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すすきの

すすきの(Susukino)は、北海道札幌市中央区にある歓楽街・繁華街である。薄野、ススキノとも表記される。歌舞伎町(東京都新宿区)、中洲(福岡県福岡市)と合わせて日本三大歓楽街と呼ばれる事もあり、東京以北で最大の歓楽街であるが、飲食店・風俗店から大型商業施設・外資系ホテルまで、あらゆるジャンルが混在する巨大繁華街でもある。現在では、日本国内はもとより外国人の姿も多く、特にさっぽろ雪まつり開催時には国外からの観光客も訪れ、更にも増して国際色豊かになる。現在はすすきのという正式な地名はないが、すすきの交差点、すすきの駅(札幌市電、札幌市営地下鉄)などの名称として広く用いられている。すすきのという地名が示す地域の範囲は曖昧であるが、すすきの観光協会では、南北は南4条の都通から南6条の間、東西は西2丁目から西6丁目の間と定めている。薄野という地名の由来は、当時の開拓判官であった岩村通俊が遊郭建設に携わった開拓監事の薄井龍之の名をとって命名したという説が広く知られているが、周辺にススキが生い茂っていたことから東京・吉原の「ヨシ」を「ススキ」に替えて洒落たという説もある。1871年、北海道開拓使が現在の南4・5条、西3・4丁目の区画を遊廓地帯に指定した事が歓楽街の始まりである。開拓使はこの区画を「薄野遊郭」と命名し、周辺に点在していた旅籠(実質的な売春宿)を当地へ移転させた。開拓使による売春街建設の理由として、開拓に従事する労働者を札幌に繋ぎ止める必要があったことなどが考えられる。翌年には開拓使によって薄野遊廓の周囲900mに高さ1.2mの土壁が造られ、南4条通と札幌駅前通の交差点、または南5条通と西3丁目通の交差点には大門が設置された。土壁内部の南4条通は「藤井町」、南5条通は「中之町」、南6条通は「柳川町」と名付けられた。同年秋には新政府から芸娼妓解放令が発令されたが、遊女屋が貸座敷などに呼び名が変更されたくらいで、実質的には大きな影響は無かった。その後、公娼制度の確立とともに、薄野遊廓の周辺は歓楽街として順調に発展した。1901年には札幌区会によって薄野遊廓の鴨々川上流地区への移転が決議された。薄野遊廓の周辺に小学校や女子職業学校があったことがこの理由であった。しかし業者などの協力が得られなかったことから、移転はほとんど実行されなかった。1918年には薄野遊廓からほど近い中島公園で開道五十年記念北海道博覧会が開催されることもあり、薄野遊廓移転の話が再度持ち上がった。移転先は現在の白石区菊水地区とされた。移転は北海道博覧会の開催には間に合わなかったが、2年後の1920年夏に実現した。すすきのから売春宿は無くなったが、代わりに料亭、カフェー、映画館などが誕生し活気付いた。戦時中は活気も失われるが、戦後まもなくキャバレーやダンスホールなどが誕生し、駐留アメリカ兵も多く出歩き賑わった。すすきのは売春が公認された赤線ではなかったが、実態として多くの飲食店が違法に売春の斡旋を行っている青線であった。1958年には売春防止法が制定されたが、すすきのから売春は無くならなかった。すすきの周辺の路上にはツブ焼き屋台などの露店が立ち並んでおり、これらが売春斡旋の温床となっていたが、1964年の行政による強制撤去により露店は姿を消した。1950年代から1960年代は火事がしばしば発生した。1958年から1965年のすすきの地区での火事の発生件数は49件、死者数13人、負傷者数37人、焼失面積15,808 m²であった。1960年代後半には札幌オリンピックの開催が決定したため、札幌は好景気に沸いた。1970年前後はすすきのの中央を貫く札幌駅前通が拡幅され、地下鉄南北線や地下街ポールタウンが整備された。1974年にはすすきの地区初の百貨店、松坂屋札幌店が開店、すすきの地区も商業地区へ変貌を遂げた。その後もすすきのには多くのビルが建設され、そこに多くのクラブやバー、キャバレーなどが入居した。代表的だったのは、1971年に開店したキャバレー「札幌クラブハイツ」(2013年2月28日に閉店)と翌年開店のマンモスキャバレー「エンペラー」(2006年9月閉店)、1974年開店した東京資本のグランドキャバレー「ミカド」(1987年春撤退・跡地はキリンビール園)などである。新宿歌舞伎町の「歌舞伎町クラブハイツ」(2009年2月閉店、経営会社は同一)が閉店し、日本国内唯一の300坪超のキャバレーとなった「札幌クラブハイツ」であったが、同店が閉店したことでいわゆる大型キャバレーは完全に姿を消した。1970年代後半からはディスコブームに乗って、巨大ディスコ釈迦曼荼羅やマハラジャ・KING XMHUなど、多くのディスコが誕生した。これに伴いナイトクラブは衰退した。1980年代にはビジネスホテルが次々と建設された。1986年には天然温泉が掘削され、スパ施設・ホテルに利用されている。現在は、飲食店、風俗店、外資系ホテル、映画館やナイトクラブなどの娯楽施設などが混在する、巨大歓楽街・繁華街として全国的に知られている。(すすきのでのイベントについてはすすきの観光協会イベント情報、札幌市観光行政(札幌市観光企画課まとめ)を参照)。すすきのの中心部、南4条西4丁目と南4条西3丁目の境界に位置する札幌駅前通と月寒通(南4条通)の交差点はすすきの交差点と呼ばれている。札幌駅前通として南へ向かって進んできた国道36号が東(月寒通)へ折れる地点であり、交通量も非常に多い交通の要衝でもある。交差点の中央には時計塔が立っており、2005年に地下鉄駅改修工事のため初代(1982年民間より寄贈)の時計塔は撤去されたが、2008年に工事の終了に伴い新たなものが設置された。道内でも交通事故の多い交差点であり、日本損害保険協会の調査によると、2007年、2008年には北海道内ワースト1、2009年にはワースト2であった。すすきの南西にゲイバーなどが40店ほど集まったエリアがあり、ゲイ・タウンとしても知られる。特に札幌市電の東本願寺前停留場に近い南5条西6・7丁目 - 南6条西6丁目エリアに集中しており、エスエービルに多くのゲイバーが入居している。「Gclick」によるとゲイバーは32店、出張・売り専・マッサージが8店(2013年1月)ほどある。因みに札幌全体ではゲイ系店舗は51店ほどある。

出典:wikipedia

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