国鉄381系電車(こくてつ381けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1973年から1982年の間に設計・製造した振子式の直流特急形車両である。国鉄分割民営化後は東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継された。日本の鉄道路線は、地形上の問題から勾配や急カーブが多く、出力の増大によるスピードアップには限界があった。そこで国鉄は、曲線通過速度を向上させることを目標に1970年に振子式電車591系を試作し、各種性能確認試験を行ってデータの集積をおこなった。その実績をもとに、営業列車用として1972年に本系列を開発し、翌1973年から中央本線特急「しなの」に投入した。その後、1978年に阪和線・紀勢本線特急「くろしお」、1982年に伯備線特急「やくも」にも投入された。この節では、新製時の構造について述べる。振子車両に必要とされる軽量化と低重心化を図った車体構造となっている。車体は軽量化による横圧の低減と乗り心地向上、地上設備の投資抑制の観点からアルミニウム合金製構体を採用した。床下機器搭載による低重心を図るため、国鉄の電車では初めて全長を新基準の 21,300 mm としている。アルミ製車体だが外観は183系など他の昼行特急形電車と同様に特急色(クリーム4号地に赤2号帯)で塗装されている。運転台は、運転士の視認性を重視して183系0番台車や485系200番台車などと同様、「電気釜」と呼ばれる高運転台形状とし、将来の分割併合を考慮して貫通形としたが、のちに非貫通形とされた(後述)。側面はグリーン車の窓や普通車の客用扉の数を除き183系に似ているが、振子作用による車両限界への抵触を防ぐため183系に比べて車体下部の裾絞りが大きい。台枠上面幅は 2,600 mm となっている。重心を下げるため重量物である冷房装置は床下搭載としており、屋根上はパンタグラフなどの必要最小限の設置物がある程度で非常にすっきりしている。客室床面高さは181系とほぼ同じ 1,105 mm とした。屋根高さは 3,385 mm だが、天井は冷房ダクトを通した平天井構造のため、床面からの高さは 2,050 mm で181系よりも低い。製造年度によって細部が異なる。1976年製造車からはクハ381形の貫通扉が廃止され100番台に区分された。モハ381形・モハ380形・サロ381形には側面中央部付近の窓下に非常口を設置したが、1981年の「やくも」向け最終製造車では廃止された。MM'ユニットに付随車(T車)を1両加えた3両ユニット方式を採用し、M車(モハ381形)には主制御器と抵抗器 (MR123) といった主回路機器が、M'車(モハ380形)には電動空気圧縮機・集電装置といった補機類、T車(クハ381形・サロ381形)には電動発電機を搭載する。後述する改造車についても種車に準じている。主回路は抵抗制御を採用。主制御器は電動カム軸方式のCS43である。主制御器1基で2両8基分の主電動機を制御する1C8M方式で総括制御は90芯のKE91形ジャンパ連結器により行われる。主電動機は591系で試験されたMT58X形(1時間定格出力110kW)をベースに、運用線区拡大を考慮して容量アップをした、1時間定格出力120kW(定格電圧375V、定格電流360A)の直流直巻電動機MT58形である。原設計は三菱電機が担当し、MT54形と同等の出力を確保しながら、200kg弱の軽量化 を達成するため、定格回転数が2,130rpmまで上げられた。1974年12月落成車からは、リード線直出しから端子箱方式に見直されたMT58A形(重量:680 kg)に変更。前述のように、回転数を上昇させたことにより定格トルクが57kg・mまで低下した。歯車比は、前述の定格トルク低下による起動加速度の確保を目的に急行形電車と同じ4.21に設定し、MT比2:1での編成を基本として山岳線区での使用に適応させた。