黄瀬 和哉(きせ かずちか、1965年3月6日 - )は大阪府出身のアニメーター、作画監督、アニメ監督。Production I.G取締役。『宇宙戦艦ヤマト』の影響でアニメのファンになり、高校時代には友達とペーパーアニメを自主製作した。高校卒業後、アニメ関連の専門学校に入学するも、求めていたアニメについての勉強できないことが分かり、4日で自主退学。アニメアール2st(現:スタジオ・ムー)に入社、村中博美に師事。当時サンライズ作品等で突出した作画を披露していた谷口守泰の主宰する作画スタジオ・アニメアールが大阪にあることを知るが、住所が分からず、アニメージュ誌に手紙を出し編集長から連絡先の返信をもらい訪ねる。面接時、谷口守泰は不在で、代わりに面接を担当したのが村中博美だった。アニメアールの同期には小森高博、柳沢まさひで、沖浦啓之、逢坂浩司がいる。アニメアールからスタジオ・ムーが分離してからはスタジオ・ムーに在籍し、劇場版『機動警察パトレイバー』を契機に上京してProduction I.Gへ移籍する。テレビアニメ『サイコアーマーゴーバリアン』で初動画。初原画は『キャプテン翼』、初作画監督は『赤い光弾ジリオン』である。Production I.G社長の石川光久とはジリオン以来の付き合いである。インタビュー嫌いで知られ、たまにインタビュー記事が掲載されてもぶっきらぼうな受け答えのときがある。『お伽草子』が放送されていた頃、WACOMのペンタブレットのCMに出演していた。押井守は「日本で一番バセット(バセットハウンド、押井お気に入りの犬種)を描くのが上手い男」と評しているものの、本人は「自分以外描いていない」と述べている。押井によると『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』製作中に逃げ出したそうで、現場復帰をかけて格闘ゲーム(当時流行していた『バーチャファイター』)で勝負したこともある。人間ドラマに寄った様なモノが好きであり、影響を受けた作品としてアニメでは宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999、AKIRA、映画ではブリキの太鼓、17才のカルテを挙げている。読みを「きせ かずや」と間違えられることがある。沖浦啓之、西尾鉄也とならびIG作画三大神と呼ばれる程のアニメーター。あくまでもリアリティを大切にする沖浦とは違い、キャラクター原案の人間の絵を真似ながらも自分の絵を描く。しかし、作画監督として参加した劇場版『機動警察パトレイバー』の際には高田明美のデザインをほぼ完璧に無視し、口元、頬の下に影を描くなど、従来のOVAシリーズとは大きく趣を異にする写実的なテイストを加えた。同作品の2作目ではその傾向がさらに推し進められ、高田もそれを考慮してデザインをあげた。この後の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』、『WXIII 機動警察パトレイバー』、『劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム』でも同様の手法がみられる。
出典:wikipedia
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