久保田 利伸(くぼた としのぶ、1962年7月24日 - )は、日本のシンガーソングライター、音楽プロデューサー。静岡県庵原郡蒲原町(現・静岡市清水区)出身。身長170cm、体重59kg。血液型O型。別名・愛称は「ファンキー久保田」「クボジャー」「キング・オブ・Jソウル」「久保やん」「クボトシ」「久保田の兄貴」等。自他共に認めるファンキーなキャラである。実家は青果店を営んでおり、父親はスイカを叩くだけで、良し悪しが分かるほどであったという。また、『笑っていいとも!』に初登場した際に久保田が語ったところによれば、一家揃ってファンキーなキャラクターで(母親はそうでもないとの本人の話)、青果店の店主である父親は客が来ると、フィンガーチップスを鳴らしながら「らっしゃい」と言っていたという。少年時代は野球少年で、元日本ハムファイターズの広瀬哲朗は地元・中学時代の2年先輩・チームメイトだった(後年、久保田と広瀬は日本ハムのCMで共演している)。広瀬の入団以来ファイターズを応援し続けている。高校時代まで野球に勤しみ、いわゆる球児だった。2013年7月に小林克也のラジオにゲスト出演した際、自身の音楽の原点は中学から高校時代にかけて毎日聴いていたスティーヴィー・ワンダーで、現在でもリスペクトしていると語っている。静岡県立静岡商業高等学校に入学。商業高校ということもあって、在学中に簿記検定などの資格も取得した。高校を卒業後、駒澤大学進学と同時に上京。在学中に軽音楽部ロック研究会に属し、そこで出会った羽田一郎とアマチュアバンド「HOTTENTOTS」(ホッテントット)を結成。翌1982年には、ヤマハ主催のコンテスト「EAST WEST '82」に出演し、ベスト・ボーカリスト賞を受賞。(このコンテストで披露された演奏は、レコードに収録され発売された。またバンド在籍時の久保田は、アフロヘアーに口ひげを生やしていた。)頻繁に髪型を変える。1985年に大学を卒業後、音楽プロデューサーとしてキティミュージックとの作家契約で音楽業界に入り、1980年代には20代前半という若さで多くの歌手、アイドルに楽曲提供をしていた。主な相手としては、田原俊彦、中山美穂、小泉今日子、鈴木雅之、GWINKO、荻野目洋子、芳本美代子、小山水城、とんねるず、バブルガムブラザーズ。特に田原には1985年から1993年までの間に多くの楽曲を提供している。1990年代に入ってからも、清水美恵、西田ひかる、森高千里、TOKIO、高橋真梨子などに楽曲を提供、ここ数年にもCHEMISTRY、MISIA、ISSA、山田優などに提供している。2004年、ノルウェーの外資系企業に勤める11歳年下の日本人女性と入籍し、同年12月には、第一子となる男児が誕生した。好きな食べ物はエビフライ、担々麺以外のラーメン、シャウエッセン。特にラーメンは久保田の実家の近所にある食堂「蒲原館」のラーメンを大変気に入っている。また、西麻布の百貨店にある惣菜店の焼きそばも大変気に入っている。嫌いな食べ物は柿とセロリで、柿については本人曰く「柿は柔らかくても硬くても食えない」との事である。また、20代の頃から体重は50kg台後半から60Kg程度を維持しており、出前は好きな物を食べているが、玄米を主食としていることでこの体重を維持している。久保田の作品はテレビドラマへの起用が多く、特にフジテレビ系列への起用が目立っている。なお、テレビ東京系列の番組に久保田の楽曲が起用されたことは現在までのところない。デビュー当時には日本ではまだ市民権を得ていなかったブラックミュージックを浸透させるのに一役買った功績は大きく、現在も国内外でR&Bシンガーとして活動している。ブラックミュージックと言う事で、久保田自身の音楽スタイルは山下達郎、大沢誉志幸、吉田美奈子、佐野元春、井上陽水、忌野清志郎、キングトーンズ、ハイクオリティなシティ・ポップスという点で角松敏生や稲垣潤一、小田和正等によって確立されたジャンルであるが、ヴォーカルスタイル、リズム感、ソングライティング等の部分でブラックミュージックに大きく影響を受け、又それを自身の音楽性に取り入れ、さらにセールス的にも大成功を収めたのは、彼以前には居なかったと言っても過言では無く、その事から彼自身は「ブラック・ミュージックのパイオニア」とも称されている。2015年12月に松尾潔のメロウな夜(NHK FM)に出演した際、楽曲製作でマーヴィン・ゲイの大きく影響を受けていると話している。