お好み焼き(おこのみやき)は、小麦粉とキャベツなどを使用する鉄板焼きの一種で、日本の庶民的な料理である。水に溶いた小麦粉を生地として、野菜、肉、魚介類などを具材とし、鉄板の上で焼き上げ、ソース・マヨネーズ・青のり等の調味料をつけて食する。焼き方や具材は地域によって差が見られ、「関西風お好み焼き」「広島風お好み焼き」など、様々な様式のお好み焼きが存在している。記録に残る限りにおいて、日本における粉物料理の起源は、安土桃山時代の千利休が好んだという「麩の焼き」にあるといわれている。水で溶いた小麦粉を鉄板で焼くという料理法は江戸にも伝わり、寛永年間には餡をこれで巻いた「助惣焼」が流行した。また、「もんじゃ焼き」の語源となった「文字焼き」も江戸時代後期には存在していたことが確認されており、江戸の粉食文化は形を変えながら存続していたとみられる。時代が下って輸入小麦粉、いわゆるメリケン粉が出回るようになると、子供の駄菓子としてのもんじゃ焼きが広まった。昭和の初めに流行した「どんどん焼き」は屋台や縁日でなどで販売され、東北や北関東など周辺地域では形や名前を変えながら現在も提供されている。また、麩の焼き発祥の地である近畿地方においても、大正期には既にどんどん焼きと同じように水で溶いた小麦粉を鉄板に広げて生地を焼き、その上にネギや肉などを載せて作る「のせ焼き」スタイルの軽食が存在していた。これは当時としてはハイカラな食材であったソースやメリケン粉を用いていたため、「洋食焼き」や「一銭洋食」など一般に「洋食」と呼ばれていた。こうした古いスタイルのお好み焼きの原型は、現在も祭りの屋台などで提供されている他、岸和田市のかしみん焼きや高砂市のにくてん、あるいは「ねぎ焼き」「キャベツ焼き」といった形で残存している。「お好み焼き」という名称と提供方式は昭和の初めに東京で生まれ、それが大阪に伝わり広まったという説がある。お好み焼きの歴史について語られる際に、最も古い文献としてたびたび引用されるのが、池田弥三郎の「私の食物誌」に記載された一節である。本書には「昭和6~7年(1931~1932年)頃に銀座裏のお好み焼き屋が密会所のようになり、風俗上の取り締まりで挙げられた」というエピソードが記録されており、当時のお好み焼き屋は飲食を口実として懇ろの男女に密室を提供する、どちらかと言えばいかがわしい業態であったことが読み取れる。食文化史研究家の岡田哲は「お好み焼き」は昭和6~7年頃の東京の花街において、座敷にしつらえた鉄板で客が自分の「好み」に焼く風流な遊戯料理として誕生したという解釈を紹介しており、日本コナモン協会会長の熊谷真菜も自著にて同じ説を採用している。田辺聖子は藤本義一との対談の中で、大阪でお好み焼きが知られるようになったのは昭和16~17年ぐらいからではなかったかと発言している。現存するお好み焼き屋の中で最古とされる店は、浅草の「風流お好み焼 染太郎」で昭和13年(12年という説もあり)の創業であるが、大阪でも同じ時期に「以登屋」(現在は閉店)が開店しており、大阪で初めて客に自由に焼かせる「お好み焼き」を紹介したとされる。以登屋は芸者や花柳界の粋人、船場の旦那衆などを対象とした高級店で、市中の洋食焼きが10銭程度であった時代に1円50銭もしたという。ちなみに大衆店として人気を博した染太郎では、創業当時のお好み焼きの価格は一枚5銭であった。戦後、「お好み焼き」という言葉は客が自分で焼いて楽しむという原義を離れ、ネギではなくキャベツを用いた粉物料理そのものを指すようになる。キャベツを用いる混ぜ焼き式の「お好み焼き」は戦後急速に浸透し、全国各地で洋食焼き・どんどん焼きからお好み焼きへと料理の名称と調理法が更新されていった。焼き方に関しては現在も戦前のスタイルを残す地域が存在するものの、名称の点ではほぼ全国的に「お好み焼き」に統一されている。なお、広島は戦前の東京で誕生したお座敷料理のお好み焼きはもちろん、戦後の日本で広まった混ぜ焼き式のお好み焼きの影響も受けなかった例外的な地域である。戦災からの復興過程で1950年頃に発生した屋台街(後のお好み村)において、戦前の洋食焼きをベースに独自の変化を遂げ、後に広島風お好み焼きと呼ばれる料理に発展した。現在の主流であり、後述する「関西風お好み焼き」の特徴とされる「生地にみじん切りのキャベツを混ぜ込んで焼く」というスタイルがいつどこで発明されたかという明確な記録は存在しない。「柔らかいもんじゃ焼きを屋台で販売するために粉の分量を増やしたのがどんどん焼きの始まりである」とする説があるが、実際のどんどん焼きは一銭洋食と同じ「のせ焼き」であり、もんじゃ焼きや後のお好み焼きのように生地に具材を混ぜ込む調理法は一例を除き記録には残っていない。池波正太郎は昭和初期を回想したエッセイの中で、今のお好み焼のごとく何でも彼でもメリケン粉の中へまぜこんで焼きあげるというような雑駁なものではなかったと語り、数あるどんどん焼きの中で唯一「牛てん」というメニューだけがネギとひき肉を生地に混ぜてから焼いていたと証言している。