでなく多くの種類の海産物なども運ばれた。平城宮の跡や、奈良県明日香村の都の跡で発掘された木簡からは、若狭からタイの寿司など10種類ほどの海産物が運ばれたと推定され、鯖街道の起源は1200年以上、あるいは約1300年前と考えられている。また、現在の橿原市にある藤原宮跡から出土した木簡には塩の荷札が多数見つかり、鯖街道を利用して塩も多く運ばれたとみられている。現代においても、小浜や国道367号沿線などには鯖寿司の製造を生業とした店が多数存在する。2015年(平成27年)4月24日、文化庁は日本遺産の最初の18件の一つとして「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 〜御食国若狭と鯖街道〜」を選んだと発表した。鯖街道を地域活性化に利用するための取り組みとして、小浜・若狭・高島の3市町による「鯖街道交流促進会議」が2005年度に発足したが、2012年度には「鯖街道まちづくり連携協議会」として組織形態を発展させ、観光や名産品の売り込みなどが広域的に取り組まれている。一方、終点の出町柳付近にある出町商店街では京都府の補助事業(地域商業チャレンジ支援事業)「鯖街道情報発信事業」における地域活性化のモチーフとして鯖街道が用いられたほか、この事業などにおいて街道沿線との交流の試みもなされている。また、小浜市から京都市(左京区出町柳)までを往時のルートで走り通す「鯖街道ウルトラマラソン大会」が毎年開催されているが、ルートの大半が未舗装路であることや高低差が大きいことから、別名「ウルトラ山岳マラソン鯖街道マラニック(マラソン+ピクニック)」とも呼ばれる。熊川宿は2007年(平成19年)12月、近畿では8番目の日本風景街道「若狭熊川・鯖街道」として登録された。ここでは、主な街道やルートを東側から順に挙げる。なお、小浜を起点とすることから、「小浜街道」と総括・混同されることもある。※小浜街道・雲ケ畑街道・周山街道の京都府側は、2016年に制定された京都丹波高原国定公園における自然と人間の共生を示す文化的要素として顕彰されている。近年の日本は、多くのサバをノルウェーから輸入している。これを指して、ノルウェーから日本への空路を「現代の鯖街道」と例える者もいる。福井県では1974年には12697トンの水揚げがあったが、2012年には170トンになっている。
出典:wikipedia
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