伊藤 穰一(いとう じょういち、1966年〈昭和41年〉6月19日 - )は、日本のベンチャーキャピタリスト、実業家で、MITメディアラボ所長である。Joiを愛称としている。1966年6月19日、京都府で生まれた後に一家でカナダへ、さらに3歳の頃アメリカミシガン州デトロイト郊外へ移住している。父親は研究者、母親は秘書として(現在のOvonics社)で働いていた。同社の創業者にとても目を掛けられ、当時のテクノロジーや社会情勢について教育を受け13歳で「もはや子どもではなかった」と語られている。毎年、夏は妹と共に日本の祖母宅で過ごし、祖母から伝統的な日本文化について教わった。母親がEnergy Conversion Devices日本法人社長へ着任する時に14歳で日本へ帰国して西町インターナショナルスクール、アメリカンスクール・イン・ジャパンに学び、福井謙一も母と親交のあるために幼少期より親しく化学や物理学への造詣を深めている。1985年の通信改革以前にモデムを利用していた日本人の一人で、10代でやを始め26歳まで自作MUDを使っていた。高校卒業後に再度渡米してタフツ大学で後のeBay創業者と出会うも、専攻の堅苦しさとコンピューターを学校で「習う」ことに違和感を覚え、中途退学してOvonics社で働き始めるがStanford R. Ovshinskyに復学を勧められる。シカゴ大学物理専攻へ入学するも、物理を理解させることより実用的エンジニア育成を重視するカリキュラムに失望し、再び中途退学している。1985年秋に社のパイオニアプログラム・オンラインコース第1期生となり、ニュースクール大学(New School for Social Research)で単位を取得した。シカゴのナイトクラブやThe Smart BarでDJを務め、Metasystems Design Groupと一緒に東京でを模索している。後にのに援助されて六本木でナイトクラブXY Relaxを運営し、インダストリアル・ロックやレイブなど音楽文化をシカゴから日本へ持ち込む一助になる。著書に「」があり、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科非常勤講師を務めたことがある。一橋大学大学院博士課程中退。2013年5月、ニュースクール大学より名誉博士号(文学)を授与された。また、2015年5月、タフツ大学より名誉博士号(文学)を授与された。PSINet Japan、株式会社デジタルガレージ、Infoseek Japan、など多数のIT関連会社を起業している。デジタルガレージ、カルチュア・コンビニエンス・クラブ、ローソン、マネックスグループ、ソニー、株式会社日本技芸、ニューヨーク・タイムズ、、Mozilla Foundation、、Creative Commons、The John S. and James L. Knight Foundation、マッカーサー基金などのボードメンバーを務める。ネットワーク時代の知識人として、伊藤は、日本での実績を積み重ねて、世界各国の様々なハイテク関連機関の役員あるいはトップとして関わっている。2004年12月から2007年4月までインターネットの運用に関わる重要な団体ICANNの理事であった。2006年から2012年までクリエイティブ・コモンズの理事長を務めた。2005年8月から2016年4月までモジラ・ファウンデーションの理事を務めた。March 2005年3月から2007年4月までオープンソース・イニシアティブの理事を務めた後、名誉理事となった。2011年4月、ニューヨークタイムズが伊藤のMITメディアラボ所長就任を報じた。このことは「通常ではありえない選択」と考えられた。伊藤は2つの大学で学んだが、いずれも学位取得まで至っていなかった。しかし、過激だが素晴らしいと称賛もされた。2011年9月1日より公式に職に就いた。2016年7月1日付でMITのProfessor of the Practice of Media Arts and Sciencesに任命されている。メディアラボの共同設立者であり名誉理事長でもあるニコラス・ネグロポンテは、この選択は、メディアを"Joi's world"に誘うものだと述べている。アジアン・サイエンティスト・マガジンでのインタビューで伊藤はMITメディアラボに対するビジョンについて語り、また、彼は“education(教育)”よりも“learning(学習・学び)”という言葉が好きだとも語った。日本での一例として警察関連では、1997年に警察庁 情報セキュリティビジョン策定委員会委員にネットワークセキュリティ専門家として請われ日本の警察庁ハイテク犯罪対策室立ち上げに関与した。