この結果、1時間定格速度は従来の特急形電車より若干上がって 72.0 km/h となり高速性能も軽量車体との相乗効果で向上した。集電装置は菱形のPS16I形パンタグラフをモハ380形1両あたり2基搭載する。サービス電源用の電動発電機(MG)は、最大4両までの給電が可能であるMH128C-DM85C(容量110kVA)を採用する。電動空気圧縮機には、MH113A-C2000Mを採用する。運転台機器は、主幹制御器は115系などで実績のあるMC53、ブレーキ弁はME47を採用する。各種NFBは助士側にまとめて配置されている。台車は振子装置(車体傾斜用コロ装置)を組込むことから本系列専用の台車が新設計されており、形式は電動車用がDT42形、制御車・付随車用がTR224形となっている。591系を用いて連接車と2軸ボギー車の場合で比較した結果、走行性能上2軸ボギー車で問題がないことがわかったため、在来特急形と同様の形態としている。軸箱支持には板バネを、枕バネには空気バネをもちいたダイレクトマウント方式である。固定軸距は 2,300 mm、車輪径は860 mmである。基礎ブレーキは、DT42が踏面ブレーキ、TR224が1軸2枚のディスクブレーキである。このほか、踏面清掃装置を取り付けて車輪とレール間の粘着改善を図っている。先述のように本系列では振子装置を装備しており、これにより半径 400 m の曲線における通過速度は本則+20 km/h(機関車牽引の高速貨物列車の制限速度より 20 km/h 高い速度)で走行した場合の、乗客にかかる遠心力を軽減することができ、急カーブが続く路線のスピードアップに貢献している。本系列で使用されている振子装置はコロ軸支持式の自然振子装置であり、これはカーブで車体の重心にかかる遠心力によりコロで支持された車体を傾けるものである。591系と異なり心皿移動方式は採用していない。591系での性能試験の結果から、振り子中心高さを上げた方が振り子作用がしやすく乗り心地も良くなることが判明したが、無闇に上げる事は転覆限界の風速値が下がることや、振り子作用による車両限界の接触から来る車内環境の低下を避ける観点から、振り子中心高さは 2,300 mm 、車体最大傾斜角は5°とした。速度が時速50km以下の時は、機械的に振り子をロックし、動作しないようになっている。この方式では緩和曲線上で徐々に加わる遠心力が振り子装置の静止摩擦力を打ち破った時に一気に最大限度まで車体が振れるために不自然な揺れを生じる(静止摩擦係数は必ず動摩擦係数より大きいので動き出せば最大角度まで動いてしまう。解決策としてカーブ手前から空気圧で車体を徐々に傾かせるのが制御付き自然振子式である)ことに加え、カーブを走行中に一般の乗客には不慣れな縦方向の荷重が加わるという振り子式車両の特性もあり、車掌が酔客のために酔い止め薬を常備していた逸話が残っている。なお、この機構の開発には当時名古屋鉄道管理局に在籍していた山之内秀一郎(後の東日本旅客鉄道副社長・会長)も関わっており、開発に相当苦労した経験から振り子機構の導入には消極的になった、と自著で語っている。屋根上にパンタグラフを直接載せているため、振子を作動させるために架線の張り方を変える必要がある。そのため、実際に振子装置を使用する区間は新規に電化された中央西線・篠ノ井線・紀勢本線・伯備線と山陰本線の一部と、阪和線鳳駅 - 和歌山駅間に限られている。それ以外の区間(東海道本線・山陽本線・大阪環状線など)では、架線やATSなど地上の設備が補強されていないので、振子機能を生かした速度向上はなされていない。「くろしお」用の車両では振子制御の実験が行われた。また1985年11月26日に湖西線で行われた高速試験では 179.5 km/h を達成した。これは現在に至るまで、日本における在来線の最高速度記録である。JR移行後は在来線の曲線の多い線区に対しては、自然振子式に比べて乗心地が良い制御付き自然振子式や空気ばねによる車体傾斜方式を使用する車両の導入が進められており、自然振子式は古い方式となっている。日本では自然振子式の営業用鉄道車両は、この381系電車のみである。