三宅正弘は、戦前のお好み焼き屋において、一人前づつの分量を座敷に運んで客に焼かせるという提供方法から必然的に合理的で管理がしやすい混ぜ焼きとなり、これが「お好み焼き」という言葉とともに大阪に伝わったのではないかと考察している。お好み焼きは庶民の料理であるどんどん焼きをお座敷に持ち込むという遊びから始まったと考えられるため、客である大人が子供の頃に親しんだもんじゃ焼きと同じ形式を採用したという推論は一定の説得力を有すると思われる。お好み焼きは時代による変遷や地方ごとのローカライズが顕著な食品だが、発祥当時の姿を伝える店も存在している。現存する最古のお好み焼き店は、昭和13年創業の「染太郎」(浅草)である。染太郎では戦前から続く古風なメニューを多く残しており、キャベツではなく白ネギを用いたお好み焼きや、どんどん焼き形式ののせ焼き、あんこ巻きなどの甘味焼きも提供されている。東京には染太郎以外にも「松浪」や「まりや」など、黎明期の面影を残すお好み焼き屋がいくつか残存している。一方、大阪屈指の老舗として知られる「はつせ」(千日前)は全席完全個室で、風俗上の取り締まりを受けたという戦前のお好み焼き屋の姿を偲ばせる作りとなっている。近年はカウンター式で店員が焼き、マヨネーズまでかけた状態で提供されることが多くなった大阪だが、この店ではお好み焼きが東京から伝わった当時の様式を今もなお維持している。これら老舗に共通するのは「客が自分で焼く」という点であり、店側は鉄板と材料を提供するのみで、特に要望のない限り店員が客席に顔を出すことはない。また焼き方や味付けは文字通り「お好み」であるが、基本的には具材をすべて混ぜ込み、よくかき混ぜてから焼くことを推奨している。地方、特に広島などではこのスタイルを「関西風」と認識している人も多いが、調理法、提供方法ともに東京の発祥であり、また現在の関西ではほとんど見られなくなった形式である。みじん切りにしたキャベツを生地に混ぜ込んでから焼くスタイルのお好み焼きのことを「関西風」あるいは「大阪風」お好み焼きと呼ぶことが多い。しかしながら、このスタイルのお好み焼きの発祥は東京であり、関西地方においても昔ながらの「洋食焼き」の流儀で、鉄板に薄く延ばした生地にせん切りのキャベツと具材を載せて焼きあげる重ね焼きが主流となっている地域も少なくない。大阪を中心とする関西地方のお好み焼きには様々な調理方法があるが、混ぜ焼きにのみにみられる特徴として、食感を軽くするために生地の中に山芋を混ぜ込むことが多い点があげられる。キャベツや鶏卵がいつごろから使用されるようになったかについては、はっきりしたことは分かっていない。キャベツそのものは1904年頃から普及しており、決して高価な食材ではなかった。ただ、青ネギを用いる西日本と、白ネギを用いる東日本では、戦前の一銭洋食時代においても用いられる野菜が異なっており、西日本の洋食焼きがもっぱら青ネギを使用したのに対し、同時期のどんどん焼きには白ネギだけではなくキャベツやタマネギなども定番の素材として使用されていた。戦争中の食糧事情が悪い時期に、単価が安く腹持ちのいいキャベツを用いる「お好み焼き」が伝わったこと、また戦後ほどなくキャベツとの相性が良い濃厚ソースが開発されたこともあって、西日本でも徐々に「ネギを乗せて焼く洋食」から「キャベツを混ぜて焼くお好み焼き」へと切り替わっていったのではないかと推測される。鶏卵については大規模養鶏が導入されたのは昭和30年代であり、戦後しばらくまでは高級食材であった。現在も地域によってはデフォルトの仕様が玉子なしの店が少なからず存在し、玉子を追加する場合は「豚玉」「いか玉」のようにメインとなる具材の後に「玉」を付けて注文する。関西地方においても、戦前は生地を薄く引いた上に具材を重ねて焼き上げるいわゆる「洋食焼き」が主流であった。昭和の初めに東京で生地と具材を混ぜて焼く「お好み焼き」が誕生し、それが遅れて大阪にも伝わった。昭和12年には老舗として知られた「以登屋」が北新地近くに開店しているが、東京式に客が自分で焼くスタイルで、「あんこ巻き」のような東京にしか見られないメニューも提供されていたという。戦後になり、混ぜ焼きのお好み焼きはそれまでの洋食焼きに代わって関西一円に広まった。お好み焼きは関西の庶民に愛され、街中には多くのお好み焼き屋が商い、独自の味を競うソースメーカーが誕生した。また家庭においても鉄板を特注して楽しむなど、地域に根付いた文化として成熟していった。大阪がお好み焼きの本場として認知されるようになったのは、1970年代以降のことである。これは「ぼてぢゅう」や「千房」など有名店の台頭、マヨネーズや山芋を用いるといった独自の進化、大阪万博による注目度や観光客の急増などによるところが大きいと思われる。