日本アジア航空株式会社(にほんアジアこうくう、英称:"Japan Asia Airways Co., Ltd."、略称:"JAA")とは、かつて存在した日本の航空会社である。日本アジア航空は日本航空の完全子会社 (JALグループ企業の一つ) であり、1975年8月8日の設立以来、主に東京国際空港(羽田)を拠点に日本と台湾を結ぶ路線に就航していた。国際航空運送協会(IATA)航空会社コードはEGであるが、IATAには加盟していなかった。なお、台湾では「日亜」の略称が使われることがあった。2008年3月31日をもって日本航空に吸収合併され、32年の歴史に幕を降ろした。なお同年4月1日からは、合併後の日本航空が自社便として運航している。同社のICAOコードであるJAAは、2009年12月に設立されたタイの航空会社であるジェットアジア・エアウェイズが現在使用している。1972年に、日本国政府と中華人民共和国政府との間に日中共同声明が出され、国交が築かれたことにより、日本は中華民国政府と断交した。日本 - 台湾路線は、当時は日本航空により運航が続けられていたが、後に当時の内閣総理大臣・田中角栄の肝いりで締結が急がされていた、日中間の航空協定を締結する際の中国政府からの申し入れにより、同国に乗り入れる日本の航空会社(=日本航空)の台湾乗り入れは禁止とされた。その上に、このような状況を受けた1974年4月21日の台湾当局による日台間の航空路線断絶により、台湾への便は廃止(中華航空も日本乗り入れ中止)となったうえ、日本航空機の台北FIR通過も一時拒否された。そこで、別会社として設立された日本アジア航空が台湾への便を運航することで、日中航空協定における日本航空の乗り入れ禁止項目を避け、日本航空グループにおける台湾航路を補う役割を担うこととなった。同様の中国への過剰な配慮は当時、両国に乗り入れる世界中の多くの航空会社でみられた。KLMオランダ航空によるKLMアジア航空(KLM asia)などもその一例である。1975年8月8日に日本航空の全額出資で設立され、同年9月15日に、日本航空からリースされたダグラスDC-8-53型機によって東京国際空港と台北の台北松山空港、および高雄国際空港間の運航を開始した。その後、1978年の新東京国際空港(現・成田国際空港)の開港を受けて本拠地を同空港に移転した他、日本航空からのリース機材によって貨物便の運航も開始した。なお、その後も日本アジア航空および日本航空は、日本国政府および多くのマスコミの表記と同様、中国政府による「一つの中国」政策を受けて、正式国名である「中華民国」ではなく、「台湾」と表記していた。その後の両国間の輸送量の増加を受けて、マクドネル・ダグラスDC-10-40型機やボーイング747-200/300型機を導入した。1990年代以降はグアム当時イギリスの植民地であった香港やインドネシアのデンパサール、ジャカルタ路線の運航も行ったほか、関西国際空港や中部国際空港発の路線も開設した。1992年に金融機関などを対象とした第三者割当増資を行ったため、日本航空の完全子会社でなくなった(出資比率は90.5%になった)が、2004年に株式会社日本航空システム(のちの株式会社日本航空)の完全子会社となった。その後2007年に、日本側の対台湾の窓口である財団法人交流協会と、台湾側の亜東関係協会が、日本 - 台湾路線の直接運航を認めることを確認した。これを受けて2008年4月に日本航空インターナショナルと統合されると報道され、同年3月31日をもって運航を終了し、日本航空インターナショナルが日本アジア航空を吸収合併、翌4月1日に運航および便名が日本航空インターナショナルに承継された。なお、日本アジア航空の日本と台湾で勤務する殆どの社員と全ての運航機材、運航発着権も2008年4月1日をもって日本航空インターナショナルにそのまま移管、承継された。なお、一部の便については、香港国際空港にも乗り入れ、利用者への便宜を図っていたが、2005年2月17日より台北 - 香港間は運休とされた。また、香港発着の同便は香港〜バンコクを日本航空の便名の運航に用いられっていた。以前は那覇空港 - 台湾桃園国際空港の航路を日本航空のボーイング767で運航していたが、後に運休となっている。また、関西国際空港が開港した際は関西国際空港 → バリ・デンパサール国際空港 → スカルノハッタ国際空港(ジャカルタ) → 関西国際空港や名古屋空港 ~ グアム航路を運航(名古屋〜グァムは日本航空の機体を用いて運航)していたが、後に日本航空に移管されている。かつてはボーイング747-200には「トロピカルジャンボ」、マクドネル・ダグラスDC-10には「スカイバス」の愛称が付けられていた。先述したように、台湾就航を目的として当初日本航空とは別会社として発足したが、基本的に日本航空を模した塗装デザインであった。また、日本アジア航空との共通使用であった日本航空の一部の機体は、塗装は社名をぼかすことを目的に「JAL」を「JA 」(貨物機の場合は「JA CARGO」)のように「L」を消し、垂直尾翼は機体記号のみを黒字で表記されていた。ただしチャーター便などでは日本航空塗装のままウェット・リースして運航することもあった。日本のテレビCMでは、かつては浜美枝、杉本彩、葉月里緒菜、ハイ・ファイ・セットなどが起用され、1990年代後半からは両国において有名である金城武と志村けんを長きに渡り(金城は1998年度から、志村は2000年より)起用していたが、2006年度よりオセロ(中島知子、松嶋尚美)に交代し、CMや雑誌広告、ポスターなどで見ることができた。なお、金城が出演した1998年以降のポスター画像は日本アジア航空のウェブサイトで見ることができた。
出典:wikipedia
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