若荒雄 匡也(わかこうゆう まさや、 1984年2月24日 - )は、千葉県船橋市出身で阿武松部屋所属に所属していた元大相撲力士。本名は八木ヶ谷匡也(やきがや まさや)、愛称はマサヤ。苗字は後述する理由から母方のものを名乗っており、旧姓は不明。現役時代の体格は身長180cm、体重172kg、血液型はO型、星座は魚座。得意技は突き押し、引き。最高位は西小結(2012年1月場所)。現在は年寄・不知火を襲名して、阿武松部屋で指導に当たっている。千葉県船橋市で生まれ、2歳のときに父親を交通事故で失い、母親の手で育てられる。小学生低学年のころから親戚の家の近くにあった阿武松部屋に出入りしており、阿武松部屋が主催する相撲教室である「キッズ阿武松」で相撲を学んだ。こうした幼少期からの縁もあって後年八木ヶ谷は「阿武松部屋の秘蔵っ子」と評されるようになる。船橋市立宮本中学校卒業間際の1999年3月場所に初土俵を踏む。三段目までは順調に昇進したが、三段目で苦労し、2002年9月場所に幕下に上がったものの、1場所で三段目に陥落した。2003年には2場所連続しての休場もあったが、同年11月場所には7戦全勝で三段目優勝を果たし、2004年1月場所において幕下に復帰した。2006年9月場所には西幕下5枚目で5勝2敗と勝ち越し、翌11月場所では自己最高位の西幕下筆頭にまで番付を上げたが、2勝5敗と負け越してしまい、関取への昇進は果たせなかった。2007年1月場所と続く3月場所でも負け越し、夏5月場所は東幕下29枚目まで番付を落としたが、その場所では5勝2敗と勝ち越しを果たし、続く7月場所でも4勝3敗と勝ち越し、東幕下15枚目と幕下上位まで再び番付を上げた翌9月場所では6勝1敗の好成績を挙げ、西幕下3枚目まで番付を上げた翌11月場所でも4勝3敗と勝ち越した。そして11月場所後の番付編成会議で十両への昇進が決定し、同時に四股名を本名の「八木ヶ谷」から「若荒雄」と改めた。新十両で迎えた2008年1月場所では7勝8敗と負け越し、1場所で幕下へ陥落したものの、翌3月場所では東幕下2枚目で5勝2敗と勝ち越し、十両に復帰した翌5月場所では8勝7敗と十両で初めての勝ち越しを決めた。その後は連相撲が多く十両で勝ち越すことができなかったが、2009年3月場所で11勝4敗の好成績を挙げ、続く5月場所でも西十両2枚目の位置で9勝6敗と勝ち越しを果たし、翌7月場所において新入幕を果たした。しかし、その7月場所では4勝11敗と大敗し、翌9月場所では十両へ陥落した。2010年5月場所において再入幕を果たすと、その5月場所において10勝5敗という好成績を挙げて幕内では自身初となる勝ち越しを果たした。しかし、同年5月場所中に発覚した大相撲野球賭博問題において野球賭博に関与したとの理由で、特別調査委員会から翌7月場所での謹慎休場を勧告され、自己最高位となる東前頭8枚目で迎えた7月場所を全休し、翌9月場所では再び十両へ陥落した。2011年1月場所に3回目の入幕を果たし、同年11月場所では西前頭9枚目の位置で優勝次点となる12勝3敗の好成績を挙げて、自身初となる敢闘賞を受賞した。翌2012年1月場所では新三役となる西小結へと一気に昇進したが、その1月場所では5勝10敗と大きく負け越した。同年5月場所では10勝5敗という好成績を挙げたものの、東前頭3枚目の位置まで番付を戻した翌7月場所では横綱・大関陣には全く勝つことができずに3勝12敗という大敗に終わった。同年11月場所で4勝11敗と大敗し、翌2013年1月場所では十両へ陥落した。2013年7月場所には東十両12枚目まで下がり、わずか1年で上位総当たりの地位から十両下位まで番付を落とした事を心配され幕下陥落も危惧されていたが、8勝7敗と7場所ぶりに勝ち越した。2014年5月場所は西十両11枚目の番付で土俵に上がったものの、5勝10敗の大敗を喫したことで33場所連続で務めた関取の地位から陥落。1場所で十両に返り咲いたものの、再十両となった同年9月場所は西十両14枚目の番付で13日目に負け越しが決定して再び幕下へ陥落することが確実となり、この日のうちに30歳で引退を発表。引退会見では「悔いは一つもない。いろいろな方に支えられ、素質以上のものを出させていただいた」と涙ながらに感謝を語り、思い出の取組として再十両を確定させた同年7月場所の7番相撲を挙げた。引退に際して阿武松も「多彩な技や反射神経もなく、簡単に三役になれる力士ではなかった。よく小結まで上がったと思う。肩と腰はボロボロだが、懸命に頑張ってくれた」とねぎらいの言葉を送っていた。2015年1月31日に国技館で断髪式を行い、450人がハサミを入れたが、この人数は、雑誌『相撲』によると水戸泉、大乃国に次ぐ3番目の多さである。引退後は年寄・12代不知火を襲名して、阿武松部屋で後進の指導に当たっている。協会の職務では、2015年9月7日付で相撲教習所の担当に任命された。本場所中は決まり手係も担当している。概して長めのリーチを活かして突きで相手を後退させてからそのまま押し出すか途中で引き落としや叩き込みで仕留める相撲を取った。三段目時代までは前に出る相撲に徹していたが幕下から引き技を取り入れるようになった。2011年11月場所に挙げた12勝中引き・叩きが7番を数えていたことなどから苦言を呈されることがある一方で、全盛期には高い圧力の突き押しにより相手が分かってても引きを食ってしまうことから新三役特集で「引き技も立派な技能」と評価されることもあった。十両に陥落してからは出足が鈍り引き技の精度も落ちているが、徐々に左四つに組む場面が増えた。
出典:wikipedia
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