ニュー・オーダー ("New Order") は、マンチェスターにて結成されたイギリスのニュー・ウェーヴの音楽を制作するバンドである。ポストパンクの代表的なバンドの一つジョイ・ディヴィジョンを前身とする。音楽性の特徴としては、1980年代に最先端であったダンスフロア向けのテクノと、前身のバンドから続くパンクロックを融合させたことで、1980年代のシンセサイザー音楽として見た場合にも、かなり実験色の薄いポピュラーなサウンドが展開されている。比較的安価であるが、当時最先端とされた電子楽器も数多く投入していた。現在では、その安価なシンセサイザーの音色もローファイと評されている。1983年のヒット曲『ブルーマンデー』や、ヒップホップにおける代表的なプロデューサーであったアーサー・ベイカーと組んだ『コンフュージョン』などの楽曲により、現在でも最も影響力のあるダンス・アクトの一つに数えられている。ツアー中の行動の破天荒さは、ハッピー・マンデーズのメンバーをして「正真正銘の24アワー・パーティー・ピープル」と言わしめるほどである。2007年以降、事実上の解散状態にあったが、2012年2月にピーター・フック抜きで再結成したことを表明した。ジリアン・ギルバートは公私共にパートナーであるスティーブン・モリスとの間の子供が難病を抱えていたため、1990年代後半のバンドの再始動以降は一部の曲のレコーディングを除き、ライブツアーなどバンドの活動には関わってこなかったが、2001年に正式に脱退が表明された。彼女の欠けたツアーには後に正式メンバーとして加入するフィル・カニンガムが代役を務めることとなった。ジリアンは2011年の再結成よりバンドに復帰し、以降はフィルを含めたこのメンバーで活動を行っている。1stアルバム『ムーブメント』の第一曲目「Dreams Never End」はフッキーがヴォーカルを担当。また、初期のシングル「Procession」はスティーヴン・モリスがヴォーカルを担当している。当初はメンバーそれぞれをボーカルとした編成で担当楽器なども取り替えつつリハーサルを繰り返し、試行錯誤の末に後の編成にたどり着いた。1980年、イアン・カーティスの自殺によりヴォーカリスト兼作詞家を失ったジョイ・ディヴィジョンは活動停止を余儀なくされた。残された3人のメンバー(バーナード・サムナー、ピーター・フック、スティーヴン・モリス)は話し合いの末、音楽活動を継続することを決意。以前に交わした「メンバーが一人でも欠けたらジョイ・ディヴィジョンの名前でバンド活動は行わない」という約束に基づき、新バンドは「ニュー・オーダー」と名乗ることになった。また、紆余曲折の末にバーナード・サムナーがイアン・カーティスに代わるヴォーカリストを務めることになった。1981年5月、古巣のファクトリー・レコードからシングル『セレモニー』でデビューを飾ると、11月にはアルバム『ムーヴメント』を発表。これらの作品はジョイ・ディヴィジョンの延長線上ともいえる陰鬱なサウンドに彩られていたが、同年12月のシングル『エヴリシングス・ゴーン・グリーン』では電子音を用いたエレクトロ寄りのアプローチをみせ、新境地を開く。また、1982年には当時モリスのガールフレンドで将来の妻であるジリアン・ギルバートを四人目のメンバーとして加えた。1982年5月には所属レーベルのファクトリー・レコードの社長であるトニー・ウィルソンと共同経営の形でマンチェスターにディスコをオープン。ハシエンダと名付けられたこのクラブは、英国の初期のクラブ文化の発展に寄与し、1980年代終わりから1990年代始めに掛けて世界中に衝撃を与えたマッドチェスターやセカンド・サマー・オブ・ラブといった音楽シーンを生み出す母体となった。1983年5月、セカンド・アルバム『権力の美学』を発表。シンセサイザーを駆使し、前作よりエレクトロの要素を強めた作品となった。この方向性をさらに進めたのが、続けて発表されたシングル『ブルーマンデー』で、大ヒットを記録した同作は12インチ・シングルとしては史上最も売れた作品となった。立て続けに発表された『ロウ・ライフ』(1985年)、『ブラザーフッド』(1986年)の両アルバムは幅広い支持を受け、英国のチャート上位に食い込むなど商業的成功も収めた。5作目の『テクニーク』(1989年)は当時新しいクラブ・サウンドが芽生えていたイビサ島でレコーディングが行なわれ、流行を先取りした同作はアメリカおよびイギリスなどでゴールドディスクに認定された。