ボブ・ホーナー(James Robert "Bob" Horner , 1957年8月6日 - )は、アメリカ合衆国アリゾナ州出身の元プロ野球選手(内野手)。「赤鬼」「黒船」などの異名を持つ。カンザス州生まれ。アリゾナ州立大学時代のには、原辰徳を擁する東海大学との親善試合に来日。東海大学との5試合を含む全7試合において本塁打を放った。同年に創設されたゴールデンスパイク賞の最初の受賞者となり、当時のNCAAの通算本塁打58本とシーズン本塁打25本の新記録を樹立した(2013年現在はピート・インカビリアが通算本塁打100本とシーズン本塁打48本の記録を保持)。1978年のMLBドラフトでアトランタ・ブレーブスより全体1位指名を受ける。マイナーリーグでの出場を拒み、いきなりメジャーデビューし(メジャーリーグではマイナー経験無しの選手は非常に稀)、6月16日のデビュー戦(対ピッツバーグ・パイレーツ戦)では第3打席にバート・ブレイレブン(通算287勝、のちにアメリカ野球殿堂入り)から2ラン本塁打を放つ。89試合出場で打率.266、23本塁打、66打点を記録し、オジー・スミスらを抑えて新人王を獲得する。、と2年連続で30本塁打以上を放つ。は肩や足の故障に悩まされて79試合出場で15本塁打に終わったが、は大きな故障もなく、2シーズンぶりの30本塁打以上を記録し、キャリア唯一のMLBオールスターゲーム出場を果たすなど、ブレーブスの4番打者として成績を重ねた。1983年1月、4年間550万ドルの契約を結んだ。この時の契約は、体重109kgの彼が、シーズン中の金曜日に13回体重を計量し、97.5kg以下の場合に1回あたり約7,700ドル、合計10万ドルのボーナスの出来高契約を含むものであった。、は右手首の故障に悩まされるものの、には幾分回復し、27本塁打を記録。7月6日の対モントリオール・エクスポズ戦で、メジャー史上11人目の1試合4本塁打を達成したが、チームは敗れた。1試合4本塁打を記録した選手が居ながらチームが敗れたのはメジャー史上2回目で、20世紀では唯一であった。また、「デビューから210本連続満塁本塁打なし」という当時のメジャー記録を打ち立てたが、対パイレーツ戦で211本目にして初の満塁本塁打を放ち、この試合での4-2の勝利に貢献した(にサミー・ソーサが通算248本目で初満塁本塁打を記録して更新した)。同年オフにFA宣言したが、年俸高騰により各球団のオーナーが示し合わせ、FA選手を締め出したためどこの球団とも契約できなかった。浪人寸前のところを4月13日に関根潤三率いるヤクルトスワローズへの入団内定、18日契約、27日午後4時34分に日航機JAL61便で成田空港に来日、10月21日の最終戦に出場後、22日夜ノースウェスト機で帰国というスケジュールであった。背番号は「シーズン50本塁打」という期待を込めて50に決まった。ヤクルトでのデビュー戦(5月5日対阪神4回戦、神宮)の来日第3打席で仲田幸司の初球の外角低めの速球を905グラムの日本製バットで叩いて右翼ポール際へ1号2ラン本塁打。翌6日の2戦目では池田親興からなんと3本のソロ本塁打を放った。1回二死での第1打席(来日第5打席)に0ボール2ストライクでの3球目真ん中低めのスライダーを左翼へ、3回の第2打席は3ボール1ストライクから四球、5回無死での第3打席は2ボール1ストライクでの4球目内角高めの速球を左中間へ、7回無死での第4打席はフルカウントでの6球目外角高めの直球をバックスクリーン中央へ叩き込んだ。2試合目の本塁打は3本とも打った瞬間にそれと分かるものであり(3本合計の推定飛距離380m)、その際の観客の反応も大歓声というよりは、明らかに呆気にとられたような歓声と拍手が多くを占めていた。最初の2試合で6打数5安打、打率.833、本塁打4、打点5、四球2の日本球界デビューで、5月7日の3試合目に対戦した伊藤文隆、御子柴進、福間納はストライクでの勝負を避け、事実上の敬遠策であった。5月9日の4試合目は佐世保で白武佳久が真っ向勝負して、初回二死の第1打席で外角高めの直球を右翼へ5号ソロ、6回の先頭打者での第3打席ではストライクゾーンから約3インチ(7センチ)外れた内角シュートを左翼場外へ6号ソロ本塁打を放ち、4試合で11打数7安打、本塁打6のデビューを飾り、黒船級の「ホーナー旋風」を巻き起こし、シーズン終了までにいったい何本打つのだろうという期待をファンに抱かせた。1987年のオールスターゲームにもセリーグ一塁手部門でファン投票で選出された(腰を痛め出場辞退)。最終的には故障で規定打席に達しなかったものの、93試合で打率.327、31本塁打、73打点を記録した。外国人選手が規定打席不足で30本塁打以上を記録したのは、この年のホーナーとのラルフ・ブライアント(近鉄)、のオレステス・デストラーデ(西武)、のロベルト・ペタジーニ(巨人)、のウラディミール・バレンティン(ヤクルト)らがいる。