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張誌家

張 誌家(チャン・ズージャ、1980年5月6日 - )は、台湾の台中市出身の元プロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。2001年に開催されたIBAFワールドカップ・3位決定戦で、日本代表を5安打完封して注目を集めた。翌2002年からは誠泰太陽でプレーしていたが、前年の日本代表戦での活躍もあり、同年の4月30日に読売ジャイアンツとの争奪戦の末西武ライオンズに入団。公式には発表されていないものの、ベースボール・マガジン社が発行するトレーディングカードの記述によれば10年契約であったという。シーズン途中入団ということもあって来日当初は2軍で調整を進めた。その後6月2日の日本ハムファイターズ戦で来日初登板初先発を果たし、6回無失点で来日初勝利を挙げた。6日後の千葉ロッテマリーンズ戦では6回から登板し、4回を無失点に抑え、来日初セーブを挙げた。7月1日のロッテ戦では来日初完投となる初完封勝利をマークするとそのまま先発ローテーションに定着し、故障離脱した松坂大輔の穴を埋める活躍を見せた。途中入団だったこともあり、最終的に規定投球回には到達しなかったが、19試合の登板で10勝4敗1セーブをマークし、リーグ優勝に貢献した他、国際大会ではチャイニーズタイペイ代表として活躍した。一方自身の獲得を争った巨人との日本シリーズでは第3戦に先発するも巨人打線の勢いをとめることができず3回0/3を投げて5失点でKOされ敗戦投手となってしまい、チームは第4戦も敗れ、ストレートの4連敗で日本一を逃した。2003年も前年の活躍もあり先発ローテーション入りしたが、防御率4点台と安定感を欠き、7勝7敗の成績で終わった。一方札幌ドームで行われたオリンピック予選で韓国、中国を抑えてアテネオリンピック出場を決めた。2004年も引き続き先発として活躍し、アテネオリンピックにも出場し、カナダとイタリア戦で先発した。しかしその後は、台湾チーム敗退後に日本に戻らずバカンスに興じていたこともあり、以後精彩を欠く事となってしまう。9月21日のロッテ戦ではベニー・アグバヤニ、マット・フランコ、李承燁に3者連続ホームランを打たれた。同年は来日初の規定投球回到達を果たし9勝8敗の成績を挙げた。しかし、中日ドラゴンズとの日本シリーズでは第4戦に先発するも3回1/3を投げて5失点で敗戦投手となり、またも日本シリーズでは結果を残せなかった。だが最終的にチームは12年ぶりの日本一を果たした。2005年は肩の故障もあり、来日初の1軍未登板に終わった。復活を期した2006年のシーズンだったが、直球のMAXが130km/hを切るなど全盛期の球威が戻らず、2年続けての1軍登板なしに終わる。そして同年9月30日、契約期間を残したまま球団から翌年の契約を結ばないことが発表された。2008年の5月に、中華職業棒球大聯盟のLa Newベアーズに入団。かつてほどの球威はないものの、先発投手として復活を果たしつつあった。2009年10月、台湾プロ野球界の長年の問題である「放水(八百長)」問題で事情聴取を受けたが、容疑を否認。長期間の拘束を免れるため、保釈金を支払い、La Newは12月15日付で張を解雇した。2010年2月10日、台湾検察当局は張誌家ら選手監督7人を含む24人を賭博罪、詐欺罪で起訴した。張誌家は懲役2年を求刑された。2014年8月13日、台湾高等法院は懲役2年もしくは罰金の判決が下り、陳致遠、蔡豊安、楊博任(いずれも懲役6カ月もしくは罰金)らと共に有罪が確定した。2002年4月、台湾・GMMからアルバム『It's my war』をリリースした。

出典:wikipedia

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