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盂蘭盆会

盂蘭盆会(うらぼんえ)とは、7月15日を中心に7月13日から16日の4日間に行われる仏教行事のこと。日本における日付については、元々旧暦7月15日を中心に行われていたが、改暦にともない新暦(グレゴリオ暦)の日付に合わせて行ったり、一月遅れの新暦8月15日や旧暦のまま行っている場合に分かれている。父母や祖霊を供養したり、亡き人を偲び仏法に遇う縁とする行事のこと。『"盂蘭盆経"』(西晋、竺法護訳)、『"報恩奉盆経"』(東晋、失訳)などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説に由来する。盂蘭盆(うらぼん)、お盆とも。なお、旧暦7月15日は、仏教では安居が開ける日である「解夏」にあたり、道教では三元の中元にあたる。盂蘭盆は、サンスクリット語の「ウランバナ」(ullambana、उल्लम्बन)の音写語で、古くは「烏藍婆拏」(『玄応音義』)、「烏藍婆那」と音写された。「ウランバナ」は「ウド、ランブ」(ud-lamb)の意味があると言われ、これは倒懸(さかさにかかる、逆さ吊り)という意味である。近年、古代イランの言葉(アヴェスター語)で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」(urvan)が語源だとする説が出ている。サンスクリットという言語がアヴェスター語と同じく印欧語族のインド・イラン語派に属するという事から考えると、可能性は比較的高い。古代イランでは、祖先のフラワシ(Fravaši、ゾロアスター教における精霊・下級神。この世の森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在。この「フラワシ」は人間にも宿っており、人間に宿る魂のうち、最も神聖な部分が「フラワシ」なのだと言う。説ではこのフラワシ信仰が祖霊信仰と習合し、「祖霊」を迎え入れて祀る宗教行事となったとする。本来的には安居の終った日に人々が衆僧に飲食などの供養をした行事が転じて、祖先の霊を供養し、さらに餓鬼に施す行法(施餓鬼)となっていき、それに、儒教の孝の倫理の影響を受けて成立した、目連尊者の亡母の救いのための衆僧供養という伝説が付加されたのであろう。仏教における『盂蘭盆経』に説いているのは次のような話である。咸淳5年(1269年)に南宋の志磐が編纂した『"仏祖統紀"』では、梁の武帝の大同4年(538年)に帝自ら同泰寺で盂蘭盆斎を設けたことが伝えられている。『"仏祖統紀"』は南宋代の書物なので梁の武帝の時代とは、約700年の隔たりがあり、一次資料とは認め難い。しかし、梁の武帝と同時代の宗懍が撰した『"荊楚歳時記"』には、7月15日の条に、僧侶および俗人たちが「盆」を営んで法要を行なうことを記し、『"盂蘭盆経"』の経文を引用していることから、すでに梁の時代には、偽経の『"盂蘭盆経"』が既に成立し、仏寺内では盂蘭盆会が行なわれていたことが確かめられるのである。南宋代になって、北宋の都である開封の繁栄したさまを記した『"東京夢華録"』にも、中元節に賑わう様が描写されているが、そこでは、「尊勝経」・「目連経」の印本が売られ、「目連救母」の劇が上演され好評を博すほか、一般庶民が郊外の墓に墓参に繰り出し、法要を行なうさまも描かれている。日本では、この「盂蘭盆会」を「盆会」「お盆」「精霊会」(しょうりょうえ)「魂祭」(たままつり)「歓喜会」などとよんで、今日も広く行なわれている。この時に祖霊に供物を捧げる習俗が、いわゆる現代に伝わる「お中元」である。古くは推古天皇14年(606年)4月に、毎年4月8日と7月15日に斎を設けるとあるが、これが盂蘭盆会を指すものかは確証がない。斉明天皇3年(657年)には、須弥山の像を飛鳥寺の西につくって盂蘭盆会を設けたと記され、同5年7月15日(659年8月8日)には京内諸寺で『"盂蘭盆経"』を講じ七世の父母を報謝させたと記録されている。後に聖武天皇の天平5年(733年)7月には、大膳職に盂蘭盆供養させ、それ以後は宮中の恒例の仏事となって毎年7月14日に開催し、孟蘭盆供養、盂蘭盆供とよんだ。奈良、平安時代には毎年7月15日に公事として行なわれ、鎌倉時代からは「施餓鬼会」(せがきえ)をあわせ行なった。また、明治5年(1872年)7月に京都府は盂蘭盆会の習俗いっさいを風紀上よくないと停止を命じたこともあった。現在でも長崎市の崇福寺などでは中国式の盂蘭盆行事である「(普度)蘭盆勝会」が行われる。主として現代日本における風習についてはお盆もあわせて参照のこと。

出典:wikipedia

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