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細田守

細田 守(ほそだ まもる、1967年9月19日 - )は、富山県中新川郡上市町出身のアニメ監督、アニメーター。2005年からフリー。金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科油絵専攻卒業。日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。父親は鉄道職員。一人っ子。子供の頃は吃音があり、小学校1、2年は特別支援学級に通っていた。中学の時に劇場版『銀河鉄道999』や『ルパン三世 カリオストロの城』に衝撃を受けた。この時、劇場パンフレットに載っていた絵コンテを見てアニメーションの世界に強く惹かれた。当時、テレビ番組『YOU』の自主制作アニメ特集を見て、自分と同じ学生がアニメを作っていることを知り、中学3年の時にコピー用紙1000枚ほど用意して、飛行機がドンパチする約1分のアニメーションを製作し(全2コマ撮りのアニメ、当時の『アニメージュ』などを見て制作方法を知ったという)、学内上映した。高校1年のとき、東映動画制作の角川映画『少年ケニヤ』(1984年、大林宣彦監督)公開のアニメーター公募を知り、上記の自主制作アニメを応募して合格、上京を薦められるが学校の試験があったので断念。大学時代は、現代美術や映画などの実写映像に強い興味を持ち、映画サークルで実写映画を50本以上製作した。これら実写映画の大半はビデオアートで、舞踏のパフォーマンスをエフェクターで処理したインスタレーション作品など。映画の形になっているのは2本のみで、フィルムフィスティバルに出しているが落選している。大学卒業後、スタジオジブリの研修生採用試験を受けて最終選考に残るが、不採用となった。その後、『少年ケニヤ』で声をかけてもらった田宮武プロデューサーに東映動画(後の東映アニメーション)を紹介され、1991年にアニメーターとして入社した。山下高明に師事し、動画を経てOVA『Crying フリーマン5 戦場の鬼子母神』で初の原画、アニメ映画『Coo 遠い海から来たクー』で作画監督補佐を担当する。1995年、金子伸吾の紹介で『十二戦支 爆発エトレンジャー』第27話Aパートの絵コンテを担当する。1996年に『るろうに剣心』の絵コンテを遡玉洩穂名義で担当する。どちらも東映外での仕事だったが、当時の細田は、アニメーターとしての専属契約をしていたので例外的に認められた。同年、東映社内で、演出採用試験が初めて実施され、これに合格。1997年の『ゲゲゲの鬼太郎』(第4期)で演出家として本格的にデビューした。また同年、父親が急病で亡くなる。1999年には『劇場版デジモンアドベンチャー』の監督に抜擢される。続けてテレビシリーズ『デジモンアドベンチャー』の第21話を演出。2000年には『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』を監督して、そのクオリティの高さから業界の内外より注目を集めた。この頃、演出家として影響を受けた人物として、山内重保、幾原邦彦、古橋一浩らの名を挙げている。2000年8月、東映アニメーションよりスタジオジブリに出向し、『ハウルの動く城』の監督として作業に取り組む。2001年に母親が脳梗塞で倒れる。絵コンテはCパートまで完成したが、製作は行き詰まり2002年4月に中止が決定、ジブリを離れることになる。また、他方では「ジブリとの意見の衝突、スケジュールの延期、スタッフの拘束と様々な難事が勃発してしまい、結果的に『ハウルの動く城』の監督から外された」ともされる。東映復帰後第一作の『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』第40話「どれみと魔女をやめた魔女」は、2006年8月20日にアニマックスにて放送された特別企画『東映アニメ36時間連続放送』内で視聴者投票のベストエピソードに選出された。2003年に村上隆に請われてルイ・ヴィトンの店頭プロモーション用アニメ『SUPERFLAT MONOGRAM』を監督。『明日のナージャ』で各話演出のほかOPとEDの演出を手がける。2005年、東映での最後の作品となる劇場版『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』を監督。2005年、東映アニメーションを退社してフリーになる。マッドハウスを製作基盤として、2006年7月、角川ヘラルド映画の劇場アニメ『時をかける少女』を監督。ロングランヒットとなり興行収入2.6億円を記録。国内外で高く評価された。2009年次回作『サマーウォーズ』を製作中の7月に母親が死去。半年後に祖母を亡くす。同年8月、『サマーウォーズ』を公開。またも高い評価と興行収入16.5億円のヒットを記録した。2011年4月、自身のアニメーション映画制作会社スタジオ地図を設立(代表取締役は齋藤優一郎)。同年、新作劇場作品『おおかみこどもの雨と雪』を発表、2012年7月に公開された。公開前の同年6月、自ら執筆した同作品の原作小説で、小説家としてデビューした。映画は観客動員約340万人、興行収入42億円を挙げ、2012年の年間興行収入ランキング第6位の大ヒットとなった。2015年7月11日、『バケモノの子』(企画・制作 スタジオ地図)を公開。2012年9月に長男が、2015年末に長女が誕生している。初期時代のアニメのように人に影を描かないのが特徴である。2000年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年

出典:wikipedia

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