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苦 (仏教)

仏教における苦(く、、 )とは、サンスクリット語の「ドゥッカ」に由来する。「ドゥッカ」は苦と訳された。「ドゥッカ」の「ドゥッ」( = )は、「悪い」という意味、「カ」() は「空間」、「穴」の意味である。Winthrop Sargeantによれば、「ドゥッカ」という言葉は車軸が真ん中通っておらず、乗り心地の悪い様に由来するという。かれによれば、苦とは、もともと「悪い車軸の穴」というような意味をもち、転じて「不快」を意味したが、一般に身心を逼悩することをいうとされる。すなわち、精神と肉体とが悩みに逼迫されている状態である。このうち、精神の苦について、憂・愁・嫉妬などをあげている。また、肉体的な苦は種々の病などであるという。このような精神的な苦と肉体的な苦とは、人間自身の内的な苦であるから、これを内苦といい、他人から迫害されたり、自然の力によって悩まされたりする風雨寒熱などの苦を外苦とよぶ場合もある。しかし、仏教では中心は、人間自身の苦として、たとえ外からうけるものであっても、それを内に感じてゆくところに、その立場をとるというべきであろう。このように一切は苦なりという仏教の根本的立場が確立され、苦諦(くたい)とよばれる。苦諦とは「苦が諦である」ということで、それは苦であることが真理(サティヤ、)であり、人間の生存そのものが苦であるという。その意味では、苦とは哲学的意味をもった苦である。しかし、四苦といわれる生・老・病・死、加えて八苦といわれる愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦をみても、実際には具体的な現実苦を示すことは注意すべきである。これは一般に後世、苦を説明する時にいわれる三苦にもよく示される。三苦とは、苦苦、壊苦(えく)、行苦の三つである。苦苦(くく、) とは、「苦痛を苦とする状態」を意味する。「苦事の成るによって成立する苦」などと説明され、「寒熱飢渇によって生ずる苦」といわれるから、外的な、感覚的な苦である。このような苦が人間にとって第一段階の苦で、自然的、基礎的なものである。壊苦(えく、) とは「壊滅の苦の状態」である。「ヴィパリナーマ」とは「悪い方へ変化する」という意味であるから、好もしくない状態をあらわすのである。「楽事の去るによって成ずる苦」とも説明される。「壊滅」とは、その点で「楽境壊滅」(らくきょうえめつ)の意味であるという。すなわち、人間にとって好もしいと感ずる対象が、次々とこわされてゆく時に感ずる苦である。この第二の苦の中に、人間が一般に感ずる苦は含まれる。+のは、唯識でいう「識の転変()」とほぼ同じ意味で使われていることからも、この壊苦は「心の変化に応じて生ずる苦しみ」の事を指している、と考えられる。行苦(ぎょうく、) とは「生起の苦の状態」といわれる。「行」の意味は、「作られたもの」ということで、生存していること自体を指しているから、一切の存在が無常であることによって遷り流れてゆくところに感じとられる苦である。とくに、人間生存の無常という事実の中に感ずる苦であるから、生存苦、生きること自身が苦であることを示した。したがって、苦苦も壊苦も、この行苦を根本として起ってくるといえる。その意味で、行苦や五蘊盛苦は、人間の根本的な苦を示す。仏教は、根本的には生きていること自体が苦であるという形而上学的な考え方をもととして、人間の「自分が」という我執こそ苦の根本であると言う。「仏教では、この世は『苦』であると説く」と聞くと、日本語の“苦”を思い浮かべてしまうのが普通である。しかし釈迦の説く「苦」は、現代語の「苦」とは別物であることに注意が必要である。現代語の苦は具体的には、肉体的な苦痛と精神的な苦痛とがあるが、仏教で説く「苦」とは例えば原始仏教では「苦しい事」の他、「虚しい事」、「不完全である事」、「無情である事」を指すとされ、それら精神的な側面を「苦」と表現している。したがって、覚りを得たからといって、病気や肉体的な苦痛が無くなる訳ではない。古い仏典には、肉体的な苦痛に耐える釈迦が描かれているし、釈迦が病死したことは間違いないとされている。

出典:wikipedia

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