ジョセフ・ジェファーソン・"ジョー"・ジャクソン(Joseph Jefferson "Joe" Jackson, 1888年7月16日 - 1951年12月5日)は、1910年代のアメリカメジャーリーグの元野球選手(外野手)。サウスカロライナ州出身。マイナーリーグ時代、足に合わない小さなスパイクしか持っていなかったジャクソンは、足によくマメが出来たため、ある試合でスパイクを脱ぎ捨てて裸足でプレーした。この逸話から、「シューレス(裸足の)・ジョー(Shoeless Joe)」という愛称を持つ。1919年に起こった八百長事件「ブラックソックス事件」で球界を追放された、「悲運の8人」の1人である。子供の頃から織物工場で働き、十分な教育を受けることができなかった。13歳の時に野球を始めた。1908年にフィラデルフィア・アスレチックスと契約し、同年8月25日に18歳でメジャーデビュー。しかしフィラデルフィアでの2年間はチームになじめず、ほとんどをマイナーリーグで過ごした。1910年、クリーブランド・ナップスにトレードされる。同年にマイナーリーグで結果を残し、メジャーに昇格すると、少ない打数ながら打率.387を記録。翌1911年にはレギュラーに定着し、打率.408、233安打、41盗塁を記録するも、タイ・カッブがそれを上回る打率.420を記録したため首位打者になれなかった。このときの年齢は24歳2ヶ月で4割打者の最年少記録だったが、後にテッド・ウィリアムズに更新される。その後の1912年、1913年も2年連続で最多安打を記録するなど活躍し、特に1913年にはMVPの投票でウォルター・ジョンソンに次ぐ2位となった。1915年シーズン途中にシカゴ・ホワイトソックスに移籍。翌1916年に打率.341を残し、1917年のワールドシリーズでは全6試合に出場して打率.304を記録。ホワイトソックスの11年ぶり2回目の優勝に貢献した。1918年は故障でシーズンのほとんどを棒に振ったものの、翌1919年には139試合に出場して打率.351を記録するなど復活した。1920年、自己3番目の高さとなる打率.382、自己最高となる121打点を記録。しかし、同年シーズン終了後、1919年のワールドシリーズで八百長事件に関与したとして、32歳という若さでメジャーリーグから永久追放されることとなった。通算打率.356は史上3位の高打率であるが、同時期にタイ・カッブがいたため、結局1度も首位打者を獲ったことがなかった。現役引退後はジョージア州やサウスカロライナ州のセミプロリーグでプレーした。後にバーベキューレストランや飲み屋 (liquor store) を経営。1951年、翌日テレビで自身の無実を主張するはずだった12月5日に、心臓発作で死去した。ジャクソンが本当に八百長に関わっていたかどうかについての議論は尽きない。問題のシリーズで、ジャクソンは打率.375(32打数12安打)、無失策、チーム唯一の本塁打を打っている一方、第1戦でバックホームを大暴投している。また「本気の彼なら5割を打っていた」という主張もある。大陪審で証言を済ませ、裁判所から出て来たジャクソンに、ひとりの少年ファンが、"Say it ain't so Joe!!"(「嘘だと言ってよ、ジョー!」)と叫び、これに対してジャクソンは「ごめんよ、どうも本当らしい」と応えたという逸話が残っているが、それは新聞記者のねつ造であり、実際は少年ファンに話しかけられなかったどころか、裁判所の外に子供はひとりもいなかった、とジャクソン記念館のアーリーン・マークリー館長は話している。現役時代のジャクソンはチームの看板選手であり、「悲運の8人」の中で最もファンに愛されていた選手であった。カッブはジャクソンのことを「メジャーリーグ最高のレフト」、「彼のグローブの中で三塁打は死ぬ」と高く評価し、ベーブ・ルースはジャクソンの打撃フォームを参考にしたという。現在もジャクソンの認知度は高く、ジャクソンやタイ・カッブ等を含めた1914年度のベースボールカードセットが、オークションで80万ドル(約8200万円)で、また直筆サイン入りバットが13万7500ドル(約1450万円)で落札されたことがある。復権の嘆願も多いが、2012年現在もジャクソンはピート・ローズとともにアメリカ野球殿堂の審査対象となっていない。1947年に制定されたルーキー資格に照らした場合に、ジョー・ジャクソンが1911年に放った233安打が、それまでの「ルーキー最多安打」であったことが発見されたのは、2001年のことである。この年メジャーリーグ1年目のイチローが200本を超える安打を記録した頃から、ルーキー最多安打記録が話題になり始めたため、メジャーリーグ機構がルーキー表彰制度の始まった1947年以前の記録を改めて調べなおした結果、それまで認知されていたロイド・ウェイナーのメジャー1年目安打数(223安打)を、ジャクソンの記録が超えていたことが判明した(現在のルーキー最多安打記録は、イチローの242安打である)。アメリカ合衆国のミュージシャン、元クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)ジョン・フォガティの1985年のアルバムタイトル曲『センターフィールド』の2番の歌詞において、有名なベースボール・ポエム「ケイシー打席に立つ」の一節、ウィリー・メイズ、タイ・カッブ、ジョー・ディマジオといった殿堂入り中堅手の名前と共に、ブラックソックス事件における有名フレーズ "Say it ain't so Joe!!"(「嘘だと言ってよ、ジョー!」)が「Don't say "it ain't so"」として引用されている。ちなみに、フレーズだけで名前は登場しないジョー・ジャクソンは左翼手だった。2013年のメジャーリーグのドラフト会議において、ひ孫のジョー・ジャクソンがテキサス・レンジャースから5巡目で指名されている。
出典:wikipedia
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