ファクトリー・レコードの崩壊に伴い、ニュー・オーダーの6作目のアルバム『リパブリック』(1993年)はロンドン・レコードから発表された。メンバーのソロ活動が影響したのか、前作よりも落ち着いた作風で統一されている。アルバムの制作過程でメンバー間の対立が顕著になったこともあり、8月に行われたレディング・フェスティバルでのライヴを最後に活動を休止。日本ではこの後テクノブームが全盛期を迎えるが、ニュー・オーダーは逆にテクノシーンの中心から遠ざかっていく。メンバーは各自のソロ活動に専念することになった。1998年、マネージャーの進言により5年ぶりに顔を合わせたメンバーは活動の再開を決意。同年のレディング・フェスティバルで復活ライヴを行った。また、これ以降のライヴではこれまで自粛していたジョイ・ディヴィジョン時代の楽曲も積極的に演奏されるようになった。2001年のアルバム『ゲット・レディー』は従来よりギター・サウンドを前面に出した作品となった。スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンが一部のレコーディングに参加したほか、アルバム発表後のツアーでもサポート・メンバーとしてステージに立った。また、このアルバムを最後にジリアン・ギルバートが脱退し、サポートメンバーだった元マリオンのフィル・カニンガムが正式なメンバーとして迎えられた。2005年には8作目となる『ウェイティング・フォー・ザ・サイレンズ・コール』を発表。日本盤にはボーナストラックとして「クラフティー」の日本語ヴァージョンが収録され、フジ・ロック・フェスティバルでの来日公演の際にも演奏された。2007年5月、ピーター・フックは複数のメディアで「バーナード(・サムナー)とは一緒にやっていない」と述べ「ニュー・オーダーは解散した」と明言。その一方で、サムナーとモリスは英BBC Newsに宛てた文書を通じて正式に「解散はせず今後も2人で活動を続けて行く」とコメントし、事実上フックは脱退したとの認識を明らかにした。これに対しフックはMySpace上の自身のページにて「バンドはもう終わった。残り三分の二(サムナーとモリス)に活動を続ける権利は無い。僕にも三分の一の権利がある」と改めて解散を宣言、交渉に応じるとも述べながら、裁判を示唆するコメントを残した。2009年、バーナード・サムナーはと無名の新人ジェイク・エヴァンスと共に新バンドのバッド・ルーテナント("Bad Lieutenant")を結成。レコーディングには、ブラーのアレックス・ジェームスの他、ジョイ・ディヴィジョン時代からの旧友であるスティーヴン・モリスも参加した。2011年9月、ニュー・オーダーとしての再結成ライヴを行うことが発表された。また、ジリアン・ギルバートが復帰するものの、ピーター・フックは参加しないことが明らかにされた。ライヴではフックの代役としてバッド・ルーテナントのレコーディングに参加したトム・チャップマンがベースを担当した。メンバーから外されたことについてフックはバンドを批判する声明を発表した。バンドは2012年に入ってもライヴ活動を継続し、英国ツアーの他、日本におけるサマーソニックへの出演も発表された。また、サムナーは年内に新しいアルバムの制作を開始する可能性を示唆している。詳細はシングル・アルバムのそれぞれの項を参照。エレクトロニック(Electronic)はバーニーと元ザ・スミスのジョニー・マーによるプロジェクト。ペット・ショップ・ボーイズのニール・テナントなどがゲストアーティストとして参加。リヴェンジ(Revenge)は、フッキーが中心となって結成されたバンド。モナコ(Monaco)は、フッキーがギタリストであるデヴィッド・ポッツと1996年に結成したユニット。近年では2007年10月に再結成ライヴを行っている。フリーベース(FreeBass)は、フッキーの呼びかけによりザ・スミスのアンディ・ルークとストーン・ローゼズ/プライマル・スクリームのマニの三人のベーシストで結成されたプロジェクト。2005年に活動を開始し、アルバム一枚を発表した後、2010年に事実上解散した。ジ・アザー・トゥー(The Other Two)は、ニュー・オーダーの「残り二人」、スティーヴン・モリスとジリアン・ギルバートによるサウンドユニット。バッド・ルーテナント(Bad Lieutenant)は、バーニーが中心となって2007年に結成されたオルタナティブ・ロック・バンド。
出典:wikipedia
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