座席は183系電車0番台と同一仕様で、普通車が 910 mm 間隔の簡易リクライニングシート、グリーン車が 1,160 mm 間隔のリクライニングシートであるが、座席端部には取手を設け曲線通過時の立ち席客の安全に配慮した。なお最終製造グループの普通車では、座席の背もたれにロックがかかるように改良された。客室と出入口との仕切り扉は、在来線で初となる自動ドア式採用した。本系列特有の装備品として運転開始直後に乗物酔いが多発したことから、当初はエチケット袋が各座席に用意された。なお現在ではエチケット袋は「くろしお」「やくも」の洗面台に用意されている。窓の日除けはベネシャンブラインドを採用した。これは591系の装備を踏襲したもので、開閉方式は591系の電動式から手動式に変更された。なお後年にJR西日本での各種改装では一般的な横引きカーテンに換装。引き続きブラインドを維持していたJR東海では全車廃車となったため現存しない。冷房装置はAU33形集中式冷房装置(冷房能力28,000 kcal/h)を床下に各車1基搭載する。冷風は各車両中央・左右2箇所の窓柱部の床からダクトを経由させ、天井吹出口から供給される。本形式は振子装置を装備している上、車体材料にアルミ合金を使用しており、加えて低重心化と床下スペース確保のため冷房装置をはじめとする多くの機器・部品が本系列専用のものとなり、他の在来線車両に比較して製造費用は高額となっている。実際に「やくも」電車化の際には、費用対効果の面から本系列の導入を見送り、上越新幹線の開業によって余剰となる183系1000番台の転用が検討された。しかし上越新幹線の開業遅れと、事情を知った地元が新車を導入するために一致団結し、出雲市知井宮の車両基地・出雲運転区の建設が早く進んだため本系列の導入が実現した。「北近畿」登場時にも本系列を導入する予定であったが、国鉄末期で予算が無く「くろしお」の全面本系列化での捻出車両を主体とした485系で運転が開始された。また、高山本線電化完成時に「ひだ」へ投入する計画もあったが、電化工事自体が中止となった。新製形式は以下の4形式277両からなる。「しなの」用として落成した車両(国鉄分割民営化後はJR東海に所属)と「くろしお」「やくも」用(国鉄分割民営化後はJR西日本に所属)の二つに分けて述べる。中央西線電化開業に伴う1973年7月10日のダイヤ改正で、特急「しなの」8往復のうち6往復(名古屋 - 長野)で運転を開始した。これに合わせて、長野運転所(現・長野総合車両センター)に47両が配置された。キハ181系気動車によって運転されていた2往復も、増備車(30両)の投入で1975年3月10日ダイヤ改正で381系化され、所要時間の短縮および本形式の大阪駅乗り入れが開始された。1978年10月2日ダイヤ改正からは、1往復増発の計9往復となったことから、11両が新製配置された。長野運転所への新製投入は計88両となった。なお、導入後1年の時点で長野工場で検査をしたところ、振り子作用の影響による車輪の摩耗が予想以上に激しい事が判明し、予備車確保のため1974年5月から1975年5月までの間(多客期を除く)、MM'ユニット(3・4号車)を減車した7両編成で運転した。1982年11月15日ダイヤ改正では、「しなの」1往復が運転区間延長により大糸線白馬駅まで乗り入れるようになった。また、塩尻駅構内改良に関連して、編成の号車番号が逆転した。さらに、上越新幹線開通によって余剰となった183系のうち84両を長野運転所に転属させたため、車両配置に余裕のある神領電車区(現・神領車両区)に88両全車が転属した。1985年3月14日ダイヤ改正では、閑散期にはMM'ユニット(5・6号車)を減車した7両編成で運用されることとなった。ただし、「くろしお」「やくも」では所定7両編成、変更時9両編成とされたのに対し、「しなの」では所定9両編成、変更時7両編成とされた。JR東海には神領電車区に配置されていた88両が承継された。