万平ホテル(まんぺいホテル、"MAMPEI HOTEL")は、長野県北佐久郡軽井沢町にある老舗ホテルである。軽井沢万平ホテルとも呼ばれる。運営は森トラストのグループ企業である株式会社万平ホテル。江戸時代後期に、佐藤万右衛門が万平ホテルの前身となる旅籠「亀屋」を旧軽井沢銀座(現在の軽井沢郵便局付近)に開業。1886年(明治19年)、避暑地としての軽井沢を、イギリスに気候・建物の雰囲気が似ていることもあり高く評価し、後に軽井沢を日本の代表的な避暑地として世界に向けて紹介した聖公会宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーと、その友人の東京帝国大学英語教師ジェームズ・メイン・ディクソンが休業状態に陥っていた亀屋を訪れたことがきっかけとなり、当時の亀屋の主人であった佐藤万平(初代)は、外国人に応対する技術や生活習慣を学んだ。それを反映させる形で1894年(明治27年)に亀屋ホテルがオープン。現在はこの年に万平ホテル創業という位置付けがされている。1902年(明治35年)、ホテルを旧軽井沢銀座から桜の沢に移転した。また、名称を現在の「万平ホテル」にし、本格的なホテル営業を開始した。1918年(大正7年)の初代佐藤万平死去後、万平の娘婿であり、万平と二人三脚でホテルを創り上げてきた佐藤国三郎が「二代目万平」を襲名。現在カフェテラス脇にある銅像は国三郎である。現在の本館アルプス館は1936年(昭和11年)に完成したもので、設計は日光金谷ホテルも手掛けた久米権九郎、施工は井上組である。1943年(昭和18年)、太平洋戦争に伴い、軽井沢が外国人の強制疎開地に指定されたことを受けて、開戦当時日本と交戦状態になかったソ連とトルコの大使館が万平ホテルに疎開。2年後の1945年8月には、日本を占領下に置いた連合国軍の1国であるアメリカ陸軍第8軍の接収により全館が営業を停止する。このとき、GHQの要請で冬季営業が可能となるように改造を施し、連合国軍将校向け宿泊基地としての機能を果たした。1952年に、アメリカ陸軍による接収が解除され通常営業を再開した。2000年代に入って、2006年の毎日新聞社主催・ヘリテージング100選や、2007年11月30日、経済産業省認定の近代化産業遺産に指定されるなど、近代遺産としての評価を受けている。明治期に東郷平八郎、大正期に室生犀星や堀辰雄、ウォルター・ウェストンなど、昭和期には三島由紀夫やジョン・レノンなど、多くの著名人が宿泊した。木造建築のため全室禁煙となっている本館アルプス館をはじめ、ウスイ館、アタゴ館、コテージ(4名定員のファミリータイプ2棟と、2名定員のツインタイプ1棟)、コンベンションホール「ザ・ハッピーヴァレイ」から成る。その他に宴会場、会議室、売店、2面のテニスコート、レンタサイクル、100台収容可能の駐車場などを完備している。また、館内には「万平ホテル史料室」がある。万平ホテル史料室には、ホテルの歴史に関する史料や調度品をはじめ、1964年東京オリンピック委員会からの感謝状や、1972年に当時日本の首相であった田中角栄と、アメリカ・国家安全保障担当大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャーが会談の際に座った椅子、一家で避暑の定宿としていたジョン・レノンが気に入ったとされるピアノなどが展示されている。敷地内には東急リゾートサービスと提携し、万平ホテルが運営する全客室数22室の会員制リゾートホテル「東急ハーヴェストクラブ軽井沢万平」があった。元々万平ホテル欅館として営業していた建物を利用して、1989年7月14日に開業した。万平ホテルとはホテル1階の通路で結ばれている。2009年7月「東急ハーヴェストクラブ軽井沢万平」の営業を終了。改装を加え、新たに万平ホテル「別館」として営業を開始。
出典:wikipedia
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