また、客が自分で焼く料理として生まれたお好み焼きを、プロの焼き手が焼いて提供するというスタイルに変えたことで「料理」としての付加価値が高まったことも理由のひとつであろう。なお、混ぜ焼きのお好み焼きが「関西風」「大阪風」と呼ばれるようになったのは、広島風のお好み焼き、いわゆる広島焼きがマスコミに紹介されて以降のことである。広島焼きの店は1980年前後から他地域への進出が始まり、当時すでに全国的に標準となっていた混ぜ焼きのお好み焼きが改めて「大阪風」「関西風」と命名されることとなった。だし汁に小麦粉、そして鶏卵や山芋を混ぜた生地にみじん切りのキャベツを混ぜて焼く、いわゆる「混ぜ焼き」が主流である。ただし東京のように肉などを混ぜ込むことはあまりなく、メインとなる具材は上に載せたり、あるいは別に炒めて載せることが多い。また昔ながらの「重ね焼き」や、千切りキャベツと生地を混ぜるのみであとは重ねて焼く地域なども点在しており、必ずしも関西では混ぜ焼きがすべてというわけではない。基本的な作り方とんかつソースが発明される1948年以前は、粘度の低いウスターソース(中濃ソース・とんかつソースなどを含むウスターソース類の総称ではなく、狭義のウスターソース。以下同じ)、あるいは醤油が使われていた。現在はお好み焼き用に調整された粘度が高く甘みの強いソースが主に用いられるが、神戸市のようにどろソースと呼ばれる非常に辛いソースが使用される地域もある。近畿地方、特に兵庫や大阪では各地に独特の「地ソース」が多数存在しており、お好み焼き専門店では、業務用として卸されるこれらのソースをブレンドして独自の味を作り出している。また今日では、オリバー、イカリ、カゴメ、オタフク、ブルドックといった大手のみならず、中小メーカーからも風味の異なるお好み焼き専用ソースが何種類も発売されている。近畿地方では街のどこのスーパーにもお好み焼きソースが十数種類陳列されているほどで、個々人のソースへのこだわりの深さを感じさせられる。最初に使用したのは大阪市の「ぼてぢゅう」で、昭和28年のことである。昭和40年代から大阪を中心に普及し、後に全国的に広く使われるようになった。同じ関西でも大阪と神戸ではマヨネーズに対する嗜好に違いがある。現在の大阪では、どの店でもマヨネーズがかけられて提供されるのに対し、神戸ではマヨネーズを置かない店も少なくなく、置いていても注文がなければ出さない店が多い。全国的に、大阪風の混ぜ焼きお好み焼きを提供する店ではマヨネーズが使用されることが多い。店によってはマスタードやトマトケチャップを少量加えることもある。モダン焼き(「そばのせ」とも言う)とは、茹でた(あるいは蒸した)中華麺を、お好み焼きの具材として重ねて焼いたものである。中華麺をそのまま載せるか鉄板で焼くか、麺に味付けを行うか行わないかなど、店によってレシピは様々である。ベースとなるお好み焼きも店や地域によって混ぜ焼きの場合とのせ焼きの場合があり、後者は広島風お好み焼きとほとんど同じものとなる。中華麺の代わりにうどんを用いる場合もあり、「うどんモダン」や「うどんのせ」と呼ばれる。広島風お好み焼きと同じく「のせ焼き」の発想から生まれたメニューであり、1950年(昭和25年)に『志ば多』(神戸市)で考案されたという説が有力である。同店では、当初はそばではなくうどんを使用しており、現在もうどんモダンが名物となっている。関西のお好み焼き屋では、焼き始めから最後の青海苔や削り節等のトッピングまで全ての調理工程を店員が行うスタイルが一般的である。焼き上がったお好み焼きは、俗に「ちりとり」と呼ばれる大型の起し金で各人の席に運ばれる。一方、「お好み焼き」の元祖である東京では、椀やカップに入った生の具材と生地を提供し、客が自分でかき混ぜて焼き上げるセルフサービスが標準である。このスタイルの店は、お好み焼きがあまり一般的ではない地方都市にも多い。大阪も昔はこの形式が少なくなかったが、現在は創業の古い老舗店と関東発祥のチェーン店以外ではほとんどみられない。お好み焼きを米飯のおかずと考えている人は全国では2割だが、大阪では半数近くと他を圧倒しているという調査結果がある。また、関西のお好み焼き屋、定食屋には米飯を添える「お好み焼き定食」を出す店舗が存在する。関西地方では、コテ(方言でテコとも言う。正式名称は「起し金」)でお好み焼きを食べやすい大きさに少しずつ切り、直接コテに載せて食べる。それ以外の地方では、お好み焼きを切り分けて皿に取り、箸を使って食べる事が多い。小麦粉を水で溶いたものを薄く伸ばして焼いた生地の上に野菜や肉といった具を重ねてひっくり返し、生地でふたをして「蒸し焼き」にするのが特徴。具と小麦粉で出来た生地を混ぜて作る「混ぜ焼き」とはまったく異なる食感となる。同様の調理法の「お好み焼き」を供する地域は広島以外にも存在するが、中華麺を加えることが多い点と、具材としてもやしを用いることが決定的なオリジナリティとなっている。