分割民営化直前となる1987年3月23日には、「ホームライナー」が名古屋 → 中津川で運転を開始し、同年5月には「ホームライナー多治見」として名古屋 - 多治見間1往復で運転を開始した。これらは、神領電車区 - 名古屋間の回送列車を利用したものである。1988年3月13日ダイヤ改正では、「しなの」増発(9往復 → 13往復)が行われた。同時に編成の短縮化も行われ、1号車にクロ381形を連結した6両編成および4両編成とした。6両編成での運転は、ダイヤ改正に先駆け3月6日より開始された。また、同年4月末までにパノラマグリーン車(クロ381形10番台)を連結した編成も用意され、3往復で運用された。パノラマグリーン車を含む編成はP編成として限定運用となり、時刻表にもその旨掲載されていた。その他はD編成としてクロ381形0番台とクロ381形50番台組み込み編成は共通で運用された。なお、多客期には4両編成を増結した10両編成、6両編成を分割して増結した9両編成、する姿を見ることができた。同時期に普通車のアコモデーション改善も行われ、普通車全車がフリーストップ型のリクライニングシートに交換された。1994年8月には、381系の老朽置き換え用として383系試作車6両が、引き続き1996年11月までに量産車70両が落成した。そして同年12月1日ダイヤ改正から「ワイドビューしなの」として営業運転を開始し、本系列は定期運用を失った。1996年度にクロ381形50番台組み込み編成を中心に48両が廃車となったが、残る40両は波動輸送用としてP編成は臨時「しなの」に優先的に使用し、残った車両は4両編成に組み変えられて飯田線の特急「伊那路」81号・82号(のちに「ふれあい伊那路」)として運転されたほか、373系の代走として定期「伊那路」や東海道本線の「ホームライナー」に充当されたこともある。1998年2月開催の長野オリンピックでの波動輸送の終了後から大規模な廃車が進み、2001年以降は6両編成2本のみが残されたが、2006年に1本(P1編成)が廃車され、もう1本のP2編成も2008年5月をもって運用を終え、同年5月7日にJR東海浜松工場へ廃車回送され、5月9日から12日にかけて車籍が抹消された。オリジナルタイプの貫通形の先頭車は「しなの」用のみに存在したが2001年までに廃車されている。383系の開発にあたり、高速走行用のパンタグラフやシングルアームパンタグラフ、自動操舵式台車などのテストが営業列車で行われた実績がある。美濃太田車両区には、クロ381-11+モハ381-1+モハ380-1+クハ381-1 の4両編成1本が保管されていたが、このうちクハ381-1とクロ381-11の先頭車2両が、2011年3月に開館した「リニア・鉄道館」へ移設・整備の上展示されている。JR西日本には「くろしお」用として日根野電車区(現・吹田総合車両所日根野支所)に配置されていた126両と、「やくも」用として出雲電車区(現・後藤総合車両所)に配置されていた63両が承継されている。2011年以降、後継車両となる287系投入により廃車が発生するとともに、2012年には日根野電車区から福知山電車区に転属する車両が発生した。2015年10月30日をもって、吹田総合車両所日根野支所および福知山電車区所属の車両が、定期運用から離脱した。これにより、381系を使用する定期列車は「やくも」のみとなった。2016年4月1日現在、HD601編成(スーパー編成)のみ6両が所属する。以下、1号車(下り向き先頭車)にクロ380形パノラマグリーン車連結編成をスーパー編成、クロ381形グリーン車連結編成をアコモ編成と記す。2015年3月14日ダイヤ改正以降、スーパー編成が「くろしお」5.5往復で運用されていたが、2015年10月30日をもって運用から離脱した。後継は289系で、北陸特急で運用している683系の一部を直流化して改番されたものである。電化前の気動車特急「くろしお」は7両編成であったのに対し、輸送力増強を図る点から先行投入された特急「しなの」と同様の9両編成とされた。1976年に紀勢線電化訓練用を名目として7両編成1本が鳳電車区に投入された。