南区(みなみく)は、名古屋市を構成する16区のひとつである。名古屋市の南部に位置する。旧東海道(現在では愛知県道222号緑瑞穂線)沿いには、笠寺観音(笠覆寺)や笠寺一里塚などの史跡が残る。「南区」の区名を持つ現存の行政区のうちでは最も古い(現存しない区では大阪市南区(現・中央区)が最古)。国道1号を境に、東側は笠寺台地とよばれる丘陵地。西側は山崎川および天白川に沿った平坦な地形で、海抜ゼロメートル地帯も少なくない。昔は湿地帯が多く大人の身長をこえる芦などが群生し、呼びあいながら方向を確認していた名残の「呼続」なる地名や「大磯」など、現在も古来の地理にちなんだ地名が残る。名古屋市の地名#南区を参照。古代、区の東部の笠寺台地は松炬島と呼ばれる島で、中西部および天白川沿岸はあゆち潟とよばれる干潟であった。尾張氏が拠点とした場所のひとつといわれる。中世、製塩が盛んになる。鎌倉古道が通る。江戸時代、区域のほぼすべてが尾張藩の領地であり、南野村(現・星崎)の一部が美濃今尾藩(尾張徳川家の附家老)の領地であった。中西部で新田事業が盛んに行われる。東海道が通る。1959年の伊勢湾台風では甚大な被害を受けた。1994年3月30日に地下鉄桜通線が野並駅まで開通し、南区内に初めて地下鉄の駅が設置された(桜本町駅、鶴里駅)。古代から海産業が中心だった。特に中世からは前浜塩と呼ばれる製塩業が盛んに行われ、塩付街道を経て美濃や信濃などの内陸部へ運ばれていた。江戸時代に新田開拓が進むにつれ製塩業は衰退。明治ごろには海苔や魚の養殖が盛んになり、愛知海苔(あゆち海苔)の中心生産地となる。愛知海苔は昭和の一時期には有明海を超える産出量を誇っていた。しかし1959年の伊勢湾台風により地元産業は壊滅的な打撃を受け、海産業も衰退。それに代わって各種工業が進出し、工場地帯を形勢することになる。伊勢湾台風以降は中西部を中心に、鉄鋼・金属・機械・化学などの工場地帯として発展している。概して中小企業が多く町工場と住宅地、商業地が混在した典型的な大都市圏の下町地区である。長く三菱関連の工場によって区の経済は支えられているような状態であったが、2000年に三菱自動車工業大江工場が閉鎖。周囲の下請け・孫請けの工場は少なからず影響を受けた。以降南区の工業は比較的低調で、人口も減少傾向が続いている。2005年に行われた国勢調査では2000年と比較して2.7%減少(約4,000人減少)となった。※笠寺駅からは名古屋臨海鉄道東港線も通っている。また、東海道本線に並行して東海道新幹線が通っている。区の明確な中心駅はなく、JR笠寺駅、名鉄本笠寺駅、名鉄大江駅、地下鉄桜本町駅などに利用がほぼ分散化している。この他、区域から徒歩圏内の駅として地下鉄新瑞橋駅、妙音通駅がある。区役所はJR笠寺駅と名鉄本笠寺駅のほぼ中間に位置する。
出典:wikipedia
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