戦前に子供のおやつであった「一銭洋食」が原型である。近年では「ご当地グルメの代表格」ともいわれ、2006年現在、広島市だけで800軒以上(1992年中国新聞調べからの推定)、広島県内には1,700軒以上あるといわれる(総務省統計局、平成21年経済センサスより)。店舗数では全国3位、人口10,000人あたりの店舗数では全国トップといわれる。1950年頃に発生した屋台街(後にお好み村になる)で開業した、みっちゃんの井畝井三男と善さんの中村善二郎が広島風お好み焼きの元祖と言われている。その他、初期のお好み焼きの屋台の流れをくむ店は「麗ちゃん」、「へんくつや」などがある。1950年当時のお好み焼きはねぎ焼きに近い物であった。戦争や原爆で夫を亡くし、自宅の土間を改造して店を始めた女性も多く「〇〇ちゃん」という屋号が多いのはその名残りである。また、1963年に中国地方を襲った昭和38年1月豪雪で、中国山地の農村から一家で離村し、高度経済成長期の広島市に移住した農家の主婦が住宅地に開業した例も多い。現在も町の小さなお店に、老婦人が一人で焼く店舗が残るのは、こうした理由もある。昭和40年代頃までは、家から卵や肉をお店に持っていって入れてもらう事が出来た。現在は肉や卵 (合わせて肉玉と呼ぶ) は当たり前に手に入ることが多いが、昔は野菜とそばだけ、あるいは野菜だけといったことも珍しくはなく、この頃の野菜だけで作られたお好み焼きの値段は250円程度だった。また、プラスチック製や発泡スチロール製のトレーが普及していなかったため、お店で食べない場合は、各家庭から平らな皿を持っていき、それに出来たお好み焼きをのせてもらったり、新聞紙にくるんで持ち帰っていた。もう少し時代が下ると、ラップで包んで持ち帰っていた。広島風お好み焼きの焼き方は、昔から今まで一貫して生地と具材を混ぜずに焼く「重ね焼き」である。当初は、肉が入っていない野菜の重ね焼きで、二つ折りにして新聞紙にくるんで提供されていた。キャベツや揚げ玉などが入れられていたが、この頃はまだ、そば等の麺は入れられていなかった。このクレープのような生地に、焼きそばやうどんと卵焼きを二つ折りにして挟むというスタイルは現在でも呉地方を中心に残っており「呉焼き」とも呼ばれている。円盤状のものに比べて場所をとらないため、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの惣菜のひとつとしてもよく売られており、またやり方によっては片手で食べることも可能になるので、祭りなどの露店ではこのスタイルで売られることもある。戦後の食料事情により、季節により供給量が左右されるネギを、単価が安く年間通して手に入りやすいキャベツに変えた(もやしは後年入れられる事になる)。昭和30年代になると、そば(中華めん)やうどんを入れるようになる。これは、その頃発売されたインスタントラーメンの影響ともいわれている。当時は米はまだ貴重な時代だった。当初おやつ程度の物だったのが、主食に変化していった。具材が多くなったため、二つ折りにしにくくなり、円盤状のままで出すようになった。こうして、1955年頃には現在の広島風お好み焼きになった。このように、現在のような広島風お好み焼きの完成形が突然出来たわけではない。当初は屋台営業の為、他店のレシピや調理技術が盗み易く、各店が互いに影響を与えあいながら現在の形へと進化させていった。広島風お好み焼きも、最初の頃はウスターソースを使っていた。多くなった具に対応するために、そばを焼そばのようにソースで味付け、さらに表面にも塗っていた時期もあった。しかし、さらさらのウスターソースではお好み焼にしみ込んでしまう欠点があり、ウスターソースに片栗粉を入れてとろみのあるソースを作って欲しいというオーダーにソースメーカーが応えて、濃厚なソースを使うようになった。その後、広島風お好み焼きの生地や具材に合うように甘味や酸味を持たせたり、液体のソース製造時の沈殿液を使うなどの改良がなされた。こうして誕生したお好み焼き用の濃厚ソースを「お好みソース」と呼ぶようになったが、小さな工場では昔ながらの製法で作っている所もある。広島県内のみならず、全国でもオタフクソースが高いシェアを誇っている。名前についても、当初は決まった名前はなかった。「お好み焼き」は、客が自分で好きなように焼くという意味で戦前の東京で生まれた言葉だが、提供方法や焼き方は異なるもの同種の料理であるため、その名前だけを拝借したと考えられる。これは広島と同様に戦前からの「重ね焼き」の手法がが残されている神戸や名古屋などにおいても同様である。広島のお好み焼きには、定番の具材がある。チーズやネギはキャベツと混ぜて使用することもある。お好み焼きに使用される麺は中華麺で、多くはお好み焼き用に製麺されたものが使用されることが多いが、焼きそば用の麺が使用されている店もある。