その後1978年9月までに83両が落成し、9両編成10本が配置された。作業平準化の観点から同年9月15日より一部「くろしお」に充当され、翌10月2日から「くろしお」7往復(天王寺 - 白浜・新宮)で営業運転を開始した。なお、381系「くろしお」運転開始に合わせて90両すべてが日根野電車区に転属している。1980年10月1日ダイヤ改正では、急行「きのくに」の一部を格上げする形で「くろしお」が10往復に増発された。これに対応するため、18両が新製投入されたが、これをもって日根野区への381系新製投入は終了した。1984年9月からは、運用間合いを利用した「ホームライナーいずみ」(日根野 - 天王寺)が朝晩に381系で運転された。1985年3月14日ダイヤ改正では、閑散期にはMM'ユニット(5・6号車)を減車した7両編成で運用されることとなった。また、4往復残った急行「きのくに」を格上げする形で更なる「くろしお」増発が行われたが、車両需給の関係から381系の追加投入は行われず、485系が投入された。1986年11月には、「ホームライナーいずみ」が運転区間を和歌山まで延長すると同時に「はんわライナー」と名称を変更した。また、所要時間が381系に比べると伸びてしまうなどの弊害から、485系「くろしお」は381系に置き換えられることとなり、出雲電車区から18両(全車普通車の6両編成3本)が転属し、季節列車2往復に充当された。国鉄分割民営化時には126両が継承された。1989年3月11日ダイヤ改正では、「くろしお」が4往復増発した15往復とされ、グリーン車を連結しない6両編成(以下C編成と呼称)が初めて定期特急運用に充当された。また同年7月22日には天王寺駅構内の改良工事が竣工し、大阪環状線・梅田貨物線・東海道本線を介して新大阪まで5往復、京都まで2往復が運転されるようになった。同時に「スーパーくろしお」を運行開始するにあたり、一部の車両に対して改造工事が施工された(#「スーパーくろしお」編成改造を参照、以下スーパー編成もしくはD編成と呼称)。1998年12月からはC編成(24両)を除いた大半の車両にリニューアル工事が施工された(#リニューアル工事を参照)。C編成は1996年7月31日から283系(オーシャンアロー)の営業運転が開始されたことに伴い、定期「くろしお」運用を持たなくなり、以降の定期運用はホームライナー(「はんわライナー」「やまとじライナー」)のみとなった。多客期の臨時列車や団体列車に充当されることも多く、C602 - C604編成はスノープラウ・水揚げ装置水抜き搭載といった耐寒耐雪工事が施工された。年末年始など多客期には「やくも」の増結のため後藤総合車両所出雲支所に貸し出されることもあった。2010年12月30日から翌年1月3日にかけて、KTR001形の故障や年末年始の輸送力の確保で183系が不足したため、福知山線(JR宝塚線)・山陰本線の特急「北近畿」の代走として運用された。2010年4月1日現在の編成表および同年3月13日ダイヤ改正時点での運用列車を以下に示す。2011年3月12日ダイヤ改正では、ホームライナーの廃止と新宮発着の「くろしお」が2往復減便された。これによってアコモ編成(B編成)の定期新宮乗り入れとC編成の日根野区での運用が終了した。C編成4本のうち、C601編成(クハ381-115以下6両)が廃車となり、C602 - C604編成は福知山電車区に貸し出され、2011年3月12日のダイヤ改正から同年5月31日まで、「北近畿」より改称された「こうのとり」の287系での運用分のうち、一部列車にて車両が出揃うまでの代走として運用されていた。代走運用終了後、同年6月末までにC編成は廃車となった。2012年3月17日ダイヤ改正では381系置き換え用として287系が運用を開始し、アコモ編成が「くろしお」3往復、スーパー編成が「くろしお」5.5往復に充当されていた。同年6月1日の287系追加投入によってアコモ編成は定期運用から離脱し、同編成の4号車に設置されていた「パンダシート」は、同年7月23日からスーパー編成に設置されるようになった。