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石城郡

石城郡(いわきぐん、いわきのこおり)は福島県(陸奥国)にあった郡である。旧仮名遣いでは「いはきぐん」「いはきのこほり」。古代には磐城郡とも書いた。7世紀に石城評として設置され、701年に郡に移行した。本項では1180年頃まで存在した石城郡・磐城郡(第1次)と、1896年(明治29年)から1966年(昭和41年)まで存在した石城郡(第2次)について述べる。1896年(明治29年)に行政区画として発足した石城郡(第2次)の郡域は、いわき市の大部分(久之浜町・大久村の各町を除く)にあたる。石城郡成立に至るまでの当該地域の変遷については諸説あって定かではないが、『常陸国風土記』によれば、この地は当初多珂国に属し、石城評造が置かれていたが、白雉4年(653年)に石城評(いわきのこおり)として分立し、陸奥国に属したとされる。養老2年(718年)、陸奥国の三分割にともない成立した石城国に編入されたが、石城国は十年足らずで廃止され、再び陸奥国に帰属した。文献史料に「石城」と記されるのはこの頃までで、天平神護2年(766年)に陸奥国が磐城・宮城の2郡の貧民に稲を給付した記録から、「磐城」の表記になった。10世紀前半に著された『和名類聚抄』では、蒲津・丸部・神城・荒川・私・磐城・飯野・小高・片依・白田・玉造・楢葉の12郷が置かれていたとある。治承4年(1180年)頃、岩城郡・岩崎郡・楢葉郡の三郡に分割され、いったん石城郡の名は消滅した。以後700年間、当該地域において郡割の大幅な変更は行われなかったが、明治維新による新政府の発足にともない様相が一変する。明治5年(1872年)に施行された大区小区制の下で、磐城郡・磐前郡・菊多郡の三郡が同一の大区に属し、その後を受けた郡区町村編制法の下でも、明治12年(1879年)に三郡合同の郡役場が磐前郡平に置かれるなど、地方制度改革が進められていく中で、かつての石城郡の規模に相当する大郡が形成される流れが生じた。こうして、明治29年(1896年)4月1日、菊多・磐前・磐城の三郡の合併により石城郡の名が復活した。この時、かつて石城郡から分立した楢葉郡からも川前村が新設の石城郡に編入されている。

出典:wikipedia

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