石干見(いしひみ、いしひび)は、干潟などの遠浅の海岸に石を積み上げ、潮の干満で石積みの内側に取り残された魚介類を捕る伝統的な漁法、及び、それに用いられる石積み。沖縄県地方では魚垣(ながき、かつ、かち)とも呼ばれる。最古の漁法とも言われる原始的な漁法で、日本のほか、韓国、台湾等の東アジア、東南アジア、南太平洋の島嶼などの広域で行われてきた。近年、近代的な漁法の普及により姿を消しつつあるが、その文化的価値が再評価され、復元なども行われている。以下は現存する石干見(復元したものも含む)の一覧である。これ以外に、奄美大島、加計呂麻島、徳之島にも石干見の跡が残っている。有明海沿岸の干潟ではかつては石干見が盛んであり、現在も長崎県諫早市高来町湯江には石干見(いわほしみ)が残っている。長崎県島原市には明治時代には29基の石干見(すくい)があったが、第二次世界大戦後に海苔の養殖場造成のために撤去された。2006年8月に復元された。1881年(明治14年)1月2日には1基の石干見に大量のボラが入り、ボラ石干見と呼ばれるようになるとともに、石干見の所有者によって石干見の石を使った供養塔が建てられ長崎県五島市(旧三井楽町)塩水のスケアンは、底部の幅約1.5m、高さ約1mの石垣を80mにわたって築いたもので、ミズイカやメジナなどが漁獲された。現在は、主に観光用や小学校の体験学習用に利用されている。大分県宇佐市長洲では、昭和10年代まで7基、昭和30年代まで5基の石ひびが設けられ、ハゼ、カレイ、ガザミ等の漁が行われていた。2006年10月に復元され、観光用などに利用されている。沖縄県宮古島市下地島の魚垣(かつ)は、未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選に選定されるとともに、旧伊良部町の文化遺産に指定されている。沖縄県石垣島(石垣市)の白保には、第二次世界大戦前には16基の垣(かち)があったと言われる。2006年10月に長さ400mの垣が復元されている。沖縄県小浜島(八重山郡竹富町)の南岸には、幅12m、長さ1,200mに及ぶ世界最大級の魚垣(ながき)がある。島本海垣(しまんだがきぃ)とも呼ばれ、琉球時代にこの島出身の琉球王国の女官のために築かれたと伝えられる。
出典:wikipedia
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