運用を離脱したアコモ編成63両(9両編成7本)のうち、40両は編成を短縮して6両編成6本と4両編成1本に組み替えられ、吹田工場で国鉄色に戻された上で福知山電車区へ転属し、2013年春までに同数の183系電車を置き換えた。なお、編成から外された増結ユニット(23両)のうち17両は2012年度内に廃車となり、残る6両は増結用として残留予定とされていたが運用されることはなかった。6両のうち電動車4両は2014年8月に発生した集中豪雨による故障車置き換え用として2014年10月28日付で福知山区に転属、残るサハ381形2両は同年12月19日付で廃車となった。上述の通り2015年10月をもって「くろしお」運用から離脱し、2016年3月までに、基本編成のHD604編成6両と付属編成(HD631 - 633編成)のクハ381との計9両が後藤総合車両所出雲支所に転出、HD602・603・605編成18両と付属編成の残り6両との計24両が廃車となった、。1989年8月までに6両編成4本が改造された。1991年3月までに6両編成1本と3両付属編成3本が追加された。普通車では座席が従来品の改造ながらバケット式、フリーストップタイプのリクライニングシートとなり、座席背面には大形テーブルも設けられ、簡易式リクライニングシートながら座席背面の構造に工夫を凝らし、リクライニング角度を大きく取っている。その結果、485系グレードアップ改造車の新品のリクライニングシートと遜色ないものになった。グリーン車はパノラマグリーン車クロ380形となっている。塗装は白地にオレンジ色、赤の帯に改められた。付属編成が改造されるまで、多客期の増結には編成中間に3両(サロ381形+モハ381形+モハ380形)を挿入する形を取ったため、編成中にグリーン車が2両連結されるとともに、「スーパーくろしお」塗装と国鉄特急色の混色編成を見ることができた。一時期はサロ381でも「スーパーくろしお」塗装が存在していたことがある。その後、後述するリニューアル工事により、普通車は座席はそのままで座席前後間隔(シートピッチ)の拡大が実施され、塗色も再度変更され、「スーパーくろしお」化未施工の編成と塗装が統一された。「くろしお」系統において当分は381系を使用することから、日根野所属車の一部を除く本系列に1998年12月から1999年8月にかけて大規模なリニューアル工事が実施された。改造内容は普通車のシートピッチ拡大と座席の改造、グリーン車の3人掛座席化、塗色変更などである。「くろしお」編成用車両の普通車は座席が「スーパーくろしお」編成用と同じ改良型簡易リクライニングシートへと改造された。また、シートピッチを 1,000 mm に広げたため、一部の席で側壁の冷房立上りダクトと競合するようになり、その部分の席は片側1人掛席に変更されている。具体的にはクハ381形の11番、モハ380形の6番、モハ381形の6番、サハ381形の12番のそれぞれA・D席、クロ381形の4番A席が欠番となっている。グリーン車の座席は、2列側は0系「ウエストひかり」グリーン車の転用である。また、トイレにあった小窓が埋められている。グリーン車・普通車ともベネシャンブラインドは取外されて横引カーテンに交換された。クロ380形と異なり窓構造はそのままである。塗装は283系に似た白地にオーシャンブルー・青色の帯となり、この時点から「くろしお」編成・「スーパーくろしお」編成とも同一塗装であった。「やくも」編成は灰色地に緑色・黄色の帯となった。こちらは「スーパーやくも」とは別塗装のままであったが、先述のように「スーパーやくも」を「やくも」に統一した後は混用されている。なお、「ゆったりやくも」編成についてもリニューアル「くろしお」同様、冷房立上りダクト側面の座席は欠番となっているが、パノラマグリーン車に限り当該部分の座席が欠番となっていない。2016年4月1日現在、68両(リニューアル工事を施工した「ゆったりやくも」車両57両、吹田総合車両所日根野支所から転入した6両編成1本、日根野支所・福知山電車区から転入した予備車5両)が所属する。