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東区 (岡山市)

東区(ひがしく)は、2009年(平成21年)4月1日に設置された岡山県岡山市の4つの行政区のうちの一つである。東区は旧西大寺市・上道町・瀬戸町からなり、区域の西端を中区との境界にもなっている百間川が、中央を一級河川の吉井川が貫流している。また、北西部には芥子山を始めとした山々がそびえ、南部は児島湾、瀬戸内海に面し、岡山市内唯一の有人島である犬島がある。区の中心は金陵山西大寺の門前町として栄えた西大寺地区であり、現在でも住宅が建ち並び、市内でも比較的人口が集中している地区である。西大寺地区は日本三大奇祭の一つとしても数えられる、西大寺会陽(裸祭り)が行われる。区域の北東部、上道地区・瀬戸地区ではトマトやブドウなどの栽培が盛んであり、良好な自然環境をもっている。現在の東区の区域のうち、西大寺地区では室町時代にかけて備前国の商業的中心地であった福岡(現:瀬戸内市長船町)に近く、吉井川を航行する舟の荷揚げ場として、また、751年(天平勝宝3年)に建立されたと伝わる金陵山西大寺(西大寺観音院)の門前町としてもにぎわいをみせていた。西大寺では戦国時代から現在までおよそ500年続いている会陽(裸祭り)が行われている。瀬戸地区では古代の山城とされる大廻小廻山城跡があるほか、鎌倉時代に、平安時代末期の治承・寿永の乱(源平合戦)で焼失した奈良・東大寺の再建時に使用された瓦が焼かれており、当時の遺構が発見されている(万富東大寺瓦窯跡)。戦国時代には後に備前国を掌握し、岡山城主となる宇喜多氏が本拠を乙子城跡、亀山城(沼城)跡に構えていた。江戸時代には4代岡山藩主・池田綱政の命を受けた郡代・津田永忠によって幸島新田・沖新田が開発された。また、区域の北部には山陽道(現・旧山陽道)が通り、藤井地区には宿場町が形成され、現在でもその面影を残す建物が存在している。明治以降、西大寺地区に鐘淵紡績の工場が操業を開始し、軽便鉄道の西大寺鉄道の開通と相まって軽工業の立地がさかんになった。戦後、1953年(昭和28年)に11の町村・地区が合併し西大寺市が成立。1962年(昭和37年)には国鉄赤穂線が開通し、その影響で西大寺鉄道が廃止されたものの、その後、国道2号(現・国道250号)、岡山ブルーハイウェイ(現・岡山ブルーライン)、岡山バイパス等が相次いで開通したことによって利便性が向上し、周辺の宅地化が進行した。区名は公募により選ばれ、1位 : 東区、2位 : 吉井区、3位 : 吉井川区、4位 : 岡東区、5位 : 城東区であったが、旧地域名は採用しないという方針と、最も支持を集めた事により、「東区」が選ばれた。なお、当初は中区と1つの区を構成する方針であったが、百間川以西の住民から大きな反発があり、また市議からも多数の異論が出たため分割された。詳しくは岡山市の町・字一覧を参照。

出典:wikipedia

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