高部 知子(たかべ ともこ、1967年8月25日 - )は、日本の女優・タレント・精神保健福祉士。慶應義塾大学文学部哲学科(通信教育課程)卒業。東京福祉大学精神保健福祉士養成課程修了。浄土宗西山深草派教師。東京都生まれ。幼少期は病弱で、読書が趣味だった。一方で、読んだ書物の登場人物になりきって演技を試みる癖があった。プロダクション(ボンド企画)にスカウトされ、1980年NHKのテレビドラマ『ガラスのうさぎ』でデビュー。1982年、テレビ朝日『欽ちゃんのどこまでやるの!?』で「萩本家の愛娘」3人で構成されたユニット「わらべ」の長女・のぞみを演じた。1983年には、穂積隆信の家族で実際に起きた非行問題をまとめたノンフィクションをドラマ化した『積木くずし〜親と子の200日戦争』で主人公・不良少女役を演じた。人気絶頂の最中の1983年6月、高部がベッドで裸体に布団を掛けた状態で煙草を咥えた様子を捉えた写真が写真週刊誌「FOCUS」に掲載され、性行為疑惑と未成年喫煙疑惑が浮上(ニャンニャン事件)。この影響で高部は出演中のテレビ・ラジオ・CM全てを降板。主演予定だった劇場版『積木くずし』も代役が立てられ、堀越高等学校を無期停学になり謹慎を余儀なくされた。この事件によって、「清純な少女タレント」というイメージが壊れてしまった。事件当初、本人も所属事務所も他のメディア露出は降板しても、「いずれは『欽ちゃんのどこまでやるの!?』へ復帰出来る」と見込んで、同番組への出演を「謹慎」としていたが、事件の波紋は思いのほか大きかったことに加え、真面目さを売りにしている欽ちゃんファミリーの一員に復帰させることは罷りならないとの視聴者からの意見が多くあがった。それらのこともあり、高部は「わらべ」から除名、萩本も「破門」を言い渡さざるを得なかったという。以降、わらべは残りの二人(倉沢淳美、高橋真美)だけで活動することになり、それを見栄晴、真屋順子らが欽どこファミリーとしてバックアップした。やがて無期停学処分が解け、学業に専念する姿が時々写真週刊誌や女性週刊誌の記事に小さく取り扱われることがあった。しかし大きな話題になることはなかった。芸能活動の謹慎が解けた後、1984年に1年3ヶ月ぶりにTBS系の連続テレビドラマ『転校少女Y』の主役で本格復帰。1984年11月、シングル「雨の街」でソロデビュー。岡村孝子のバックアップを受けてソロ・アルバム『雨・ア・ガ・リ』も発売したがヒットには繋がらなかった。高校を卒業後、22歳で幼馴染と結婚し、芸能界を引退。夫婦でコンビニエンスストアの経営に努める。2人の子供をもうけ、その夫唱婦随の姿がワイドショーの「あのひとは今」コーナーで取り上げられたこともあったが数年後、離婚。その後再婚するが、再び離婚する。1999年芸能界に復帰し、局部にピアスをつけたヌード写真集『Objet D'amour』を発表する。2001年官能ビデオ『パラノイア』に出演。2000年に慶應義塾大学文学部哲学科通信制へ入学。2006年に卒業。その後、東京福祉大学(通信制)精神保健福祉士養成課程修了。国家資格取得。現在は、全国各地の精神医療・福祉関連施設で、認知症や各種の依存症患者に対するカウンセリングやケアに取り組んでいる。2013年1月28日にテレビ東京系列で放送の『芸能特ダネゲッター!ワダマヨ社』(和田アキ子・ブラックマヨネーズ司会の特別番組)では、密着取材を通じてその活動を紹介するとともに、スタジオへ出演して自身の半生を振り返った。以降も、精神保健福祉士として各種メディアに登場する一方で、『欽どこ』を振り返るテレビ番組の企画にコメントを寄せることがある。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。