2016年3月26日ダイヤ改正時点では、「やくも」15往復に充当されている。1981年から1982年にかけて9両編成9本が配置され、1982年7月から「やくも」で運用を開始した。1985年3月14日ダイヤ改正では、閑散期にはMM'ユニット(5・6号車)を減車した7両編成で運用されることとなった。1986年11月1日ダイヤ改正では、1往復増発されることなったが、基本編成は6両に短縮された。これは、特急「くろしお」に充当されていた485系を381系に置換えるためであり、各編成から3両ずつ(クハ381形+モハ381形+モハ380形)の計27両を抜き取りそのうちの18両が485系置換え用として日根野電車区に転属した。クハ381形が不足するため、各編成の6号車(基本編成岡山寄り先頭車両)は先頭車化改造をおこなったクモハ381形を連結する。また、指定席車両のグレードアップ改造も行われた(#「やくも」編成指定席車両のグレードアップ工事を参照)。国鉄分割民営化時には63両がJR西日本に継承された。分割民営化後から編成の短縮化が見られるようになり、一部列車では普通車のみの3両編成となるものもあらわれた。また、1994年12月3日からは速達列車である「スーパーやくも」が運転を開始。塗装などを変更した専用編成が用意された(#「スーパーやくも」編成改造工事を参照)。「スーパーやくも」編成以外の車両は、リニューアル改造施工(#リニューアル改造を参照)に合わせて緑と灰色の「やくも」色に塗り替えられた。予備車両の関係から、多客期を中心に「スーパーやくも」編成に通常の「やくも」色の車両が混結される場合が少なからずあった。2006年3月ダイヤ改正で「スーパーやくも」が「やくも」に統合され、混色編成が見られることが多くなった。また、同改正よりすべての「やくも」にグリーン車が連結されるようになったことから、3両編成での運用が無くなった。2007年4月3日から内装や塗装をリニューアルした「ゆったりやくも」編成が登場した(#「ゆったりやくも」改造工事を参照)。リニューアル工事は順次施工され、現在は全ての列車が「ゆったりやくも」編成で運転される。国鉄最末期の1987年から普通車指定席車の座席が従来の座席を改造したバケットシートとなった。リクライニング機構はそのままであるが、座席モケットの色はピンク色と赤紫の2色となり、座席背面に大形テーブルが設けられ、廊下には赤色のカーペットが敷かれた。その後、民営化直後から1990年代初頭にかけて、指定席車両のみリクライニングシートに交換するなどして自由席と指定席の格差を付けた特急列車が多く登場したが、その嚆矢となったのがこの「やくも」編成である。このとき車体塗装は国鉄色のままであった。この後、自由席車両も「くろしお」編成に準じた座席の改造が行われ、これ以降は自由席・指定席の区別なく両タイプが混用されるようになった。その後、後述するリニューアル工事により、座席はそのままで座席前後間隔(シートピッチ)の拡大が実施され、塗色も変更された。1994年12月3日の「スーパーやくも」運行開始に伴って改造されたもの。仕様は塗装以外は「スーパーくろしお」編成に準じる。塗装は薄紫色地に青紫・白・赤紫の帯となっている。パノラマグリーン車クロ380形も登場したが、従来のサロ381形をパノラマグリーン車と同じ座席に取替えた編成もある。その後、座席はそのままで座席前後間隔(シートピッチ)の拡大が実施された。また2006年3月ダイヤ改正で「スーパーやくも」の名称を「やくも」に統一したのに伴い、これまで「スーパーやくも」に充当されていた車両に表記されていた英称「"SUPER YAKUMO"」から「"SUPER"」という表記と「WEST JAPAN RAILWAY COMPANY」の文字が除去された。2006年12月にJR西日本から「やくも」編成のリニューアルが発表された。2011年7月までに57両に施工された。主な改造内容は、座席を683系と同型のものへ交換、和式トイレの洋式化および女性用トイレ、男性小用トイレの設置、喫煙室の設置(2009年6月1日廃止)、塗装変更など。