吉武 東里(よしたけとうり、1886年2月6日 - 1945年4月30日)は日本の建築家。大熊喜邦とともに国会議事堂の実質的デザイナーとされる。大分県東国東郡国東町(現・国東市)出身。大分の士族の家に生まれる。京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)で武田五一に建築を学び、1907年卒業。1910年、宮内省内匠寮技手に就任。1918年(大正7年)、国会議事堂の公開設計競技(議院建築意匠設計懸賞募集)に際して、宮内省内匠寮の有志が数案を作成した。デザインに巧みな吉武はその中心だったと言われる、このうち、渡辺福三の名で出した案が1等、永山美樹の名で出した案が3等1席に当選した。吉武は大蔵省臨時議院建築局技師になり、矢橋賢吉・大熊喜邦のもと、国会議事堂の設計・建設に携わった(なお、渡辺は1920年3月19日に逝去した)。その後も大蔵省営繕で多くの建設事業に関わった。横浜税関も吉武の担当である。建築計画の研究で知られる吉武泰水は次男にあたる。
出典:wikipedia
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