株式会社エニックス("ENIX Corporation")は、かつて存在したソフトハウス、出版社。2003年4月1日に同業他社であるスクウェアと合併し、スクウェア・エニックスとなった。1975年9月、福嶋康博により「営団社募集サービスセンター」として創業。紆余曲折を経て、1982年に子会社としてエニックスを設立し、パソコンソフト業界に参入。大々的なプログラムコンテストを開き、翌1983年に一挙に13本のソフトを発売した事で一躍知名度を上げる。1985年7月に家庭用ゲーム機市場に参入。1988年に発売した『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』は社会現象とも呼ばれるほどのヒットを記録、エニックスはゲームメーカーとしての地位を確固たるものとした。なお、社内にはドラクエシリーズ専門の部署である「ドラクエ課」が存在した。1990年、収益の安定を図るために出版ビジネスに進出。翌1991年に創刊した『月刊少年ガンガン』は、15年近く月刊漫画雑誌の創刊で成功といえるものがないという逆風の中、一定の成功を収め、その後、数多くの派生誌を生んだ。社名の「エニックス」は、世界初の汎用デジタルコンピュータと言われる「ENIAC(エニアック)」と不死鳥「PHOENIX」をあわせた造語である。なお、ドラクエシリーズのヒットにより日本有数のゲーム会社とも言われたが、エニックス自体は開発機能を持たないゲームパブリッシャーである。前述のプログラムコンテスト以降、主にコンテストで新人を発掘するという手法が取られ、定期的にゲームのコンテストが開かれていた。この路線は出版ビジネスに進出した際にも踏襲され、多くの新人を発掘している。合併してスクウェア・エニックスになった現在でも、旧エニックス系の流れを汲む作品の開発は外部へ委託されている。2002年11月26日にスクウェアとの合併契約書が締結されたが、2003年1月10日にスクウェア筆頭株主の宮本雅史が合併比率に不満を持っているとの報道がなされ、1月14日に合併比率がエニックス1:スクウェア0.81からエニックス1:スクウェア0.85に変更された。1982年に第1回を開催(同年12月20日締め切り)。賞金総額300万円(最優秀賞100万円)というのが最大の売りであり(当時の同様のコンテストは賞金は30万前後が普通)、後のゲーム界を担う人材を発掘した。300本近くの応募作の中から、13本がパソコンソフトとして実際に販売された。『ドラゴンクエスト』シリーズ開発史の最初の舞台(堀井と中村の出会い)として描かれることが多い。年2回開催される漫画家募集企画。1995年に「エニックス21世紀マンガ大賞」としてスタート(1995 - 99年:全9回)し、2000年に「新世紀マンガ大賞」と改名(2000 - 02年:全6回)。2003年から「エニックスマンガ大賞」となり、スクウェアとの合併に伴い2004年の第3回より「スクウェア・エニックスマンガ大賞」と改名され現在に至る。1998年に行われた、アニメーション関連のクリエイター募集企画。アニメ企画部門、アニメ声優部門、アニメシナリオ部門、メカデザイン部門の4部門があり、出崎統、野沢雅子、藤川桂介の3名が審査を行った。1998年12月31日に応募が締め切られ、1999年3月12日付の朝日新聞および『月刊少年ガンガン』ほかエニックス刊行各誌で発表された。声優部門の受賞者には野川さくら、今井麻美、早水リサ、榊原ゆいがいる。(いずれも過去)
出典:wikipedia
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