店舗によって寸胴でゆでてから鉄板に出す「生麺」、予めゆでてある「ゆで麺」、蒸してある「蒸し麺」の3種類のうち一種類が使用される。3種類の中では生麺が比較的人気で、お好み広場やお好み村の店舗やガイドブック等に掲載されているような店舗では生麺が使用されることが多い。しかし、生麺を焼く時に使用するラードのカロリーを気にしたり、調理時間が長くかかることで、人気店でもゆで麺や蒸し麺を使っている場合もある。中華麺に代わるバリエーションとしてうどんがあり、うどんは中華麺がない時などに、古くから代用されてきた。近年では蕎麦やパスタを用いる店舗もある。広島以外では、上記のような麺入りのお好み焼きを関西風の「モダン焼き」と区別する意味も込め、「広島焼き」と呼ばれることがある。当地の広島で名付けられたわけではなく、広島では、ほぼ使われることがない呼び方である。広島において広島風のお好み焼きのことは、関西同様に「お好み焼き」あるいは「お好み」と呼んでいる。ただし、広島県三原市では、旧来の麺無しをベースとして「お好み焼き」と呼び、中華麺またはうどん入りを「モダン焼き」と呼んでいる。ソースは広島のメーカーであるオタフクソースがお好み焼き専用のソースを製造し、お好み焼き店の開業を支援していることもあり、多く利用されている。味は若干甘め。それ以外には、毛利醸造のカープソース(やや辛め)・サンフーズのミツワソース、センナリの広島ぢゃけん、中間醸造(三原市)のテングソースなどのお好み焼きの専用ソースも使用されている。多くのお好み焼き店では単一メーカーのソースを使用しており、ソース会社では、納入先のお好み焼き店に自社の名前が入った暖簾を提供している。そのため、暖簾にあるメーカー名を見ることで、その店がどのメーカーのソースを使っているか分かることが多い。近年では幟(のぼり)を立てている店も多く、より分かりやすくなっている。なお、一部の店では複数のソースを独自にブレンドしたり、前記以外の製造会社にソースを特注したりしている。また、お好み焼きを食べるときに用いるヘラ (コテ) やお皿、ソース差しなどの道具にも、ソースのメーカー名がついていることがある。特に、多くの小規模な店舗がある広島市内では、ソース会社がお好み焼き店の開業支援をしており、「近所の主婦」が内職で自宅の一部を改装し、安価で店を開くことが出来た。広島県は日本酒の産地であり、そこから派生して酢の製造も盛んであった。先述のオタフクなど多くのソースメーカーは酢の醸造会社をルーツに持ち、今もソースと酢の両方を製造している。広島では、当初お好み焼きにマヨネーズを使う習慣はなかったが、マヨネーズをかける食べ方も広がっている。お好み焼きにマヨネーズを提供している店であっても、焼き上がって客に提供された時点ではマヨネーズがかけられていないことも多い。このような店では、卓上にセルフサービス用のマヨネーズが置いてあり、客が好みに応じてマヨネーズを使えるようにしている。広島のお店の注文書(メニュー)には「お好み焼き そば (うどん) 肉 玉子」という風に書いてあることもあるが、これを「肉玉そば (うどん) 入り」「そば (うどん) 肉玉」、などと注文する。デフォルトである肉玉そば(うどん)にお好みでトッピングを付加したり、そば(うどん)抜きなどとすることも可能である。おすすめや人気のトッピングの組み合わせは「餅チーズ・肉玉そば(うどん)入り」などとメニューに併記したり、「スペシャル焼き」「○○ちゃん焼き」などと店舗独自の名前を付けていることもある。そば (うどん) の下に「W」と書いてあることがあるが、これはそば(うどん)を2玉使う「ダブル」という意味である。「ちゃんぽん」または「ミックス」いう言葉が使われている地域もあり、そばとうどんを半玉ずつ使用することを意味している。またミックスダブル等の呼び名もありこれはそばとうどんを1玉ずつ使うことを意味している。多くの店舗ではテイクアウトも可能であり、店舗によっては出前や電話予約などを行っていることもある。近年では海外からの観光客のため英文のメニューを用意している店舗もある。また,広島市等では,原付で配達するケータリング専門(客は店内での食事不可)の店舗も存在する。典型的な広島風お好み焼きの店は、真ん中に大きな鉄板を擁するテーブルがあり、その周辺にいくつか小さめのテーブルが配置されていることが多い。客はお好み焼きを作る大きな鉄板の周りに座り、焼かれたお好み焼きを鉄板の上から直接小型のヘラを使って食べるのが基本である。しかし、このような大きな鉄板のあるテーブルは店に一つしかないことが多く、鉄板で同時に食べられる人数には限界がある。そのため、店の中には鉄板のない小さいテーブルも配置されており、鉄板で食べない場合はお好み焼きを皿にのせてもらい、箸で食べる。歴史的には、昔からある広島のお好み焼き店は自宅を改装したようなところも多く、規模が小さい店が多かった。