とんねるずの2人とは、1987年にフジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE」で共演して以来の仲で、彼らの冠番組にはよくゲスト出演する(「とんねるずのみなさんのおかげです」、「とんねるずのハンマープライス」、「木梨サイクル」、「うたばん」)。石井竜也は1988年のツアーパンフレットでインタビューを寄せていたり、デビュー前には同じライブハウスで共演もしていた。米米CLUBでは「TIMEシャワーに射たれて」のパロディ曲『ライスシャワー』を歌っている。1990年の野外イベントで米米と久保田が出演した際、先に登場した米米が「ライスシャワー」を歌った。その後、本家の久保田が登場した時の1曲目が「TIMEシャワーに射たれて」だった。米倉利紀とは『Gift』というアルバムで彼が久保田の楽曲をカバーした際、久保田が絶賛したことがきっかけで付き合いが始まる。同じ事務所の面々でバーで飲んでいた際、偶然にも山下達郎がいたので、久保田が事務所の後輩である森大輔を山下に紹介した。そのとき、山下に「あまりにもファッションが若いもんだから久保田君に似てる人かと思った」と言われた(携帯サイト スタッフコメント)。ミュージック・ソウルチャイルドが来日した際、客席にいた久保田はステージ上から彼に呼ばれ、サプライズゲストとして出演した。平井堅については、何度か久保田が平井のレコーディングにプロデューサーとして参加したことがあり、平井自身も久保田のファンだったこともあって付き合いがスタート。2012年には音楽雑誌の誌面上に於いて久保田・平井と対談している。松任谷正隆とは、1986年に小泉今日子のアルバム「今日子の清く楽しく美しく」に楽曲提供をした際、そのアレンジをしていたのがきっかけで知り合った。1991年には、松任谷由実のアルバム「DAWN PURPLE」にコーラスでゲスト参加している。デビュー・アルバムのレコーディングには武部聡志らユーミンクルーと中村哲ら山下達郎クルーが参加しており、レコーディングスタジオにスマイルガレージも入っている。富樫明生とは、1989年の仙台市での野外ライブイベントJT SUPER SOUNDでバブルガムブラザーズ、アマゾンズらと共に共演している。作家の山田詠美のエッセイにしばしば「久保田君」として登場する。その後、山田詠美の短編小説と久保田の裏ベスト版をコラボレーションし、リリース。1996年にリリースの『LA・LA・LA LOVE SONG』では、ナオミ・キャンベルとコラボレーションしているが、これはニューヨークでたまたま同じアパートに住んでいて意気投合して曲へのコラボレーションを頼んだと言っていた。TBS「アナザースカイ」(2012年7月6日放送)にて、山田優がワシントンスクエアパークを訪れると公園の真ん中で歌って踊ったことがあると話した。そこに久保田利伸がたまたま通り声をかけた。2006年のライブツアーの代々木公演の会場には、岡村隆史、飯島直子、ゴスペラーズの黒沢薫、高木ブー、CHEMISTRYの堂珍嘉邦、仲間由紀恵、オセロの中島知子、平井堅、山田詠美、KREVA、島谷ひとみ、天海祐希、加藤茶らが来ていた2010年4月2日に札幌ドームで行われたプロ野球「北海道日本ハムファイターズ 対 埼玉西武ライオンズ」の試合の始球式に登板。野球が大好きで、過去には北海道日本ハムファイターズを応援する曲「Funky Fighters」という曲を制作した経緯がある。。柿崎洋一郎とは、1986年に久保田利伸のバックバンド「MOTHER EARTH」のメンバーに加入して以来、アレンジャー、キーボード奏者として切っても切れないほどの長年の付き合い。MOTHER EARTHには、ほかに羽田一郎(G)、杉山卓夫(K)、中村キタロー(B)、中島オバヲ(Per)、ジーノ秋山(Dr) が参加していた。初期には、江口信夫、阿部薫、武部聡志も参加。1986年から1987年迄はアナログレコード、1988年から1999年迄は8㎝シングル、それ以降はマキシシングルで発売。12センチCDで発売。現在の基準でマキシシングルと呼ばれるものにあたるが、発売当時3曲以上収録されたものはミニアルバムと呼ばれることが多く、公式サイトではアルバム(もしくはミニアルバム)として分類されている。特記以外は作曲提供
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