天白区(てんぱくく)は、名古屋市を構成する行政区16区のひとつである。名古屋市の東部に位置しており、住宅地の性格が強い区である。中世には鳴海庄天白村であった。天白の名は、1906年に愛知郡天白村が成立したときに、区域を流れる川(天白川)から名前を採ったことに始まる。天白川の名前は、河口付近(緑区鳴海町天白橋)に天白神が祀られていたことに由来し、そこからやや上流の天白区野並から下流は、江戸時代に埋め立てが進むまでは、鳴海潟(より古くは阿由知潟)と呼ばれた干潟であった。天白橋付近に渡し場があり、船で笠寺・熱田方面に向かい、陸路の場合は、野並より上流で渡っていた。そこで祭られていた天白神は緑区鳴海町の成海神社から、現在の緑区白土の熊野日白社として祀られている。天白神は洪水から田畑を守る神といわれる。養蚕との関連、瀬織津姫との関連性を指摘する学説もある。天白川および植田川周辺の平坦な地形と区北部の植田山、西部の音聞山、南部の相生山に見られるような丘陵地を合わせ持つ。また、平針の森にはトウカイモウセンゴケが生えており、また、子ども達の遊び場、豪雨時に水を蓄える役割をするため、住民にとって安心できる森であるものの、その一部の「平針の里山」はCOP10開催中の2010年から開発が始まり、河村市長が買い取りを計画したり「平針の里山保全協議会」が保全に向けての取り組みをしたものの、2012年には住宅地として分譲を始めた。名古屋市の地名#天白区を参照。戦国時代には、鳴海荘の横地氏が植田城を天白川沿いに造り、今川氏の側について川ぞいの領主となる。一方丘陵地帯ぞいでは織田信長の妹の婿である牧長義が、島田城を修理し出城に構え、牧虎蔵を城主とし、織田方につき、ため池による新田開発を始めていた。牧氏は、桶狭間の戦いで丹下砦に配備され功績をあげている。織田信長は桶狭間の合戦以前から、今川方と、現在の名東区・天白区から西三河に至るまでの丘陵地帯の領地紛争にからんだ戦闘をしており、平針の秋葉山慈眼寺で、戦勝祈願をしていた。政令指定都市の行政区では珍しく、長野県中川村と「ふれあい協定」を結んでおり、友好都市を持っている。その他、名城線が八事駅(昭和区)の西側(総合リハビリセンター駅方)で僅かながら当区を通過している。区役所へはどの駅からも距離がある。植田駅・野並駅などから市バスに乗り換え、「島田」バス停下車が便利。この他に区域から徒歩圏内にある駅として、八事駅(昭和区)、赤池駅(日進市)、相生山駅(緑区)がある。<南北の道路><東西の道路>泰増寺
出典:wikipedia
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