宮内 義彦(みやうち よしひこ、1935年(昭和10年)9月13日 - )は、日本の実業家。兵庫県神戸市出身。オリックス元会長・社長・グループCEO。日本プロ野球・パ・リーグに加盟するオリックス・バファローズのオーナー。関西学院理事。父の義作は神戸の米国人商館に出入りする木材輸入商社に勤務する貿易商だった。神戸市立成徳国民学校(現神戸市立成徳小学校)を経て、山口県玖珂郡大畠町に疎開。鳴門国民学校(現柳井市立鳴門小学校)、佐用町立佐用小学校、関西学院中学部・高等部を経て、1958年関西学院大学商学部卒業。在学中はグリークラブに所属する。1960年、ワシントン大学大学院経営学部修士課程修了(MBA)。1960年8月、日綿實業(日商岩井と共に現在の双日を構成する)入社。調査部配属。海外統括部、オリエント・リース設立準備事務所を経て、1964年4月、オリエント・リース(現オリックス)入社。日綿實業は、当時アメリカでニュー・ビジネスとして急成長しつつあったリース業への進出を図っていた。そこで、リース業を学ぶために社員の派遣を決定。ただ1人選ばれたのが20代の宮内だった。帰国して、新会社オリエント・リースの創設メンバーとして出向。13名中の最年少だったが、唯一、リース業の本質を知る人間として社長の誤りさえ遠慮なく指摘し、実務を担った。さらに3年後の1967年、リース業の本質を理解しない本社頼りの営業からの訣別も主導。顧客の独自開発を担う開発課初代課長に就任。本社からの“独立戦争”を主導した宮内自身も本社に戻らず、出向の身分から新会社に籍を移した。1967年6月、企画課長兼大阪本社開発課長兼東京支店開発課長。1969年、社長室長。1970年3月、取締役。1980年12月、代表取締役社長・グループCEOに就任。2000年4月1日、代表取締役会長 兼 グループCEOに就任。社長を藤木保彦に譲り、会長へ退く。2003年6月25日、取締役 兼 代表執行役会長・グループCEO。2014年6月24日、取締役 兼 代表執行役会長・グループCEOを退任。シニア・チェアマンに就き、経営陣への助言などを行う。また、オリックス・バファローズの球団オーナーなどは続投する。2009年1億8300万円の役員報酬を、2013年2億1300万円の役員報酬を受けた。政界と強力なコネクションを持ち、規制改革関連の審議会の長を10年以上歴任した。小泉内閣での総合規制改革会議で、2002年には、製造業における労働者派遣事業の解禁を内閣に答申した。また郵政民営化なども審議されていたが、後に答申は経済財政諮問会議に一元化されることとなり、規制改革会議の意向は議長の宮内がまとめて経済財政諮問会議に伝えていくことになった。なお、この間、内閣府設置法に基づく規則で定められた議事録が3年間にわたって作成されていないことがのちになって判明した。そのため、会議で誰がどのような提案をし、反対をしたかが分からず、全体を要約した「議事概要」としての資料しか残っていない。内閣府設置法の総合規制改革会議令に基づく同会議運営規則は「議長は議事録を作成し、一定の期間を経過した後に公表する」と定めている。同会議は2004年3月末で廃止され、宮内会長が引き続き議長を務める「規制改革・民間開放推進会議」に引き継がれた。2009年1月6日に日本郵政が保養・宿泊施設「かんぽの宿」70施設をオリックス子会社のオリックス不動産に譲渡する契約について、日本郵政の所管大臣である鳩山邦夫総務大臣(当時)は、「オリックスの宮内会長は規制改革会議の議長をやり、郵政民営化の議論もそこでされた。そこに一括譲渡となると、国民が出来レースではないかと受け取る可能性がある」との発言や、森永卓郎のよる「かんぽの宿売却問題は大疑獄事件の一端である」との批判が出た。これにより一括譲渡は見送られた。宮内はこの一件について「日本郵政の第三者委員会は報告書をまとめ、落札価格の問題点を指摘しなかった」「かんぽの宿は毎年赤字を続け、国に負担をかけ続けるに至った」とし、「まさに風評被害だった」と述懐している。宮内が政府に進言した労働者派遣事業の規制緩和の結果として、今日の非正規雇用者が抱える「派遣切り」などの社会問題を生んだとの指摘がある。民主党衆議院議員にして当時の民主党次の内閣・雇用担当大臣だった城島光力と激しく対立。城島の院内での発言に対して「総合規制改革会議および関係委員の名誉をそこなうような結果となったことは、不当であり極めて遺憾であり、本書面をもって厳重に抗議する」との文書を「総合規制改革会議議長 宮内義彦」の名義で城島に送付した。これについて、サンデー毎日は、「民主党議員を激怒させた高圧的文言」という題名にて報道した。行政の一部機関の者が役職名をもって立法府の一員である衆議院議員宛に抗議文を送付することは前代未聞の出来事であり、この抗議文については、城島が質問趣意書を提出した。財界一の野球好きとして知られる。少年時代からの野球好きを自認し、還暦を超えてなお草野球で投手を務める程である。1988年、社名を「オリエント・リース」から「オリックス」に改めるのに合わせ阪急電鉄から阪急ブレーブスを買収し、それ以降球団オーナーを務めている。2004年のプロ野球再編問題では、ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併を主導した。これによってリーグの球団数を削減してプロ野球を再編しよう、という方針を打ち出し、全球団の合意を得た。しかし選手会側は反発した。この結果、球界はプロ野球ストライキという空前の大混乱に陥った。
出典:wikipedia
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