鉄板の周りにしか席がないような狭い店では、必然的に客は鉄板の上で食べるしかなかった。食べている間に冷めるのを防ぎ、最後まで焼きたての味を楽しむため、また、屋台発祥の店では、皿をわざわざ洗うための水を節約するために客に鉄板で食べさせ洗い物をなくすという理由や、物が豊かではない時代に割り箸の消費量を減らすという理由もあり、ヘラで食べるようにしたところ、これが功を奏し慣習となったとされている。近年では大きめの店が増えテーブル席が増えたことや、ヘラで食べるのは多少慣れが必要で観光客や女性には扱いが難しいこともあり、皿で出す店や出す前に皿か鉄板を聞く店も多くなった。鉄板で出す場合も小皿や箸を用意し、卓上のソース等をお好みで自由に使えるようになっている店舗が多い。同じ広島県内であっても、地域によって色々なバリエーションがある。これらは定番というものではなく、お好み焼きのメニューの一つとして提供されるものである。 特に近年、「ひろしまフードフェスティバル」で「てっぱんグランプリ」を開催して競う傾向にあるため、年々進化しつつある。福山市など岡山県境に近い広島県東部 (備後地域) では、近畿圏にも近いことから関西風のお好み焼き店が多い。備後地域では関西風のお好み焼きがもともと主流であったところに、後から広島風のお好み焼きが浸透していった。なお、この地域ではお店によって変わった具を入れる所がある。府中市では、豚バラ肉の代わりにミンチ肉や細切れ肉を入れ、「府中焼き」と呼ぶ。地場産業の家具・桐箱製造業で働く母親が多く、お好み焼きは子どものおやつや晩ご飯だったため、子どもがお小遣いで食べられるようにと、バラ肉ではなく安い合い挽き肉を使ったのが始まりである。ミンチ肉は細かいため熱を通すとよくダシが出てうま味が増し、脂も多く出て麺がカリッと焼き上がるのが特徴。また、卵も溶き卵にしたものをソースを塗ったお好み焼きの上からかけて仕上げる方法も存在する。狭い鉄板でたくさん焼けるようにという工夫から、形は楕円形をしている。尾道市では砂ズリ(砂肝)を入れる店がある。三原市では、モツ (鶏のレバーやヒモ) を入れる店が市内全体(約80店舗)のうち7割でトッピングとして取り扱いがある。三原市は養鶏が盛んで、鶏肉の生産量は広島県全体の約半数(46%)を占めており、広島県の地域資源にも認定されている。昔から安価で新鮮な鳥モツが容易に手に入れることが可能だったため地域に根付いた。また、そばやうどんを入れたお好み焼きを特に「モダン焼き」と呼び分けるが、これは関西地方独特の呼び方で、広島県内で広島風のお好み焼きを出している地域ではあまり見られない特徴。戦前、戦後から三原市の産業基板を築いていた「帝人」や「三菱」では、当時から関連企業の仕事で関西からの来客も多かったと思われ、関西での呼称である「モダン焼」と注文を受けることが多く定着したという見方がされる。竹原市では、生地に酒粕と日本酒を練り込んだ「竹原焼き」を提供する。呉市ではうどんを入れたり、普通に焼いた後、半分に折り半月型にする場合が多いといった特徴がある。庄原市は、広島市から離れている事もあってお好み焼きは馴染みの薄いものだったが、近年町おこしの一環として、「庄原焼き」を考案。そばではなく、庄原産の米を入れてポン酢で仕上げているのが特徴。2014年の「第5回てっぱんグランプリ」に出展された地域の産物を使用した最新のご当地お好み焼きは以下の通り。大きいチェーン店があるが、北海道全体で人口比の店舗数が少なく多くは食べられていない。戦前に東京から伝わったどんどん焼きがある。岩手県では、円形に薄く焼いて「薄焼き」または「どんどん焼き」と称する。宮城県には、半月形に焼いた「どんどん焼き」または「お好み焼き」と称するものと、木の棒にロール状に巻きつけた「くるくるお好み焼き」がある。山形県には、木の棒に「ロール状」あるいは「短冊状」に巻きつけた「どんどん焼き」がある。秋田県横手市周辺では昭和40年代から、円形に薄く焼いた生地を、割らないままの割り箸に巻き付けソースをかけたものが「お好み焼き」または「箸巻き」という名で、縁日や祭りの屋台で売られていた。暴力団排除の風潮と共に屋台そのものが少なくなり、一時は見られなくなったが、2010年に有志が「しあわせ巻き巻きよこまき。の会」を設立し、地元名物の横手焼きそばの麺などを使用した新たなB級グルメ「よこまき。」として復活させ、イベント等に屋台を出店しているほか、観光協会の協力を得て、市内の飲食店でも提供されている。首都圏を中心とする関東地方には全国各地の料理を提供する店が存在し、数の上では関西風や広島風を提供する店のほうが多数派となっている。しかしながら、お好み焼き発祥の地である東京では、その語源通りに客が自分で焼くスタイルが伝統である。お好み焼きの材料は椀や金属カップに一人前づつ盛られて提供されるため、肉やその他の具材も含めた完全な混ぜ焼きとなる。鶏卵は基本的にデフォルトで加えられるが、古風な店ではオプションとされていることもある。