西麻布(にしあざぶ)は東京都港区の町名。麻布地区総合支所管内にあたり、現行行政町名で西麻布一丁目から西麻布四丁目まで設定されている。麻布地区の西端に位置し、渋谷区(広尾)との区境にあたる。六本木通りと外苑西通り(東京都道418号北品川四谷線)の交差する西麻布交差点は、旧地名の麻布霞町をとった霞町交差点と呼ばれることもある。江戸時代は農耕地、雑木林、町屋、大名及び小名の下屋敷からなる街外れの閑散とした地域であった。明治から大正時代にかけ住宅街として形成され、この点は元麻布、南麻布も同様であるが中でも高台の麻布笄町(現・西麻布四丁目)は旧麻布区の中では麻布市兵衛町一丁目(現・六本木一丁目)、麻布今井町(現・六本木二丁目)、麻布三河台町の西側(現・六本木四丁目)、麻布六本木町の東南側(現・六本木五丁目)、麻布鳥居坂町(現・六本木五丁目)、麻布東鳥居坂町(現・六本木五丁目)、麻布永坂町(現・六本木五丁目、麻布永坂町)に準じる山の手の高級住宅街として著名な存在となっていく。第二次世界大戦後、1960年代初頭からは徐々に国際的な盛り場として変貌を遂げて行く六本木とは対照的に、未だ閑静な町並みを保っていた。しかし、1964年の東京オリンピック開催に伴う首都高速3号渋谷線の建設と重なる様に、六本木通り沿いにはビルディングやマンションが少しずつ目立ち始めるようになっていく。その後は多くの民家がビルディングやマンションに取って代わられていくものの、今日の西麻布の様相を現し始めるのは1980年代後半からのバブル景気の時代である。1990年(平成2年)、西麻布四丁目の外苑西通り沿いに建ったザ・ウォールの大規模なディスコは、西麻布二丁目のレッドシューズ(カフェバー)などと並び、週末は明け方まで騒ぎを起こす若者達で溢れた。FM局のJ-WAVEは開局当時より地元(当時)である西麻布のディスコ(クラブ)と連動するように、最新の流行や現地からの実況中継を行うほど熱心に情報を提供していた。1996年(平成8年)頃は西麻布イエローが同地のクラブシーンで人気を博した。バブル景気末期の1991年(平成3年)には、同じく外苑西通り沿いで西麻布三丁目のキャンティ西麻布店、並びに高級焼肉店である叙々苑遊玄亭が開業した。
出典:wikipedia
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