『八代将軍吉宗』(はちだいしょうぐんよしむね)は、1995年1月8日から12月10日にNHKで放送された第34作目のNHK大河ドラマである。1993年・1994年と番組体裁の見直しで1年2作品(1作のみ半年間、他2作は9ヶ月ずつ)となっていた大河ドラマが、本作品より1月始まりの1年完結の形式に戻された(当初は1993年度は移行準備期間、本格的な半期ごとの放送は1994年度に予定されていたが、不評だったために1992年度以前の仕組みに戻したものである)。江戸時代中期、御三家・紀州徳川家の三男として生まれ、江戸幕府第八代征夷大将軍となって享保の改革を行い、「幕府中興の祖」と呼ばれた徳川吉宗の生涯を描く。五代将軍・綱吉の元禄時代から吉宗の晩年までを扱った。脚本は1987年の大河ドラマ『独眼竜政宗』を手がけたジェームス三木で、二度目となる。『独眼竜政宗』では原作小説を元に書かれたが、本作はオリジナルとなる。音楽は池辺晋一郎が全編を担当し、テーマ曲では『独眼竜政宗』の時と同様にオンド・マルトノを用いた。タイトルバックにはCG映像が使用され、屏風絵や見返り美人を動かす映像が展開された。本編放送尺数・出演者数の多少によって調節できるよう、尺数の異なるオリジナルバージョン(ロングバージョン)と短縮バージョンの2種類のテーマ曲が使用され、それに伴ってタイトルバックの映像も長尺と短尺の2種類が使用されている。さらに本作品はアバンタイトル前に仲代達矢書の「八代将軍吉宗」の大きな文字が画面に出、オープニングの最初はサブタイトルで始まるという構成を採っている。主演は、8回目の大河ドラマ出演となる西田敏行で、『翔ぶが如く』に続く主役。他の出演者では吉宗の長男で言語症がある九代将軍・家重を演じた中村梅雀の、涙を流したり涎を垂らしたりする迫真の演技が多くの反響を呼び、中村自身の知名度ばかりか、それまで徳川将軍の中では影が薄かった家重の知名度をも上げる結果となった。時代背景が江戸中期という泰平の世であり、山場となる合戦などのスペクタクルシーンもなく、戦国や幕末と違ってドラマとしては政治劇が中心で劇的な展開を持ち込む事が難しかったにも関わらず、それを逆手にとって「将軍家のホームドラマ」という展開に仕立てあげ、ある時はコミカルに、ある時はシリアスに吉宗の生涯を描いた。前半は吉宗の青春と綱吉の元禄時代、中盤は吉宗の将軍職就任にまつわる熾烈な政治劇、後半は幕政改革に勤しむ吉宗の幕政と尾張藩主・徳川宗春との対決、そして個性の全く異なる三兄弟の父親としての吉宗の苦悩を描いている。当時テレビ朝日で放送されていた『暴れん坊将軍』との比較も話題になった。前3作(『琉球の風』『炎立つ』『花の乱』)は大河ドラマにおいて未開拓の時代や地域を扱うことを試み視聴率は低迷していたが、本作品は江戸中期を扱っていながら高視聴率を記録した。平均視聴率は26.4%、最高視聴率は31.4%。江守徹演じる近松門左衛門が、ナレーションおよび、更にはパネルや表を用いて、現代語を交え歴史背景を解説するといったユニークな演出方法を導入していた。決めゼリフは「さればでござる」。尚、同様の手法は2000年の『葵 徳川三代』でも用いられている。劇中では吉宗在世中の享保9年(1724年)に死去。以降は「幽霊」として登場する。最終回では、天国で吉宗とその父・光貞に、1995年当時までの日本の世相をレクチャーした。最終回から一週間後の12月17日には「さればでござる・全て見せます大河ドラマ」という特別番組が放送され、これまでの大河ドラマの歴史を振り返り、さらに翌年の大河ドラマ『秀吉』の主演・竹中直人によるミニコントも放送された。番組のナビゲーターは、近松役の江守徹と、近松家の少女(お梶)役・遠野凪子が務めた。紀州藩主・徳川光貞の四男・源六(後の吉宗)はいたずら好きのわんぱくっ子として育ちながらも、その頑強さから父の期待を一心に集める。しかし母・お紋の出自は卑しく、長幼の序の慣例から将来は部屋住みの身分として一生を終えるものと決め込んでいた。ところが長兄・綱教が早々と死去し、後を追うように父・光貞、次兄・頼職も死去。綱教にも頼職にも男子がなく、遂に吉宗は五代紀州藩主になるべくして収まるが、江戸では五代将軍綱吉、六代将軍家宣、そして幼い七代将軍家継までもが次々と死去。時代は吉宗を八代将軍に推し上げようとしていた。総集編がVHSビデオ・DVDで発売されているが、通常放送回のソフト化はされていない。1995年にNHKソフトウェアの依頼により、和歌山県の酒蔵会社である天長島村酒造によって「八代将軍 吉宗」が発売された。ラベルにはNHK大河ドラマ八代将軍吉宗での題字がそのまま用いられた。
出典:wikipedia
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