警察庁総合セキュリティ対策会議委員など多くの委員を務めた。ベンチャーキャピタリストだけでなくエンジェル投資家としても世界に知られている。売上が小さく非常に早い段階(アーリーステージ)でのベンチャー支援に積極的で、ブログやソーシャルサービス、マイクロファイナンスなど、インターネット時代を代表するユニークなビジネスの創出に貢献している。過去に、Twitter、Six Apart、Wikia、Flickr、Last.fm、Fotonauts、Kickstarter、、loftworkなどへ投資している。・シェアリングエコノミーの提唱者でもある。現在は妻の伊藤瑞佳とボストンに居住している。文化人類学者の伊藤瑞子は妹で、ミュージシャンの小山田圭吾ははとこである。2011年9月1日より日本人で初めてMITメディアラボ所長を務める。ニューヨーク・タイムズは「2度の大学中退歴を持つ彼の就任は、非常に珍しいケースだ」と伝え、Calit2の所長ラリー・スマールは「選任はラディカルだが賢明だ」と評価している。メディアラボの共同創業者で名誉議長のニコラス・ネグロポンテは「Joiがメディアを変えていくだろう」と語っている。アジアン・サイエンティスト・マガジン誌のインタビューでは、MITメディアラボのビジョンを語った上で「教育」ではなく「学び」という言葉のほうがしっくりくると語っている。着任後にメディアラボの活動指針として「ユニーク、インパクト、マジック」を示し、「誰もやっていないことをやる、真似はしない(ユニーク)」「やるなら社会にインパクトを与える活動を目指す(インパクト)」「そしてそれは驚きや感動を与えるものであるべきだ(マジック)」という意味の3つのキーワードを提示している。2013年にディレクターズ・フェロープログラムを創設し、ケニアの起業家、デトロイトの作家Shaka Senghor、マジシャンなど、従来はメディアラボが接点を持ち難い人々を積極的に巻き込んでメディアラボの多様性に挑戦している。リード・ホフマン、J・J・エイブラムス、ローレンス・レッシグ、、坂本龍一、山本コウタロー、三枝成彰、櫻井よしこ、南場智子、黒川清、茂木健一郎、ティモシー・リアリーなど文化人や経済人に交際範囲が広い。ダイビングではPADI公認マスター・スクーバ・ダイバー、公認インストラクターで、写真ではライカのコレクターであり、200名以上の有名人を撮影した写真はクリエイティブ・コモンズ・ライセンスで提供されWikipediaなど様々な場面で利用されており、2011年に親交が深い296人のポートレイト写真を収録した写真集「」を出版している。アジア版ウォールストリート・ジャーナルとニューヨーク・タイムズなど数々の雑誌や新聞へ寄稿し、デイリー・ヨミウリ,マックワールドジャパンなどで連載している。ニューヨーク・タイムズオンライン、ビジネスウィーク、American Heritage、Wired、Forbes、BBC Newsにインタビューが掲載され、村上龍との共著「『個』をめぐるダイアローグ」やクリストファー・アダムスとの共著「」など数多く著作や共著し、NHK「スーパープレゼンテーション」でホストを務める。TED2014スピーカー。1997年にタイム「サイバーエリート」一員、2000年にビジネスウィーク「Antrepreneurs and Dealmakers」でアジアのスター50人、2001年に世界経済フォーラム「明日のグローバルリーダー」、2005年にニューズウィーク"Leaders of The Pack (high technology industry)"、2007年と2011年にヴァニティ・フェア「The Next Establishment」、2008年にビジネスウィーク「ウェブ業界で最も影響力のある人」、2011年にとでTop Global Thinkersに、2011年と2012年に日経ビジネス「次代を創る100人」に選出されている。2000年に総務省からIT分野への貢献を表彰され、2011年7月22日にLifetime Achievement AwardでUniversity of Oxford Internet InstituteからWorld's leading advocates of Internet freedomと評される。。2011年にオクスフォード大学インターネット研究所より特別功労賞受賞。2014年にSXSWインタラクティブフェスティバル殿堂入り。2014年にAcademy of AchievementよりGolden Plate Award受賞。
出典:wikipedia
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