佐々木 家寿治(ささき かずじ / かじゅじ、1886年12月7日 - 1954年3月2日)は、日本の政治家。宮城県知事を1期務めた。「百姓知事」と言われ県民の人気も高かった。旧制・宮城県第三中学校(現・宮城県古川高等学校)を経て、盛岡師範学校(現・岩手大学)を卒業した。1930年、仙台市長選挙に立候補したが、市会(市議会)での得票数は4位に終わり、落選した。1932年2月の第18回衆議院議員総選挙に宮城県第1区から出馬して当選し、衆議院議員を二期務めた。1946年、岡崎栄松、金森誠之、佐々木更三らが立候補し、初の公選で行われた仙台市長選に再び立候補するが、落選した。同年、宮城県志田郡を地盤とする元・宮城県会(県議会)議長として、宮城地方党から衆議院議員選挙に立候補したが落選した。1949年、宮城県知事に就任。1951年には、当時資金難にあった県内の商工業を救済することを考え、宮城県から4割を出資して振興無尽(現・仙台銀行)を設立した。しかし、1952年、任期途中で辞職した。1954年3月2日、肺気腫のため死去。墓所は、宮城県古川市(現在の大崎市)の養性寺にある。
出典:wikipedia
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