生地にはもんじゃ焼きと共通の桜エビ、切りイカ、揚げ玉、紅生姜、餅などが混ぜ込まれる事が多い。もんじゃ焼きとお好み焼きの両方をメニューに置く店が多く、あんこ巻きやアンズ巻きなどの甘味系を揃えているのも東京ならではの特徴である。数は少なくなったものの、小柱やアサリといった江戸前の種や牛そぼろ、キャベツではなく白ねぎを用いたねぎ焼きなどを提供する店も残存している。調味料はソースやマヨネーズなど客の好み次第であるが、旧来のスタイルを守る老舗ではからし醤油などで勧められることもある。東京風お好み焼きの店では、メニュー名は加えられる具材を指して「○○天」と表現する。「天」が何を意味するかについては諸説あるが、同様の表現は神戸の「肉天」にもみられ、当時は水溶き小麦粉を油で焼く料理を総括して「天ぷら」の一種とみなしていたとも考えられる。どんどん焼き時代の「のせ焼き」を提供する店はほとんど見られないが、戦前から続く老舗である浅草の染太郎には「お染焼」という名前でメニューに残されている。また、埼玉県行田市には「フライ」と呼ばれるどんどん焼きの系譜に属する料理がある。県東部の富士宮市周辺では「しぐれ焼き」と呼ばれる、富士宮焼きそばをのせたお好み焼きがある。浜松市を中心とする遠州地域では「遠州焼き」と呼ばれ、たくあんなどの漬物や紅しょうが、ねぎを刻んで生地に入れることがある。これは戦後の物資不足の時代に浜松市の三方原台地へ引揚者が入植し、大根の増産が行われたことから、当時適当な食材として導入されたことが由来だと言われている。尚、地場のソースとしては高嶺ソース、トリイソースなど生産されている。名古屋市のお好み焼きは戦前から続くのせ焼きだが、生地が固めで両面とも綴じるために厚みがあり、ともすれば混ぜ焼きのように見える仕上がりである。屋台やフードコートでは二つ折りにしてアルミホイルに包んで販売されることが多く、また100円台からと価格を安く抑えている店舗が多いのも特徴で、庶民の食べ物としての洋食焼きの特徴を色濃く残している。ソースは名古屋市の調味料メーカー、カゴメのお好み焼きソースが使われる比率が高い。同じく名古屋市の調味料メーカー、コーミからは家庭用のお好み焼きソースとして赤だしみそ入りの『コクうまお好みソース』が発売されている。お好み焼きのソースに味噌を入れるのは、さすが名古屋と驚く人が多い。家庭で作られるお好み焼きは、上記とは異なる。作り方は大阪風と同じく、キャベツと山芋、天カス、干しエビ等を、小麦と水、卵、牛乳と混ぜ合わせ、肉を乗せて焼いていく。だが、大きな違いとして、ひっくり返してから、ヘラでしっかりと抑える事が挙げられる。ギュウギュウと、上から押さえつけ、中の空気を完全に抜く事で、表面はサクサク、中はもっちり、どっしりとした、食べ応えのあるお好み焼きになる。また、切り分け方も、多くの家庭の場合、東京風に、十字に切り分けていく。富山市では刻み昆布を生地に入れることがある。ただ、どんどん焼きの方が刻み昆布や桜えびや紅ショウガを入れ、青のりなどをかけて食べることが多い。いわゆる関西風お好み焼きを主流とする。かつては客に焼かせる店も多くみられたが、現在は大半が店員が焼いて提供するスタイルになっている。混ぜ焼きの地域が多い中、神戸市の旧市街地域(兵庫区、長田区、中央区など)が異彩を放っている。肉天と呼ばれた時代の調理法を継承するのせ焼きで、生地に卵を入れない、マヨネーズは用いない、どろソースを使用する、「すじこん」「ぼっかけ」と呼ばれる牛すじの煮込みや「大貝(おおがい)」と呼ばれる本荘貝(ウチムラサキ)、下茹でを行わない生蛸が使われるなど、近隣他地域に見られない独自性が多々残されており、近年ではこれを「神戸風お好み焼き」と呼んで区別する向きもある。戦前の洋食焼きの面影を残すものとしては、上述した神戸市や高砂市のにくてん、ねぎ焼き、鶏肉と牛脂を具に使う岸和田市の「かしみん焼き」、京都市の「べた焼き」、懐古的に復活した一銭洋食やキャベツ焼きなどがある。のせ焼きが残る地域には鶏卵を使用しない古いスタイルも残存しており、そうした店では卵はオプション扱いで「◯◯玉」として注文する。(卵なしのプレーンなものは「○○焼き」「◯◯のお好み」あるいは単に「◯◯」と呼ばれる)姫路市ではだしを多く含む柔らかいお好み焼きが好まれ、もんじゃ焼きに似た「ねり焼き」や「ぐじゃ焼き」、玉子焼のようにつゆで食べるスタイルの「どろ焼き」などもある。独自の具材を使ったご当地お好み焼きとしては、富田林市の豚肉の鉄板焼きを用いた「ブー太郎焼き」、焼きそばを卵で綴じる和歌山県御坊市の「せち焼き」、焼きそばとホルモン焼きを入れた京都市の「まんぼ焼き」、京都市左京区にはキャベツの代わりに白菜を使う「白菜のお好み焼き」もある。あぶらかすやホソ、生すじ肉などのもつ類が使用される地区が点在するのも近畿地方の特徴である。