改造が終了した車両には「ゆったりやくも」の愛称が与えられた。また、それまで統一されていなかった(2007年現在)「やくも」塗装および「スーパーやくも」塗装が、改造に伴いリニューアル後の「くろしお」用と似たレイアウトの白と赤系統のものに変更されている。これは、大山の冠雪の「白」と、出雲大社の巫女の「赤」をイメージしている。そのほか、6両編成の2号車に組み込まれるモハ380形で座席を一部撤去し、車いすスペースを設置した簡易バリアフリー工事が施工されている。当初、2010年(平成22年)度までにすべての編成に施工されると発表されていた が、6両が改造対象から除外されて廃車となった。2015年11月以降、吹田総合車両所日根野支所及び福知山電車区から計11両が転入している。2016年3月に自動解結装置を新たに装備したクモハ381-502とモハ380-569が誕生し、この改良でクモハ381-502には更に専用の赤いスカートが取り付けられている。2011年3月ダイヤ改正にあわせ、183系の置き換え用として、46両の287系が本電車区に新製配置されることになったが、この内21両の落成はダイヤ改正の後となることから、日根野区に所属するグリーン車非連結6両編成3本(FH61 - FH63編成)の貸し出しを受け、287系の全数が揃うまでの間「こうのとり」で運用された。一時的とはいえ、結果的には当初計画されていた381系での運用が実現することとなったが、福知山線・山陰本線電化区間においては振り子装置を作動させずに走行していた。287系の投入が完了した5月末で定期運用から離脱し、車両は日根野電車区に返却の上廃車となった。2012年3月ダイヤ改正にあわせ、「くろしお」で運用されていた381系アコモ編成置き換え用として287系が日根野区に投入された。それによって余剰となったアコモ編成が6両に短縮の上で転入し、同年6月1日から183系の運用の一部(「こうのとり」3往復と「きのさき」1往復)を置換える形で営業運転を開始した。その後も順次日根野区から転属し、最終的に183系B編成置き換え前と同じく40両(6両編成6本、4両編成1本)が所属している。2013年3月ダイヤ改正で、183系を完全に置換える形で「こうのとり」「きのさき」に加え、京都丹後鉄道宮福線・宮津線に乗り入れる「はしだて」にも充当された。宮福線・宮津線でも山陰本線・福知山線と同様に振り子装置は固定されていたが、287系の導入後に乗客から381系の乗り心地に関する苦情が多数寄せられたため、調査と試験走行を実施した結果、振り子機能を復活させることで横方向の揺れを抑えられることが確認された。ただし、振り子の最大傾斜角を設計値の5°とすると、振り子車両に対応していない地上設備に支障するため、最大角は3°に抑えられている。2014年6月頃より順次改造が行われたが、この仕様変更で新たな番台区分が生まれ、各編成とも元番号に1000を加えた1000番台となった。。2014年8月のゲリラ豪雨では、福知山線を走行中であったFE63編成が浸水する被害を受け、自走不能となった。当該編成は吹田総合車両所に回送され、修復不能な中間車4両を余剰車(日根野支所より転属)と差し替えの上、営業に復帰した。なお、当区の381系についても、2015年10月31日より289系に置き換えられた。これにより、定期運行の国鉄色の特急列車が全廃された。2015年12月から2016年3月までにFE65・FE66の4両編成2本、FE621・FE631・FE641・FE651の2両編成4本とFE62・FE63のクハ381を除く計6両の22両が廃車され、FE62・FE63のクハ381計2両は後藤総合車両所出雲支所へ転属した。これにより2016年4月現在の福知山電車区配置は16両(4+2両編成2本、4両編成1本)となっている。
出典:wikipedia
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