なお、8月9日平和台球場での対阪神17回戦で7回表の先頭打者としてマット・キーオから18号本塁打となったはずの中越え同点ソロアーチを放ったが、続く杉浦享が左飛に倒れて一死となった後、雷雨で49分間の中断を経て、21時18分にコールドゲームが成立し、6回で試合終了となったため、幻の本塁打が1本ある。18号本塁打の打ち直しは8月12日広島での対広島16回戦で行われ、またもや7回表の先頭打者での打席で、投手交代したばかりの川端順が投じた肩口から入る内角のパームボールを叩いた左翼へのソロ本塁打であった。また、8月30日横浜での対大洋21回戦の3回表二死満塁の場面で松本豊の直球を捉えた左中間への23号本塁打は来日して唯一の満塁弾であり、10月2日神宮での対阪神24回戦の5回一死一塁で猪俣隆の高めのカーブを捉えて左翼フェンスぎりぎりに運んだ31号2ランが日本での最後の本塁打であった。佐々木信也はホーナーの本塁打を「所属球団が勝利至上主義ではなかったため、チームの勝利に拘泥せず、伸び伸びと打った雄大なアーチ」と評した。ホーナーは同年、プレーでの活躍のみならず、ヤクルト製品CMの出演料や、著書「地球の裏側にもうひとつの野球があった」の原稿料など、しめて5億円を稼いだと言われている。ヤクルトのCMでは「おなかに菌力」と日本語のセリフを放った。また、サントリー缶ビールのCMでは薬師丸ひろ子と共演している。このほか、ハドソンのファミリーコンピュータ向けゲーム『桃太郎伝説』に登場する敵キャラ「あかおにホーマー」のモデルにもなっている。同年オフ、ヤクルトは翌1988年もホーナーと契約すべく、3年間で総額15億円と当時では破格の条件を提示(この年、ロッテから中日へ移籍した落合博満の日本人最高年俸が1億3千万円の時代)。ホーナー側とほぼ合意した。ところがその後、ホーナーはヤクルトとの契約を白紙化し、ジャック・クラークをFA(ニューヨーク・ヤンキースに移籍)で失い、クラークに代わる四番打者の補強を急務としていたセントルイス・カージナルスと1年間総額わずか約1億円(当時)の契約で合意し入団した。後に「日本は大嫌い。地球の裏側まで来て、ベースボールとは言えない代物をプレーしたくない。戻らなくていいのなら、いくらでもいいから契約してほしい」と代理人に泣き付いたのがその真相だったと報じられ、その侮辱的な言葉は日本プロ野球のファンや関係者に強いショックを与えた。なお、ホーナーは後の著書では、上記の発言はマスコミの誤報だと釈明している。また、日本での生活を「とてもエキサイティングなものだった」という発言も残している。 そして1988年、ホーナーはカージナルスでプレー。ホワイティ・ハーゾグ監督はホーナー獲得には否定的だったが、フロントが4番打者として期待しての入団だった。しかし結局、開幕直後の4月にはツインズからトム・ブラナンスキー(トム・ハーとの交換トレード)、さらに7月にはドジャースからペドロ・ゲレーロをトレード(ジョン・テューダーとの交換)で獲得し、4番打者として起用することとなった。ホーナーは左肩の故障のため、60試合の出場で、わずか3本塁打に終わる。しかも、ハーゾグ監督が「予言」した通り、本拠地ブッシュ・スタジアム(当時)で本塁打を打てないなど期待を裏切り、同年限りで解雇された。翌はボルチモア・オリオールズのスプリング・トレーニング(日本の春季キャンプに相当)に招かれたが、契約には至らず、現役を引退した。同年オフ、ヤクルトに対し「日本に復帰したい」と、再び日本でプレーすべくオファーをかけていたが、すでに故障が元で引退したことは公にされており、また前述の日本に対する侮辱的な発言もあって、このホーナーの行動は「虫が良すぎる」と痛烈な批判の対象となった。、ホーナーはヤクルトのユマ春季キャンプに臨時コーチとして招聘された。当時監督だった野村克也のたってのリクエストにより実現したもので、ホーナーはミーティングで「バッティングは80%が頭で決まる。データを駆使して、投手の配球を読んで打つんだ」と持論を展開した。この講義に野村は「我が意を得たり。俺と同じ考えだ」と舌を巻いたという。引退後のホーナーはまた、石油とガスの会社を設立・経営したものの事業に失敗し多額の借金を抱え込んでいたが、メジャー選手会はFA選手締め出しを労使協約違反として訴え、賠償金2億8000万ドル(約308億円)が支払われた。2004年、元利合計4億3400万ドル(約477億円)に増えていた賠償金が分配され、ホーナーにも700万ドル(約7億7000万円)が支払われる事となった。7月4日にはアメリカ大学野球殿堂入りを果たした。
出典:wikipedia
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