またそれらの地域では混ぜ焼きのお好み焼きではなく、のせ焼きの様式がよく守られている傾向がある。広島風お好み焼きが知られる地方であるが、広島風と関西風の両方を提供する店もあり、独自の作り方のお好み焼きが名物になっている地域もある。広島市内であっても「徳川」のように、関西風を謳いながらも実際には東京風を提供する専門店も存在する。兵庫県西部から岡山県にかけてのエリアは、戦前からのにくてん・洋食焼きの影響が色濃く残る「のせ焼き」スタイルの店が多い。岡山県備前地域(特に日生町)では「カキオコ」と呼ばれる岡山県名産のカキをいれたお好み焼きが名物である。また、カキのシーズンではないときに提供される「エビオコ」(カキオコのカキをエビに変えたもの)も有名である。また、浅口市では手延べ麺のバチを大量に生地に混ぜ込んだ、バチのお好み焼きがあり、カキオコに倣って「バチオコ」と呼ばれる。広島県東部の備後地方南部では、府中市を中心に、豚や牛挽肉を使用した「府中風お好み焼き」があり、これを「府中焼き」と呼び街おこしのご当地グルメとする活動がある。広島風お好み焼きに似ているが、挽肉から出る脂と肉汁が特徴的である。小さな街に多くのお好み焼き店が存在している。広島県三原市では、そばやうどんの入ったお好み焼きをモダン焼きと呼称する場合がある。製法は元祖である神戸風に近く、まず生地を敷き、別の場所で麺と具(キャベツ、豚肉など)を炒めたのちに生地の上に載せ、生地を少しかけて反転させ、蒸し焼きに入るという製法をとる場合が多い。また、イカ天のことをのしイカと呼称したり、鶏肝(レバーやヒモなど)を入れるなど、独自の特色がみられる。隣接した地域で文化も食文化も似ているの尾道市では砂肝とのしイカを入れたものを「尾道焼き」と称している。。広島風お好み焼きの中でも、広島市中心部の店と呉市・呉市近辺の店では具材を重ねる順などに若干の差異があり、呉のものを「呉焼き」と呼んで区別することがある。呉焼きは焼いた後、半分に折り半月型にする店が多い。広島県庄原市では、広島風の「肉玉」をベースとしソバの代わりに「庄原の米」を炒め、「お好みソース」ではなく「ポン酢」をかけて食べる「庄原焼き」と呼ばれるものも存在する。因島では、「因島お好み焼き」、略称「いんおこ」と呼ばれ、うどん入りが主流で、かつお粉とウスターソースで炒めた麺を野菜より先に生地に載せる。「尾道焼き」とともにしまなみ海道のB級グルメ料理として知名度の向上を目指している。広島県三次市では地元の江草製麺で製造されている唐辛子を練り込んだ「唐麺」そばと、毛利醸造社で製造されているカープソース辛口で味付けしたお好み焼きを三次唐麺焼きとし。三次唐麺プロジェクトを立ち上げて地域興しに活用している。戦前からの手法を引き継ぐのせ焼きと戦後発祥の混ぜ焼きが混在している。徳島県では、ミカン、甘く煮た金時豆、ヨーグルト、エビを入れて丸く揚げた「天ぷら」、フィッシュカツなどの独特の具を用いたものも供されている。福岡市には、厚くどっしりとした生地を特徴とするお好み焼きを出すチェーン店がある。ふわふわが好まれる関西風とは対照的に空気を含ませず、表面はカリカリに焼き上げられる。真っ黒で粘度の高い独特のソースと、カスタードクリーム状の自家製マヨネーズを使用することも大きな特徴である。福岡県大牟田市・熊本県荒尾市では、「ダゴ」と呼ばれる鉄板いっぱいに広げて焼く大型のお好み焼きが食されている。九州7県では人口あたりのお好み焼き店の数において大牟田市が1位、荒尾市が2位となっている。基本的には大阪風であるが、広島風やもんじゃ焼を提供する店もある。北九州市では、マヨネーズとケチャップを混ぜたオーロラソースをつけて食べるのが定番となっている。宮崎市には、神戸風の肉天が名物として提供される地域もある。沖縄県には「ヒラヤーチー」(平焼き)と呼ばれる料理があり、これはキャベツではなくネギやニラなどを使用する一銭洋食やどんどん焼きに近い軽食である。また、「ポーポー」という小麦粉の薄焼きで味噌や黒糖などを巻いた菓子もあり、こちらはお好み焼きの祖先とされる「麩の焼き」に酷似している。祭りなどの露店・屋台でも、お好み焼きは定番の料理である。かつては関西においても洋食焼きスタイルの重ね焼きが主流であったが、現在は混ぜ焼きを供する店や、中華麺を加えて広島風として提供する店が増えている。また、割り箸に巻きつける形で焼いた「箸巻き」、今川焼きほどの小さなサイズで焼き上げた「大阪焼き」(関西地方では「リング焼き」とも)、厚く焼いた混ぜ焼きをカットして割り箸や串に刺したものなど、立ち食い・歩き食いがしやすいように工夫されたお好み焼きも多くの屋台で供される。お好み焼きを急速冷凍した冷凍食品が食品メーカーやソースメーカー、有名お好み焼き店により販売されている。
出典:wikipedia
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