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神取忍

神取 忍(かんどり しのぶ、本名:神取 しのぶ/読みは同じ、1964年10月30日 - )は、日本の女子プロレスラー。元柔道選手、元参議院議員。神奈川県横浜市磯子区出身。私立横浜学園高等学校卒業。所属団体はLLPW-X。15歳から始めた柔道で、1983年から全日本選抜柔道体重別選手権(66kg級)3連覇、1984年世界柔道選手権大会3位、1983年の第1回福岡国際女子柔道選手権大会2位、1985年第3回福岡国際3位などの成績を収めた。町道場の出身だったため厳しい体罰を受けることはなかったが、柔道の総本山であった講道館からは距離を置かれていた、と語っている。オリンピックを目指すモチベーションが保てず、ソウルオリンピックを待たずにプロレスラー転向を決意する。1986年、女子プロレス団体ジャパン女子プロレスに入団。1986年8月17日、後楽園ホールのメインイベントジャッキー佐藤戦でデビュー、「四天王」として即看板レスラーとなる。その後、神取の目の負傷に端を発したジャッキーとのトラブルからジャッキーへの不信感を募らせ、1987年7月6日の試合にてジャッキーの攻撃が負傷箇所にヒットした事で神取の怒りは最高潮に達し、「そのつもりなら、そういう試合をしましょうよ」と告げてジャッキーとの一騎討ちでの決着戦を希望、同月18日の神奈川・大和車体工業体育館大会にて、神取いわく「(ジャッキーの)心を折る」シュートマッチを行った。プロレス界初のフリー宣言を行い、当時全日本女子プロレスのエースで絶大な人気を誇っていた長与千種との対戦を熱望して全女と交渉した。しかし、このフリー宣言に対してジャパンプロレスは、神取とは5年契約を結んでいたと主張し、その間に他団体のリングに上がることは問題になる場合があると警告した。神取は労働基準法に基づいた「1年以上の拘束の禁止」を理由に弁護士を立てて自分の言い分を伝えたものの、ジャパンプロレスとの間の話はまとまらなかった。このため、長与自身は乗り気だったにもかかわらず、全女側としても契約問題がクリアにならない事からゴーサインが出せず、結局長与が一度目の引退となって対戦機会を失ってしまった。長与との対戦が不可能となった後、フリーランスとしてジャパン女子プロレスに戻るが、ジャパン女子の崩壊を経て1992年8月29日、LLPW(現・LLPW-X)の旗揚げに参加。1993年、団体を背負い、北斗晶と対戦し2戦1勝1敗。"デンジャラス・クイーン"という北斗の異名のきっかけとなる流血試合を繰り広げる。1994年、アメリカから帰国したブル中野とのチェーンデスマッチに挑む。敗れたものの、神取はこれを自身のベストマッチに挙げている。1995年、女子初の総合格闘技L-1に参加。自分では優勝出来ると思っていたが、グンダレンコ・スベトラーナに敗れ準優勝。1998年の第2回大会で優勝。1999年、格闘探偵団バトラーツのマッハ純二(現・タナカジュンジ)に勝利。また2000年、天龍源一郎とシングルで対戦し、TKOで敗北した。2000年1月、『Physique 神取忍写真集』(バウハウス)にてセミヌードを披露。2002年、LLPWの代表取締役に就任。2005年3月5日、秋山準・森嶋猛のセコンドとしてプロレスリング・ノアに登場、相手セコンドの北斗晶と接触。「(対戦相手の)天龍源一郎と(セコンドの)北斗晶が一番嫌いな人を」と秋山準に請われてのものである。後楽園ホール控え室のドアを壊したという逸話を残すなど、女であるにもかかわらずその男っぷりのよさから、別名「女子プロレス最強の男」、「ミスター・女子プロレス」と呼ばれる。2004年7月、第20回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から立候補。「正直さ、イラク問題とかよく分かんないんだよね、ぶっちゃけ」などの物言いで選挙戦を戦ったが、次点で落選した。2006年9月28日、竹中平蔵が参議院議員を辞職したことにより自民党比例代表選出議員に欠員が発生し、10月4日に議員に就任した。同日、参議院議長は、本名の神取しのぶに代えて、神取忍を議員氏名として使用することを許可した。同年10月12日、清和政策研究会(町村派)に入会した。自民党が野党に転じてからは、参議院環境委員会で米海軍厚木基地からの汚水流出事故などを挙げながら「米軍施設からの汚水に対して十分な対策ができることが国内法で担保されているのか」と環境大臣の小沢鋭仁を問いただした。2010年7月、第22回参議院議員通常選挙に自民党公認で比例区から出馬するも落選。ほか多数

出典:wikipedia

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